SSブログ

加藤周一の洗礼と『日本人の死生観』 [Book_review]

                           081206_0214~01.JPG

加藤周一が亡くなる(12月5日)前、8月19日に教会でカトリックの洗礼を受けていたとのこと。 加藤自身は、神父(カルメル会)につぎのように、洗礼を望む理由を語ったという:
「ひとつには自分は宗教そのものに対する関心を持つ環境にいたこと。
その上で母親と妹がカトリックの洗礼を受けていて、自分も亡くなったときに母と将来は妹とも天国で会えるようになりたい」


感想:
加藤周一らしくない。(洗礼したことではなく、つぎの発言が)
<ひとつには自分は宗教そのものに対する関心を持つ環境にいたこと>
宗教そのものに対する関心なら宗教者だけでなく無神論者であっても(宗教者以上に)持っている。洗礼の理由にはならない。

<母と将来は妹とも天国で会えるようになりたい>
これは理解できる。男は、マザコンだ。

加藤周一は、共著『six lives/six deaths-- Portraits From Modern Japan』(岩波新書に翻訳あり)で正宗白鳥(加藤の担当)を描いていたが、死の直前、洗礼した正宗についてどのように書いていたか。。いま本が見つからない。

『日本人の死生観』上下、 加藤周一、M.ライシュ、RJリフトン; 矢島翠 翻訳(岩波書店)1977


宗教は阿片だ、とおもうが、阿片を飲んで、道徳的に悪いということはない。個人の価値観の問題だ。思想家は価値選択について責任を取る必要がある。どのような個人であっても生死に関しては思想家でありたい。


死の直前に思想が変化するということはある。生前の著作の読み方はこの発言で変わることはあるか。一面では、あるし、他面では、ない、といえる。著作、というものは、有限な人間の、ある状態における制作物であるから。


追記:
『日本人の死生観』の、下巻、正宗白鳥の項を再読した。
加藤が正宗白鳥に全般的に、好意的であるのが予想外であった。(本記事コメントを参照ねがう)

知的境位、として、加藤と白鳥は近いところがあるのではないか、という気がする。明らかな相違点として、白鳥は政治的活動を一切していない(積極的には)。しかし、これはそれほどの差ではない。世界や文物に対する興味、は両者とも強い。

雑種文化論者=加藤は、キリスト教の受容について、<日本的>な変容をした後、受け容れた、と書いているが、これには追加説明が要る。イエス以後、キリスト教が世界宗教化するにあたり大きな変容を被ったのは周知のこと、一般に、宗教だけでなく、あらゆる文化が他の特殊地域に根づくとき(グローバル化するとき)、なんらかの変容を被るのはキリスト教だけに限らない。キリスト教はオリエント起源であり、西欧に根づく(世界宗教化)には大きな変容を被った。受容に先立つ変容は、日本だけの特殊現象ではないし、集団のみでなく、個人レベルの受容においても同じ現象がみられるはず。土着~外来、という対立もしくは変容は世界に普遍的にみられる現象である、とおもう。加藤等が正宗白鳥に観察した、キリスト教受容にあたっての<日本的甘え>は、加藤周一の末期にも見られた、ということ。



『日本人の死生観』下巻から引用する。

正宗白鳥の章、p63。
「こうした一般的な世界観に向かって容赦なく自己を駆り立てた点においてのみ、白鳥は普通の日本人と違っている。彼は自分の信念と矛盾を意識していたが、他の日本人にはそうした意識は薄かった。キリスト教との対決は、周囲の世界に対する白鳥のとぎすまされた感受性において、決定的な役割を演じているようにみえる。いわば彼の「夢物語」が白鳥の現実感を先鋭にしたのだ。こうしてキリスト教は、白鳥が、キリスト教とは対極に位置する此岸的な人生観のこの上なく強い主張者となる上で、力を貸したのである。白鳥は、いわば土着の、通俗的な世界観における良心となったのだが、それは彼が近代日本における沈黙の大衆のひとりだったからではなく、周縁に位置して発言する少数派に所属し、大衆とともに暮らしてはいるものの、真にその一員となることはなかったからである。 ---- そのような関係が生まれたのは、彼の文学的才能と、キリスト教との真摯な対決がはたらいていたためだった。しかし白鳥は、十八世紀に儒教と対決した本居宣長がその著作でなしとげたようには、そうした基盤の上にみずからの体系的な思想をきずき上げることはなかった。この意味で、社会の広範な変化をすりぬけて通っている白鳥の文学様式は、それ自体、日本の文化的継続性の象徴だったのである」

同じくp107。
「白鳥はさまざまな矛盾とともに生き、事実、矛盾こそ彼の人生であった。彼は一面では、心のなかにそんなものはないとうち消す懐疑的な声が、つねに人より強かったにもかかわらず、「死を超えた何物か」についてのキリスト教の福音を、ほんとうに信じていたのかのようにみえる。二つの信念はしばしば葛藤を生じたが、それらをともに維持した白鳥の力は、人に感銘を与えずにはおかない。矛盾を分析しようとするよりも、白鳥は矛盾を受けいれ、みずからの文学の仕事の上でのできごと、情動へと注ぎ込んだ。二つの矛盾と、それらを混淆させようとする彼のたたかいが終わりを告げたとき、彼はいつ死んでもよかったのである」

以上は、加藤、リフトン、ライシュの共著部分である。以下は、加藤による本文への「おぼえがき」から。p109。

「ここで真に問題となるのは、白鳥がその晩年に本心からキリスト教に帰依していたかどうかではなく、彼がキリスト教のうちに、そしてキリスト教をつうじて、何を見たかなのである。」

「最後に自分のキリスト教に対する郷愁を認識した白鳥は、人生の「現実」の一部として、非現実的なるものを信じようとするみずからの熱望に気づいたのである。こうして、最終的には、非現実も現実と同様に、彼の関心の領域となった。
 では、白鳥にとってそれほどの重要性と圧倒的な力を持っていた非現実とは、何だったろうか。それは一点に集約できると、私は思う。何をしようとも、人は究極的には救済される ---- みずからの力によってではなく、それが母親であろうと、キリストであろうと、阿弥陀であろうと、自然ないし神の支配による、究極の世界秩序であろうと、人の上にあってすべてを許したもう、いつくしみにあふれた力によって。こうした楽観主義には、「神曲」におけるダンテの「希望」、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」に、共通するものがある。すべてを抱擁する恕しの観念は、これらの場合にもまた顕著である。白鳥がキリスト教のうちに信じたものは、必ずしもキリスト教特有のものではなかった。他のことばでいえば、決定的な意味をもっていたのはキリスト教ではなく、キリスト教にも他の宗教にも共通ななにものかであった。(略)「人間、重病にでもかかると、どんな神にでも仏にでもすがる気持になるのであろうが、当時の私は、キリスト教に接触してゐたので、キリスト教の神に祈る気持ちになつたのだ」。また、「自分が臨終の折に、『南無阿弥陀仏』を口ずさむか、或いは、『エスキリスト』を呟くか、いづれであらうかと空想してゐる」ともいう。白鳥はこれに続けて、すべては彼の内面における日本の伝統と外来の文化の均衡によると述べている。明らかに問題点はキリストか仏陀かの選択ではなく、そのいずれかを彼が必要としていたという事実である。 

白鳥がキリスト教を変えたようには、キリスト教は白鳥を変えなかった、と言えるかもしれない。私の考えでは、これは日本における仏教の歴史ときれいに対応する。彼岸の信仰体系としての仏教は、日本人の此岸的な心性を変えはしなかった。反対に、日本人は仏教を日本化する過程の一半として、仏教を此岸的にした。白鳥はキリスト教を日本化してはじめてそれを受けいれたのである。この意味で、彼は日本文化に共通の型を代表していた。
(略)
 日本でキリスト教徒になることは、非常な少数派の一員になることであり、はっきりした考えに立っての決断を意味していた(そしていまでも意味している)。仏教とは異なり、いくぶんマルクス主義に似て、キリスト教は観念・価値・信仰の包括的な体系であり、大勢順応を迫る社会の圧力に抵抗する意志をもつ個人によってのみ、意識的に受けいれられるものである。白鳥がひとつの宗教体系にこうして意識的に身を挺したことは、のちになってそれを放棄したにせよ、たしかに彼がその作品をつうじて、現代日本におけるほかの作家のだれひとりとしてそれほど持続的かつ明瞭には述べていない人生の究極的な意味や、来生などの問題に、接近する背景となった。この意味で、キリスト教は彼を独特な作家にしたのである。

 この点をふまえた上で、死における白鳥の甘えの感情は、現代の日本人の大多数が共有しているものだということに注意すべきである。彼はみずからが願ったとおり、その生においても死においてもひとしく、現代日本の鏡であった」 (引用終わり)

090627_1904~01正宗白鳥.JPG





##

白鳥に私淑し最期を白鳥の奥さんとともに見取った深沢七郎の文章(朝日新聞)を全文掲載する:

九月五日、私は北海道で正宗先生が入院したことを知った。病気の様子は十日間ぐらいで退院するらしい。が、北海道もそろそろ寒くなってきたので渡りどりのような私はそろそろ北海道から移動しようと思っていたところだった。それで、すぐに東京へ立つことにした。六日の夕方、羽田に着くと私の弟が迎えに来ていて、弟は前日、病院へお見舞に行ったのだそうである。その時、先生の奥さんは弟の顔をみると「深沢さんが来るにはまだ早すぎますよ」と軽く笑いながら言ったそうである。これは、私が駆けつけるということは「死ぬ時だ」という意味らしい。ふだん、そんな風なことを言っていたからである。とにかく病気はたいしたことないらしいが、遊びに着たのではなく駆けつけるつもりで来たので、羽田からすぐ病院へ急いだのだった。
その晩、八時ごろ、病室のベットの先生にお会いしたのだが、軽い症状だと思っていた私は顔色の様子で(これは、とても、むずかしい)と不安に思えたのだった。やはり、不治の病因があったらしい。それに老齢なのである。いちじ、快方に向かったが退院もできないまま、だんだん衰弱していった。先生自身は初めから知っていたらしい、(僕の身体は、僕がよく知っている)というようなことを言っていたが、あの日、十月六日である。終えんの日の近づいたことを私達-奥さんと看護婦さんと私-は先生自身の口から知らされたのだった。「神様は、きっと、やさしく抱いて天国へみちびいて下さるから」という言葉は、弱い、悲しい言葉ではなく、信ずるものを強くつかんだ言方なのである。ふだん、聖書を読むことが好きだということは知っていたけれど、こんなにもキリストを深く信じていることを私は知らなかったのである。
また、「僕は内村鑑三のものをよく読んだ。植村正久の講義を熱心に聞いたものだ。このふたりの先生を恩師だと思っている。植村先生の娘さんがYWCAの会長をしているからそのひとにお祈りをしてもらって葬式をしてもらいたい」というようなことを言うのである。そうして、若いころ、かすりの着物をきて、すみの方で植村先生の講義をきいていたころの様子を感慨深そうに語るのだった。その時、私は内村鑑三という字を新聞などでよく見るような気がしたのだった。そうして、そのひとに正宗先生の気持を伝えたいと思ったのだった。
「その、内村というひとは、どこにいますか?」ときくと、「そんなひとは生きているものか。三十年も、もっとまえに死んでいる」と声を大きくして言うのである。(それではダメだ)と私はちょっと残念に思った。そうして、もうひとりのほうのこと、植村環先生のところへ奥さんと一緒に葬式のことを頼みに行ったのだった。その夜、私は考えたあげく、(あんなに、キリストを信じているなら、洗礼を受ければいいのに)と思ったのだったが、私はそんなことをすすめるのは僭越(せんえつ)のような気がして言出せなかったのだった。が、次の日思い切って、私は覚悟をきめて言いだしたのだった。「先生は洗礼を」と言うと、「僕はずっと昔、若いころ、植村先生のみちびきで洗礼を受けた」と言うのである。(ああそうか、よかった)と私は安心した。いままでそんなことを話してくれたことはなかったのである。
洗礼を受けたなら洗礼の名があるのではないかと思ったので、「洗礼の名は、なんという名ですか」ときくと、「そんなものはない。ただ、あたまへ水をかけただけだ」と軽く話すように言っただけだった。(キリスト教徒だったのだナ)と私は安心した。病床で「僕が死んだらだれもこないようにしてくれ。花輪とか香典ももらいたくない」と何回も言った。「お通夜も、家の者だけ、二、三人でいい」とも言った。人に同情されるとか心配をかけることが大きらいの人だったのである。
昭和37年10月30日 朝日新聞





加藤周一 1968年を語る   “言葉と戦車”ふたたび
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-15
追悼 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-14
生と死 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-08-24
nice!(1)  コメント(22)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 22

kyoka_nk

加藤周一の洗礼については以前、話題になったことがありました。
そのときは「死を間近に感じて、死が恐かったのでは」というご意見を伺いましたが、こういったエピソードがあったのですね…。
by kyoka_nk (2009-06-26 12:39) 

タツ

 加藤周一の文章は教科書でしか読んだことがないのですが、正宗白鳥については気になることがあって、生家跡を見に行ったことがあります。とても眺めがよくて海の幸に恵まれた土地ですが、そこの集落のお寺のお墓に入りたくない理由があったのかなぁと、感じました。
 地方のお金持ち出身者のばあい、親父と同じスタイルのお葬式を友人やマスコミに見られるのは恥ずかしいという単純な理由で、亡くなる直前にキリスト教の洗礼を受けるケースだってあるんじゃないでしょうか。
by タツ (2009-06-26 15:10) 

古井戸

岩波新書、加藤周一他著『日本人の死生観』1978をオススメします。下巻の、正宗白鳥の項。今日久し振りに再読したが、日本文学史序説の補足、ともいうべき内容。

白鳥の生家(岡山)は戦前、地主で裕福、位も高かった。白鳥が東京でぶらぶら遊べ、語学、文学、キリスト教に接することができたのも生家に金があったことが大きい。しかし、農地改革で戦後は没落。白鳥は懸命に稼いだ。

白鳥は若いとき、いちど、洗礼を受けている。加藤は、白鳥の態度を好意的に<日本的な甘え>と解している。加藤の洗礼も同じでしょう。白鳥は体躯も小さく病気がち、というのも人生にかなり影響を与えている。若いとき大病を患った、直後、受洗。

1920年代、30年代に自費で大がかりな欧米旅行を行っている。妻を同伴。

加藤の家もそれほど金持ちとも思えないが。。白鳥と同じく明治に生まれていた、としたら、案外、白鳥と同じ生涯を終えたのではないか、という気もする。

by 古井戸 (2009-06-27 01:54) 

タツ

 おススメいただいた『日本人の死生観』(下)、図書館にあったので借りてきました。やっぱり教科書ですよ、加藤周一の文章は。面白い領域には踏み込めない文体ですね。
 正宗白鳥は、生涯にわたって、『源氏物語』に悩んでいたはずです。お姫さまのための読み物が、いわゆるハンキョウの砦に使われて、元禄時代から引きずっている悪い読み方への対策に、日本ペンクラブは苦慮していたんでしょう。
 白鳥の生家は、岡山県の西端で、播州赤穂にも近いところです。高等小学校のあと一年だけ通った旧藩校は、元禄時代に熊沢蕃山によって開校されました。
 また、家の前の入江を出たところの日生諸島にある鶴島は、明治2年までキリシタン流刑地として使われていました。
 そのうち、いろいろ、判ってくるでしょう。 
 ご教示ありがとうございました。
by タツ (2009-07-04 17:31) 

タツ

白鳥の生家は、岡山県の「西端」ではなく、「東端」です。打ち間違えました。

by タツ (2009-07-04 19:55) 

古井戸

>やっぱり教科書ですよ、加藤周一の文章は。面白い領域には踏み込めない文体ですね。

教科書には載せられない面白い文章もイッパイ書いていますから是非お読みください。

『死生観』は、加藤の単著ではなく共著であり、英語からの翻訳です。

この本は全編教科書になりうる日本語で書かれており、内容も優れたものであると思います。乃木希典を批判的に描いた小説として司馬遼太郎『殉死』だが(67年頃?)この論集はより簡潔に潤色なく描いている。

漱石もくわえて欲しかった。

>正宗白鳥は、生涯にわたって、『源氏物語』に悩んでいたはずです。

なにを悩んでいたのでしょうか?意味が分からなかったのでしょうね。ウェイリーの英訳を読んで初めて意味が分かった、と冗談を言っています。

加藤も白鳥も文筆家として身を立てることができたのは親に財産があり学問~遊学が自由にできた、ということが大きい。
by 古井戸 (2009-07-05 07:23) 

目撃者

加藤さんが語られた受洗理由は、こちらで表記されているものとは焦点が違っています。「お母さまがクリスチャンで育った環境の中にクリスチャン的要素が多分にあった」は確かですが、「自分も亡くなった時・・・」は口にされていませんし、そういう点に触れてもおられません。後に伝言ゲーム的に脚色が加わった尾ひれと思われます。

むしろ、その他に仰った「思想家としての限界を悟り、今後をどなたかにお預けする時が来たように思う」ということと「キリスト教の中でカトリックを選んだのは、使徒継承の秘儀伝授(Ex opera operato)への信頼である」という二点が決定的要素であったことを師のご意思がが誤解されないために記します。

不確実な情報で、安易に人を評しないことは求道者としての礼儀ではないでしょうか。

by 目撃者 (2009-08-23 05:16) 

古井戸

>不確実な情報で、安易に人を評しないことは求道者としての礼儀ではないでしょうか。

亡くなった求道者に対する礼儀、という意味?

加藤老師ならケシテ吐きそうにない言辞です。加藤崇拝者や加藤ファンなら吐きそうであるが。

求道者になどなりたくないもんです。
私は加藤崇拝者ではない。わたしの辞書に 礼儀 などという言葉は御座いません。

>。。。二点が決定的要素であったことを師のご意思がが誤解されないために記します。

あまりにクダラナクありませんか?おかしくて笑いがこみ上げてきます。 死の間際には誰だって考えつくことです。

ニンゲンとは(加藤老師を含め)不確実なもの移ろいやすいいきもの。他人の情報など気にせずすこやかに、生きぬいてくださいね、この情報化時代を。

by 古井戸 (2009-08-23 09:28) 

シェブロン

こんにちは、シェブロン と申します。

<加藤周一+カトリック> で検索して、こちらにやって来ました。
古井戸さんの次の発言の仕方に興味を抱きました。

<母と将来は妹とも天国で会えるようになりたい>
これは理解できる。男は、マザコンだ。

加藤さんのことを「マザコンだ」と言い放てる人は、そう多くは
ないでしょう。
大抵の人は、彼の書物を座右の指針にして奉っているか、
それとも、一部はかじっても、他は自分の手には負えそうもないと諦めている。
そういうタイプが多いのではないでしょうか?

私なども、若い頃は、加藤崇拝に近いところがありましたが、
最近は、少し考えるところがあります。
加藤氏については生前から神格化が起こっていたようですが、
逝去された現在、ますますその度合いが強まるのではないでしょうか。

これからは冷静な評価がされることを望んでいます。
と言いますのも、加藤さんと言えども、その思想に一種のバイアス
のようなものを私自身感じつつあるからです。

非力な私のことですから、到底評価などは出来ませんが、
次回のコメントで、現在感じていることを漠然と書いてみたいと
思います。

by シェブロン (2010-02-06 15:35) 

シェブロン

古井戸さんのように知識人の方が、理由を示されずに
コメントを削除されたのは、残念です。

誤解があるかもしれないので、一回だけ弁解しておきます。
「バイアス」という言葉にこだわられたのかもしれませんが、
私は政治史に疎いほうなので、日本文化とか、芸術、文学方面の
評論を念頭にこの言葉を使いました。

いま一例をあげると、「羊の歌」のなかで、加藤さんは
芸術的にはルネッサンス期よりも中世に興味がある、と
言われていますね。

そういう感性は、彼の芸術評論においてどういうバイアスをかけるのだろうか、というようなことです。今の私には到底答えなど見つかりませんが、
そういう疑問を持ってはいけないのでしょうか?
どんな領域でも、探求はまず「疑問」からはじまるように思うのですが。
by シェブロン (2010-02-06 17:00) 

シェブロン

何度も済みません。
私のパソコン操作ミスで、
私のコメントが削除されたと勘違いしました。
by シェブロン (2010-02-06 17:04) 

古井戸

シェブロンさん。
通常の性愛、とはべつに、男が母や妹を想うのは普遍的である、とわたしは考えています。女性はどうか?というとわたしにはよくわからない。
宮沢賢治しかり、斎藤茂吉しかり。どうどうとそれを詠んでいるではありませんか。母や妹あるいは姉に特別な感情を抱かない男性は異星人にみえます。
by 古井戸 (2010-02-06 17:15) 

シェブロン

先ほどは、私のチョンボでたいへん失礼しました。

古井戸さんの回答に異論は毛頭ありません。
ただ、「マザコン」という言葉の使い方ですよね。
そこに精神の働きがある、と思っています。

どう言ったらいいのか、他の方より加藤さんを客観的に
観ておられる姿勢に興味をもった、ということでしょうか。

私なども、「羊の歌」や「日本人の死生観」を若い頃、
いい加減に読んでいたので、最近、読み直しました。
最初の書き込みで書いたように、少し考えるところもあって、
読み直した、という面もあるのですが。

また、別の機会に、最近考えていることを
書かせて頂くかもしれません。
by シェブロン (2010-02-06 18:52) 

古井戸

いかに文学的に昇華しようと、性愛ほど本能性(本能も人間においては文化と時代の制約を受けるが)はないが母性、父性に対する愛情は人間社会に普遍的でしょう(動物社会にはないのかも知れないが)。それをマザコンとよぼうとファザコンと呼ぼうと命名は自由。しかしこれを認めずに文学史など語れないでしょう。

by 古井戸 (2010-02-06 19:15) 

シェブロン

古井戸さんほどの人が、私の論点を分からぬはずはありません。
とすれば、意識的にすりかえておられるのでしょう。
私も論点を変えます。

近々、「しかしそれだけではない。 加藤周一 幽霊と語る」という
ドキュメンタリー映画が封切られますね。
これによって、ますます加藤さんの神格化がなされるでしょうね。
by シェブロン (2010-02-06 20:43) 

古井戸

>意識的にすりかえておられるのでしょう

意味不明です。言いたいことがアレバ皆さんにわかるようにパラフレーズしてください。バイアスのない人間などいないでしょう。

映画は予告編しか観ていません。神格化するヒトは見ても見ないでもしますよ。<幽霊>とは、能(世阿弥)の幽霊でしょ?わたしのように加藤を書物によってしか知らない人間は、本人の実在(生死)などどうでもいいことです。書物(魂=幽霊)は永遠です。肉体が朽ちるかどうかに関係ない。これって高校生の常識。

by 古井戸 (2010-02-07 10:29) 

橘

古井戸様
映画の予告編をご覧になったとのことですが、私が見た限り、この映画の中での「幽霊」の意味は違うようです。

「(肉体をなくした)幽霊の意見が変わることはない」と加藤氏は言っています。((  )は補足しました。)
生きている人間は移ろいやすい。しかし、生前に出会い、今は死者(幽霊)となってしまった人々の存在とそのことばは、決して変わらずに、常に自分のそばに留め置かれている。自分が生きて、語り、行動する上で何を大切にするのか、その拠りどころとして、終生のテーマ(これについては映画の中で語られるのでしょう)を貫く上で、常にそばにある、ということを述べられたのではないかと思います。
加藤氏を神格化するかどうか、という問題よりも、実際の行動やことばがどんなものであるか、見極めていくことを、私は大切にしたいと考えます。
by 橘 (2010-02-11 11:46) 

古井戸

>実際の行動やことばがどんなものであるか、見極めていくことを。。

こういう態度を<神格化しない、demystification>というのでは?
加藤がエライから加藤の書を読むのでなく、エライかどうかは書と行動により決まります。われわれが眼にするのはセレクトされた書と行動にしか過ぎない。

残念ながら、神話化はどんどん進むでしょう。読むに足る<加藤周一論>はまだ書かれていません。

映画の、<幽霊>は誰がつけた訳語なのか知らないが(加藤自身がつけたのですか?訳語として)、<精神>のほうがわかりやすい。いずれにしてもたいした問題ではありません。精神、といっても雲を掴むようなもの。精神論におわります。
by 古井戸 (2010-02-11 19:03) 

橘

見極めること=神格化というのはちょっと性急すぎるように思います。
自分としては、書いたもの、発せられた言葉にたいしてクリティカルでありたいという程度の意図でしたが。
もちろんセレクトされたものしか伝わらないというのは当然のことです。しかし、目にして見なければその価値はわかりません。目にして判断するのは、一人ひとりにかかっています。神格化するかどうかということとイコールではないと思います。
「幽霊」に関しては、比喩的に、演出的な意味合いもあって使われているのではないかと思います。想像ですが。
また、訳語というよりは、日本語からの発想でしょう。それを他国語に訳す際に、どんな言葉を選択するのかは不明ですが。
by 橘 (2010-02-11 22:39) 

古井戸

>見極めること=神格化というのはちょっと性急すぎるように。。

逆ですよ、よく読んでください。

こういう態度を<神格化しない、demystification>というのでは?

神話化しない=脱神話化、です。
誰彼が書いたから(無条件に)いいのだ!、じゃなく、書かれた内容に即して判断する、ということです。

まず、フランス語があったんじゃないのですか?
kato communique avec les esprit
英語で、kato talks with spirit
http://www.ghibli.jp/kato/mov.swf
http://www.ghibli.jp/kato/

esprit = 精神、知性、才気、霊魂,心のはたらき

会うのは現実に存在しないひとです。
実朝、渡辺一夫。。。
 文字を通してしか出会ったことのない過去の人もいる。
 彼らと話すのです。
 能じゃありませんか、まさに。加藤が知っている実朝を、katoが目の前に呼び出すんですよ。能の登場人物はほとんどが幽霊、能はすでに過ぎ去った人生を物語る。
生きていた渡辺一夫は、さまざまに、日々、時々刻々変化したが、加藤が相手をする幽霊としての渡辺は、加藤の知る限りの渡辺であり、加藤の空想の産物です。他の誰にも見えません。

現実の加藤を知らないわたしも、加藤の著作を通して、私の前に現れます。つまり、幽霊です。しかし日本語で、通常、幽霊とは言わない。文字や言葉を媒介として、固着させた、精神と出会う。
↑の予告編で加藤もそう言っている。


p.s. あまり、いぢめると、化けて、でますよ。
by 古井戸 (2010-02-12 00:56) 

kurata

 『母と将来は妹とも天国で会えるようになりたい』という一文に関心があります。加藤氏の回想『羊の唄上下』を繰り返し呼んで、数十年前から氏の妹様になぜか関心がわいておりました。この文からは、妹様は80才台で未だ御息災なのでしょうか。長年、なんとなく関心があったので、ご迷惑かもしれませんが、僭越ながらご質問させていただきました。
by kurata (2011-04-19 04:57) 

古井戸

kurataさん。
この言葉は、加藤が直接書いた言葉ではなく、神父が聞いた言葉です。私は話半分に聴きます。最近の記事でも書いたように(矢島さんは、加藤周一が加藤周一でなくなっていく、と言った)死の直前の加藤の言動を深刻に考えない方がよい、と私は思います。つまり、無視します。
by 古井戸 (2011-04-19 06:36) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

この広告は180日新規投稿のないブログに表示されます