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丸山真男の古層、加藤周一の土着的世界観 [丸山真男]

丸山真男の<(歴史意識の)古層>と加藤周一の土着的世界観に触発され、私の考える古層、加藤の言う土着的世界観をモデル化してみた:



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図1 意識の古層モデル



古事記や日本書紀は中国からの帰化人が書いたもの。
4,5世紀以前の日本人、というものの実体も半島、中国、南洋からの渡来だろう。稲作などと合わせて。

大野晋のいう印度南部(タミル語)からの言語渡来が真実だとしても、言語=原・日本語だけでなく印度さらに渡来経過で変形したアジアの文物、思考も移入している(すべてヒトを媒介として)はずである。

古層、土着世界観、というものは、日本固有、ではなく、人類固有というのが正しいだろう。

ニンゲンが二足歩行を初めてからの歴史は、道具、前期言語ー>言語、文化、高度文明。。は一直線の進化である。

世界各地でほぼ同時に発生した古代思想は、印度、ギリシャ・ローマなどの地域差より、むしろ共通点のほうが目立つ=普遍思想(中村元)。 たとえば、ギリシャと、印度の間に思想の交流があったのではなく、地球上の各地で自然発生した感情や思考方法、生活の知恵(思想や哲学、支配の思考=政治。。)は、相互の交流が無くても、各地で、似たり寄ったり(翻訳可能な)になるのだ、ということ。外形上の遺伝・進化・消滅は数十萬年の時間を要する自然過程であるが、精神の進化・変容(これは集団ではなく個人ベース)は瞬時に、かつ、婚姻・誕生とは無関係に伝播可能であり、これは肉体の進化とはことなり意識的な過程である。(感情・性格(無意識の過程)の遺伝はほとんど無く、生活環境から形成される度合いが大きい、と私は考える。とくに、近代以降、さらに現代においては。精神形成は、環境からの情報摂取、表出が大きく寄与し伝統ではなく、その時代の集団=国家、や情報配布様式~検閲、など、に依存する)

チョムスキーの言う普遍文法(これは実体はない。人類が何億年の進化のあげく身につけた言語脳)というものに近い。ヒトとしての即自的な普遍感情、から反省も含んだニンゲンとしての対自的、反省的な普遍感情に。さらに、普遍思考から普遍思想に。これが歴史意識、倫理意識の古層や土着世界観の実相であろう。

図の説明。
古層1~3.。。は本居宣長、などの幻想、虚構。それとはべつの古層Rが存在する。アイヌ、沖縄、南方、中国、半島の混合だろう。ヤマト、の実体はそんなもの。全て移入である。

この図は個人についても適用できる。個人は母親からの出生をもって発生するのではない。物質的にも、母親の肉体の一部以外に世界の分子原子から形成されるのであり、父母や共同体からあるいは、感覚に映じる環境世界から、人類の過去の文物を吸収するのである。

いずれにせよ、意識、であるから、ニンゲン個人の脳内現象であり、物理化学のように精密に実体を把握できるものではない。移入、移出、摂取はすべて、集団的なアクション&リアクションはあるにしても、最終的には個人の脳内で発生するプロセスである。 図1では、意識があたかも共同体でシェアされているように映じるが、これは事実ではない。図2のようにすべて、共同体あるいは外部世界の意識資産・資料はすべてひとしく、個人にとっては環境として一括できる。


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図2 意識の古層: 個人モデル



 環境世界には、共同体の内部外部、国内外のニンゲンや文物とのinteraction,feedbackを含む。


丸山真男は講義録(日本政治史、1964~67)で、毎年、原形=古層に関する講義を行っている。現在これを読んでいるところ。『丸山真男論』(ぺりかん社)の水林、末木論文が有用だった。加藤周一は、雑種文化論のほかに、日本文学史序説(ちくま文庫)、日本文学史序説補講(かもがわ出版)で、土着世界観を論じている。


加藤周一、『日本文学史序説・補講』から。p18~p20

「もうひとつは丸山真男方式です。佛教や儒教など大陸の圧倒的な文化が入ってくる前の文献を一生懸命探すのです。「古代歌謡」とか「古事記」とか「風土記」といったもので、その中から日本的な、ほとんど外国の影響のないものを中傷しようとした。それを丸山さんは「古層」と名付けました。」
 
(略)

 「古事記」からいくつかの特性を抽出してみて、それが日本人のものの考え方ではないかと考えたわけです。よく見ると、その後もその考え方がずっと持続しているのではないか。それを丸山さんは「古層」、意識の古い層が続いているんじゃないかといった。<日本的>ということです。音楽用語でいう「執拗低音」バッソ・オスティナート。 」

(略)

<ベクトル合成>
「私は丸山さんの方法論に大いに関心がありますが、それでは材料が少なすぎると思った。『日本書紀』ではもうすでに中国の影響があまりに強く出ている。その後は中国の影響が圧倒的に入ってきますから、純粋に日本的なものを探すのはきわめてむつかしい。それで私はベクトル合成という考え方を採った。」 (下図)

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(ベクトル合成方式により、古層を求める)


「。。Bは佛教のように外国から来たイデオロギーでこれについては非常によくわかっています。われわれが知りたいのはAで、丸山さんのいう「古層」、日本人のイデオロギー、(土着)世界観です。どのようにしてAを知るのか。
AとBの間に関係が生じます。BはAに影響を与え、AはBに影響を与える。(たとえば)仏教以前の日本人の心に仏教の影響が入ってごちゃまぜになったものが<神仏習合>のかたちです。日本人のものの見方は、Bが入ってきたために変わってCになる。Cは非常によく観察できます。日本人のものの考え方の大部分はCですから。Bは中国人の考え方。そこで、三つのベクトルのうちCはBとAから合成することができるから、三つのうちの二つがわかっていれば、第3のA(すなわち古層)を推定することができます。。 」

#以上『日本文学史序説・補講』から引用


ベクトルモデルではたいそうスッキリするが、実際は、化学変化のように状態、熱、。。など多次元の評価軸を想定しなければならないだろう。。




関連記事:
加藤周一 1968年を語る   “言葉と戦車”ふたたび
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-15
追悼 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-14

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kyoka_nk

このところ超多忙なので、もう少し落ち着きましたら、改めて読みにきます!
by kyoka_nk (2009-02-26 06:41) 

高塚タツ

 昨年の『出版ダイジェスト』で見たのですが、『丸山眞男話文集2』(みすず書房2008年)「日本の思想と文化の諸問題」に、

「執拗低音は主旋律ではないんです。これを主旋律にしようというのは無理なんです。無理にしようとしたのが、神道から、あるいは国学から戦時中の日本主義に至るまでの悲劇なんです。執拗低音が、しかし主旋律を変容する。……そこに日本的なものがある。」

とあるそうです。

 執拗低音を主旋律にして国難をとりあえず乗り切った成功体験が、源氏読者集団によりマニュアル化されたのではないかと考えます。
 蒙古襲来を初めとするその体験を、通史に落とし込む時期が来ています。

 最近では、小泉劇場なんて、わかりやすいモデルですね。しっかり否定してあげたうえで、執拗低音を保護するシステムを構築していくことが望ましいのでしょう。

by 高塚タツ (2009-02-26 23:14) 

古井戸

執拗低音にしても主旋律にしても、奏でるのはニンゲンでしょう?<世間>とか<空気>とか呼ばれるものですね。しかし、日本人のDNAにすり込まれているわけではない。青い眼のベイビをニッポンで育てれば彼や彼女も執拗低音を奏で出すはずです。

意識発現のマクロ理論(集団や歴史)ではなく、ミクロ理論(個人がなぜ、いかに、執拗低音を奏で出すか)を知りたい。

by 古井戸 (2009-02-27 00:33) 

古井戸

個人をとりまく<環境世界>=家族や共同体、に執拗低音の楽譜が刷り込まれているのだろうか。個人の脳味噌に執拗低音をすり込むのだろうか。
by 古井戸 (2009-02-27 00:40) 

高塚タツ

胎児への刷り込み教育として、神功皇后の帯の影響は大きいと思います。誕生後もお宮参りやお食い初め、七五三まで、主として神道系の行事がありますね。
刷り込み教育は、「躾」です。沖縄を初めとして成人式で暴れる地域は、「躾」に抵抗しているのでしょう。オルダス・ハックスレーの『すばらしき新世界』みたいに。
自称歴史推理作家の高塚タツとしては、銅鐸の音を胎児に聞かせたのが「躾」の始まりじゃないかと考察中です。
by 高塚タツ (2009-02-27 14:43) 

古井戸

宗教と同じです。
価値観がまず、あって、それにしたがって民俗の歴史(神、超越的価値)をでっち上げて、それに従う。

by 古井戸 (2009-02-27 16:10) 

高塚タツ

 「価値観がまず、あって、」とおっしゃいますが、初めからあった価値観とは、何でしょうか? 「国家観がまず、あって、」なら、イメージとして理解できそうですが…。
 それに、「民族の歴史」ではなく「民俗の歴史」とする表現は、あまり聞いたことがありません。「民俗」と「歴史」は、時間の流れ方が違うと思うのです。
 はじめにあった国家観に基づいて躾をした民俗を歴史書に入れ込んだという意味なら、わたくしの考えも、古井戸さんに近いものです。とりあえず。
by 高塚タツ (2009-02-27 20:06) 

古井戸

>「国家観がまず、あって、」なら、イメージ。。

それでもいいじゃないですか。価値観、のひとつにはちがいありません。本居宣長をみればあきらかでしょう。
まず、唐心を排せよ!という価値観=国家間が直感的に先立って、古事記研究に向かったのです。結論は先にあった。でもその結論=前提、は幻想でしょう。

民俗は民族の書き間違えでした。しかし、民族=虚構、だから、むしろ民俗~共同体の風俗習慣、といったほうがよかったのだな。。と思えてきた。
by 古井戸 (2009-02-28 02:24) 

高塚タツ

古井戸さんと対話させていただいて、わたくしの仮説もいくらかまとまってきました。
 日本列島において、国家の前に民族があったとするのは虚構で、国家以前の植民地的状況において萌芽した民俗は、寄せ集めの集団が胎児期からのサブリミナルコントロールを受けたものだったと思えるのです。タミル起源の音楽的支配が奴隷の韻律ではないかと、もっか考察中です。
 サブリミナルコントロールにより形成された575共同体が、古井戸さんの発見された「古層R」とは違うでしょうか?
 漢字を使う国家を成立させようとしても、575共同体では、個の意識を持った結びつきは形成されず、ムードに流されやすい集団が、外部から枠をはめる支配を欲しがったのでしょう。
 それで、以下のごとき現象を説明できないかしら?

(1)外敵が現れると、「唐心を排せよ!」と国威発揚のつもりが、575のリズムに乗せられて植民地的状況に回帰してしまった。
(2)軍人が和歌を作って、陶酔をもって統帥とした。
(3)戦争を始めると、完敗するまで続けなければ、国民をまとめることができなかった。
(4)外交は、自国民には上品に見えるようにして、相手の家の裏口で土下座して外圧を求めた。
(5)コンクリートのハコモノで、わけのわからないものをガッチリ固めて、中身の危険に見て見ぬふりをした。
(6)植民地的状況を演劇化してポストコロニアルのお祭りをするために、芸能プロデューサー的才能が総理大臣をやった。
(7)指導者が和歌や俳句の上手でもいいけれど、重大決断の説明に和歌や俳句しか示せない人には付いてゆかないほうがいい。



by 高塚タツ (2009-03-01 17:56) 

静

「丸山眞男の「日本」論」がカテラ出版会から出版されています。詳しくは、丸山真男手帖の会のHPをご覧ください。「正統と異端」について本格的に論じられています。
by 静 (2009-03-21 18:38) 

タツ

日本列島住民をまとめるシステムを通史で見ていくと、「古層」の修復が何度か行なわれています。そのとき、「出雲」が、たしかに、隠されていた機能を発動しています。
ところが、「古層」への侵入者は、時間の流れのある認識において、捏造遺跡や偽書のように、排除対称となります。
侵入者を招かなければ、修復はできず、古層は崩壊します。そこで、“単一民族国家”という見せ掛けを保持するために、排除対称を招きいれる矛盾に苦しむこととなりました。官僚が、夜は閻魔に仕えるのは、小野篁からでしょう。(官僚の支配は閻魔の支配!)
タミル系言語の侵入は、平安初期にもあったはずで、大野晋氏がそれを遥かに古いものと見せかけようとなさった理由が、高塚タツには不可解です。

by タツ (2009-09-01 14:23) 

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