アメリカ黒人の歴史 デモクラシーの将来 [history]
ミシェル・オバマと娘たち@8/25/2008,民主党全国大会
ミシェルさん(オバマ夫人)の記事が昨日の毎日夕刊に載っていた。オバマの母さんは白人だが、ミシェルさんはシカゴの黒人貧困街で生まれた。猛勉強してバラク・オバマ氏と同じハーバードの法科大学院を修了。オバマもミシェル夫人も、原稿無しで何時間でも演説できるだろう。貧困と世の中の矛盾を知りつくしているからだ。
ミシェル夫人は「目標は母親司令官」と言っている。軍の最高司令官である大統領になぞらえ、子育てを最優先にする決意だ、という(毎日新聞)。
ミシェルさんの父方の高祖父は南部サウスカロライナ州の農園で働く奴隷だった。同じ黒人でも、ケニア人留学生だった父と白人の母の間に生まれたオバマ氏とは決定的に異なる。奴隷の子孫として差別されてきた黒人にとっては、ミシェルさんのホワイトハウス入りの意味は大きい(毎日新聞から)。
ニッポンの国会議員に自前で1時間の演説ができるのは何人いるか?
ゼロ、である。 利権にしか目がない七光りヤローばかり。
オバマ氏は支援者集会に行くバス代もだせなかった位の貧困時代を経験している。
岩波文庫の『アメリカの黒人演説集』は1830年から2005年のオバマ議員(議員になってから半年)までの黒人演説を収録。米国の、負の歴史、である。 この演説集の冒頭は、デイヴィッド・ウォーカーの訴え(1829)である。『奴隷制度のもとのわれわれの悲惨な状態』:
「。。さて私は天地に、とりわけアメリカ人に訴える。かれらとその子どもたちの支配のもとで、われわれの状況が<厳しい>ことはない、われわれが悲惨と苦痛の状態に結構満足してとどまっている、と喧伝して止まないアメリカ人に向かって訴える。じっさい、黒人の大統領、知事、立法者、上院議員、市長、法廷弁護士の実例を見せたことがあるのか。この偉大な共和国の全土においてさえ、黒人が就いている職は警察の最下級職の保安官か、陪審員席に座る陪審員ぐらいではないか。惨めな同胞の裁判だというのに!!!。。」 (p9)
トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫全四巻)。第一巻第二部第十章『合衆国の国土に住む三つの人種の現状と予想されるその将来に関する若干の考察』は、黒人とインディアン、それに白人の将来を考察している。たった9ヶ月の米国滞在、1831年頃(仏共和革命直後)、でよくここまで書き込めた、というほどの内容。黒人への同情と(ときに、そのあまりに冷静な、事実記述に驚くが)、奴隷制に対する怒り、ヨーロッパ白人の自責、を感じざるをえない。 いかにも、フランス人権革命をへている近代人、である(トクヴィルが米国調査(米国の監獄を調査目的として政府から出張が許可された)に出向いたとき、25歳だった。旧貴族の出身であるトクヴィルは、はやばやと俺たち貴族の時代ではないと、貴族身分を棄てた)。 トクヴィルの恩師ギゾーのソルボンヌにおける文明史講義録は、福沢諭吉『文明論之概略』の種本となった。
トクヴィルから数十年あと、明治革命を担った諸藩の下級武士(身分を失って、政府に仕官したのだからトクヴィルと立場は同じである)が大挙して欧米を1年以上に渡って見学旅行した。が、米国で、トクヴィルほどの民主政治や黒人、インディアン、白人の将来像について、深い認識には達していない。これが歴史の、差、であろう。
第十章から引用する:
『この空間(アメリカ連邦のこと)に広がって住む人々は、ヨーロッパにおけるように、同一の種族の子孫ではない。そこには生まれながらに異なり、ほとんど敵同士と言ってよいような三つの人種が一目で見出される。これらの人種の間には、教育と法と血統、さらには外見によって、ほとんど越えがたい障壁が初めからうちたてられていた。偶然によってこれらの人種は同一の地に集まったが、混ざり合っても一体化はできず、それぞれが別々に運命に従っている。
このように異なる人々の間で、最初に目に入る人、教育においても権力においても、また幸福においても第一の人は白人、ヨーロッパ人であり、彼こそがすぐれて人間なのである。その下に黒人(ニグロ)とインディアンが現れる。
この二つの不運な人種は生まれも外見も違い、言葉や習俗の点でも何一つ共通性がない。似ているのは両者の不幸だけである。住んでいる国の中で、どちらも同じように劣った地位にある。どちらも暴政の被害をこうむっている。境涯の悲惨さに性質の違いはあるとしても、その責任を問いうる相手はどちらにとっても同じである。
世の中の現実を見るにつけ、ヨーロッパ人の他の人種の人々に対する関係は、まるで人間と動物の関係のようではあるまいか。前者は後者を使役し、言うとおりにならぬとなると、これを滅ぼしてしまう。
アフリカ系の人々に対する抑圧は、彼らから人間に本来備わる権利をほとんどすべて一挙に奪ってしまった。合衆国の黒人(ニグロ)は自分の国の記憶さえ失った。父祖の話した言葉もわからず、その宗教を放棄し、その習俗を忘れた。このようにアフリカへの帰属をやめ、さりとてヨーロッパの恵みに与るいかなる権利も得ることもなく、二つの社会の間に留まり、二つの国民の中間で孤立したままである。一方からは売りに出され、他方からは見捨てられ、黒人にとっては不十分ながらも祖国の思いをいだけるものは、天(あめ)が下、主人の館のほかにはいない。
黒人は家族をもたない。女性を快楽の一時の相手としか見ることができず、子供は生まれたときから親と対等である。
人をして悲惨の極にも無感覚にさせ、ときには自らの不幸の原因に倒錯した好みを覚えさせることさえあるほど精神状態は、これを神の至福と言うべきか。それとも神の怒りの究極の呪いと言うべきか。
このように不幸のどん底に投げ込まれながら、黒人はわが身の不幸をほとんど意識していない。暴力が彼を奴隷の身にし、その後の隷従の習慣は彼に奴隷の思想と奴隷の野心を植えつけた。黒人は彼の暴君を憎む異常に崇め、自分を抑圧する者を卑屈にも真似して歓び、誇りに思う。
(以下略)』 p265-267
そして、大統領選挙勝利後の演説(11/24/2008)で、バラク・オバマは、こう宣言した:
「アメリカよ、我々はついにここまで来た
America, we have come so far」
追記:
<。。。(奴隷制度は。。) 米国の、負の歴史、である >
しかし、アフリカ黒人奴隷を三角貿易することにより荒稼ぎしたのは英国である。奴隷三角貿易による利益=原始蓄積、によらずんば、英国の産業革命はあり得なかった。資本主義の発端から、経済はグローバルだったのである。
時には母のない子のように あるいは、いまどきのグローバリゼーション http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-04-24
トクヴィル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB
ミシェルさん(オバマ夫人)の記事が昨日の毎日夕刊に載っていた。オバマの母さんは白人だが、ミシェルさんはシカゴの黒人貧困街で生まれた。猛勉強してバラク・オバマ氏と同じハーバードの法科大学院を修了。オバマもミシェル夫人も、原稿無しで何時間でも演説できるだろう。貧困と世の中の矛盾を知りつくしているからだ。
ミシェル夫人は「目標は母親司令官」と言っている。軍の最高司令官である大統領になぞらえ、子育てを最優先にする決意だ、という(毎日新聞)。
ミシェルさんの父方の高祖父は南部サウスカロライナ州の農園で働く奴隷だった。同じ黒人でも、ケニア人留学生だった父と白人の母の間に生まれたオバマ氏とは決定的に異なる。奴隷の子孫として差別されてきた黒人にとっては、ミシェルさんのホワイトハウス入りの意味は大きい(毎日新聞から)。
ニッポンの国会議員に自前で1時間の演説ができるのは何人いるか?
ゼロ、である。 利権にしか目がない七光りヤローばかり。
オバマ氏は支援者集会に行くバス代もだせなかった位の貧困時代を経験している。
岩波文庫の『アメリカの黒人演説集』は1830年から2005年のオバマ議員(議員になってから半年)までの黒人演説を収録。米国の、負の歴史、である。 この演説集の冒頭は、デイヴィッド・ウォーカーの訴え(1829)である。『奴隷制度のもとのわれわれの悲惨な状態』:
「。。さて私は天地に、とりわけアメリカ人に訴える。かれらとその子どもたちの支配のもとで、われわれの状況が<厳しい>ことはない、われわれが悲惨と苦痛の状態に結構満足してとどまっている、と喧伝して止まないアメリカ人に向かって訴える。じっさい、黒人の大統領、知事、立法者、上院議員、市長、法廷弁護士の実例を見せたことがあるのか。この偉大な共和国の全土においてさえ、黒人が就いている職は警察の最下級職の保安官か、陪審員席に座る陪審員ぐらいではないか。惨めな同胞の裁判だというのに!!!。。」 (p9)
トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫全四巻)。第一巻第二部第十章『合衆国の国土に住む三つの人種の現状と予想されるその将来に関する若干の考察』は、黒人とインディアン、それに白人の将来を考察している。たった9ヶ月の米国滞在、1831年頃(仏共和革命直後)、でよくここまで書き込めた、というほどの内容。黒人への同情と(ときに、そのあまりに冷静な、事実記述に驚くが)、奴隷制に対する怒り、ヨーロッパ白人の自責、を感じざるをえない。 いかにも、フランス人権革命をへている近代人、である(トクヴィルが米国調査(米国の監獄を調査目的として政府から出張が許可された)に出向いたとき、25歳だった。旧貴族の出身であるトクヴィルは、はやばやと俺たち貴族の時代ではないと、貴族身分を棄てた)。 トクヴィルの恩師ギゾーのソルボンヌにおける文明史講義録は、福沢諭吉『文明論之概略』の種本となった。
トクヴィルから数十年あと、明治革命を担った諸藩の下級武士(身分を失って、政府に仕官したのだからトクヴィルと立場は同じである)が大挙して欧米を1年以上に渡って見学旅行した。が、米国で、トクヴィルほどの民主政治や黒人、インディアン、白人の将来像について、深い認識には達していない。これが歴史の、差、であろう。
第十章から引用する:
『この空間(アメリカ連邦のこと)に広がって住む人々は、ヨーロッパにおけるように、同一の種族の子孫ではない。そこには生まれながらに異なり、ほとんど敵同士と言ってよいような三つの人種が一目で見出される。これらの人種の間には、教育と法と血統、さらには外見によって、ほとんど越えがたい障壁が初めからうちたてられていた。偶然によってこれらの人種は同一の地に集まったが、混ざり合っても一体化はできず、それぞれが別々に運命に従っている。
このように異なる人々の間で、最初に目に入る人、教育においても権力においても、また幸福においても第一の人は白人、ヨーロッパ人であり、彼こそがすぐれて人間なのである。その下に黒人(ニグロ)とインディアンが現れる。
この二つの不運な人種は生まれも外見も違い、言葉や習俗の点でも何一つ共通性がない。似ているのは両者の不幸だけである。住んでいる国の中で、どちらも同じように劣った地位にある。どちらも暴政の被害をこうむっている。境涯の悲惨さに性質の違いはあるとしても、その責任を問いうる相手はどちらにとっても同じである。
世の中の現実を見るにつけ、ヨーロッパ人の他の人種の人々に対する関係は、まるで人間と動物の関係のようではあるまいか。前者は後者を使役し、言うとおりにならぬとなると、これを滅ぼしてしまう。
アフリカ系の人々に対する抑圧は、彼らから人間に本来備わる権利をほとんどすべて一挙に奪ってしまった。合衆国の黒人(ニグロ)は自分の国の記憶さえ失った。父祖の話した言葉もわからず、その宗教を放棄し、その習俗を忘れた。このようにアフリカへの帰属をやめ、さりとてヨーロッパの恵みに与るいかなる権利も得ることもなく、二つの社会の間に留まり、二つの国民の中間で孤立したままである。一方からは売りに出され、他方からは見捨てられ、黒人にとっては不十分ながらも祖国の思いをいだけるものは、天(あめ)が下、主人の館のほかにはいない。
黒人は家族をもたない。女性を快楽の一時の相手としか見ることができず、子供は生まれたときから親と対等である。
人をして悲惨の極にも無感覚にさせ、ときには自らの不幸の原因に倒錯した好みを覚えさせることさえあるほど精神状態は、これを神の至福と言うべきか。それとも神の怒りの究極の呪いと言うべきか。
このように不幸のどん底に投げ込まれながら、黒人はわが身の不幸をほとんど意識していない。暴力が彼を奴隷の身にし、その後の隷従の習慣は彼に奴隷の思想と奴隷の野心を植えつけた。黒人は彼の暴君を憎む異常に崇め、自分を抑圧する者を卑屈にも真似して歓び、誇りに思う。
(以下略)』 p265-267
そして、大統領選挙勝利後の演説(11/24/2008)で、バラク・オバマは、こう宣言した:
「アメリカよ、我々はついにここまで来た
America, we have come so far」
追記:
<。。。(奴隷制度は。。) 米国の、負の歴史、である >
しかし、アフリカ黒人奴隷を三角貿易することにより荒稼ぎしたのは英国である。奴隷三角貿易による利益=原始蓄積、によらずんば、英国の産業革命はあり得なかった。資本主義の発端から、経済はグローバルだったのである。
時には母のない子のように あるいは、いまどきのグローバリゼーション http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-04-24
トクヴィル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB
2009-01-08 11:34
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