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サンケイ記事、【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】 を読む [Ethics]

サンケイが【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】と題してシリーズ記事を掲載している。


【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(1)「自己否定の末、自分主義に」 心理カウンセラー 星一郎
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080619/crm0806190743001-n1.htm

【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(2)「いかなる時代を生きているのか?」作家・佐木隆三
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080620/crm0806200752005-n1.htm

【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(3)哲学者・批評家 東浩紀
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080621/crm0806210821004-n1.htm

【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(4)評論家・小浜逸郎
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080622/crm0806220851003-n1.htm


●簡単コメント 1
幸か不幸か、彼は頭がよかった。サービス残業を課す一流企業。正社員、派遣社員を区別する経済界。経済的成功者を勝ち組とし、あおるマスコミ。世の不合理が見えたのだろう。膨大な書き込みで人を求めたが、彼は決して負け組ではない。恵まれない環境で、真面目に一生懸命頑張ってきた。そのことが素晴らしいのだ。そんな自分に「I am OK」と言えればよかったのだ。

 容疑者は世がどうあれ、罪を償わなければならない。問題は「自分主義」の世が、今後も同種の犯罪を誘発することだ。事件を私たちの共通課題としなければ再発は防げないだろう。

幸か不幸か? この心理カウンセラーは 「頭がよいのは、負け組にとっては、不幸。。」と言っているのである。加藤君!きみは負け組でなく、勝ち組なのだよ!安心しなさい、誇りを持ちなさい、と?

『恵まれない環境で、真面目に一生懸命頑張ってきた。そのことが素晴らしいのだ。そんな自分に「I am OK」と言えればよかったのだ。』

バッカじゃないのか? この心理カウンセラーは。せめて、自身で、1年間、派遣社員を体験してみるべきだろう。 (きっと、1月でネを上げるだろう)。

どこがOKなのだ?


●簡単コメント 2
時代といえば、格差社会について、改めて考えさせられる。6月4日に「県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ 高校出てから8年、負けっぱなしの人生」「勝ち組はみんな死んでしまえ」と書き込み、6日後に犯行におよんだ。25歳の若さで、「負けっぱなしの人生」とあきらめられたら、71歳のわたしなどは途方に暮れて、「君の人生はこれからだったんだぞ」と、おためごかしも言えなくなる。国家にとっても格差社会は、由々しき問題なのである。

 それにしても、人はこれほど簡単に絶望して、自己を破滅させるだけでなく、他者の未来まで奪えるものなのか。。。

 通り魔殺人事件には、模倣性・伝播(でんぱ)性があるから、いつ同じことが起こらないとも限らない。それが最も恐ろしいことで、なにをどうすればよいかわからないけれども、「いかなる時代を生きているのか?」と、真剣に考え込む必要があるだろう。」

佐木にしては、めずらしく、考え込んでいる。

25歳の若さで、「負けっぱなしの人生」とあきらめられたら、71歳のわたしなどは途方に暮れて、「君の人生はこれからだったんだぞ」と、おためごかしも言えなくなる

きみの人生はこれからだった? これからどうなるのか、嘘でもいいから予測してみたらいいだろう? オタメコカシでいいからさ。

 佐木が後期高齢者になるにはまだ間がある。シッカリ勉強してもらいたい。


●簡単コメント 3
筆者はここで「若者に気をつけろ」と言いたいのではない。むしろその逆である。年金や財政の破綻(はたん)、自己責任の倫理など、日本社会はある時期から若い世代の利害を軽視するようになった。少なくとも「負け組」の若い世代はそう思うようになった。その不満が鬱積(うっせき)し、無差別殺人までが共感を呼ぶ事態が生じている。この事態を打開するためには、事件を「心の闇」に押し込めることなく、共感の声も不謹慎と斬(き)り捨てることなく、彼らの負の感情に正面から向き合うしかない。つまり、若者の声に耳を傾けるしかない。

 筆者は容疑者の厳正な処罰を望む。被害者の無念は想像するにあまりある。情状酌量の余地はないし、英雄視も許されない。模倣犯による犯罪予告が現れているが、厳しく取り締まるべきだ。

財界のいいなりになって日雇い派遣法を通した国会や政府に 正義はないのだ。 この派遣法により、生活保護を必要とする若者や中年が大量発生することは目に見えていた。 これを犯罪せず、絶望から犯罪に及んだ若者に厳罰を、という東のような評論家はいかにも自己保身的でマスゴミ受けしそうである。

彼らの負の感情に正面から向き合うしかない。つまり、若者の声に耳を傾けるしかない。

耳を傾けなければワルサをするから、やむをえず、聴くのか? <負け組>とは誰の呼称だ?<負け組>は、望まなくても必ず生まれるのが現在のシステムなのである。

東ちゃん、あんたシステム評論家じゃなかったの?
若い、とおもっていたら、いつの間にか平凡な中年評論家に大成しちまって。。

若者にオモネって、その声を聞くんじゃないんだよ。聞かなきゃ暴走するから聞くのでもない。普遍的な正義の声、を聞いてよね。


●簡単コメント 4
なるほど彼は「国家」を標的にはしなかったが、それは、よきにつけ悪しきにつけ、現在の先進社会が複雑化して、一人の若者の脳裏に国家の輪郭を明確に刻みつけるような体質を持っていないからで、輪郭のないものを標的にはできない。しかし「アキバ」は、彼にとって、きらびやかでエネルギーにあふれた、恨みをぶつけるにまことにふさわしい、実在感に満ちた「社会」であった。半世紀前、左翼も右翼も元気なころ、社会党の浅沼稲次郎が右翼少年によって殺害されたが、彼がその時代に育っていたら、この右翼少年と同じような行動をとったかもしれない。
 加藤容疑者の行動パターンは、実に計画的で周到である。犯行2日前には福井まで赴いて武器を調達し、犯行前日に現地でソフトを売ってレンタカーを借りるための資金を調達している。前後のサイトでの発言も、「明日は運転するんだから、お酒は控えめに」などと、きわめて冷静である。孤独なテロリストの面影を髣髴(ほうふつ)とさせる。日本政府は今後、社会一般に対する抽象的な「恨み」を抱きながら、それによって連帯することのかなわなくなった現在の孤独な国内テロリストたちへの感度を研ぎ澄ますべきであろう。

小浜は、加藤容疑者を山口二矢となぞらえているが、これは全くの誤解である。山口二矢は日本愛国党所属のレッキトした右翼少年(当時17歳)であり、浅沼刺殺は政治テロ、である。加藤容疑者の場合は相手は特定されていない、だれでもよかったのだ。右翼による洗脳があったにせよ、中共=毛沢東を礼賛する社会党委員長浅沼を山口は憎んでいたのである。

よきにつけ悪しきにつけ、現在の先進社会が複雑化して、一人の若者の脳裏に国家の輪郭を明確に刻みつけるような体質を持っていないからで、輪郭のないものを標的にはできない>。。日本の非・正義なシステムを変えるために無差別に通行人を殺しても、かえってオノレの理想を実現するには、大衆=一般市民の同意を得るのでなくむしろ、逆効果になりかねない。。。。はず、である。が実際はそうなっていない。

日本政府は今後、社会一般に対する抽象的な「恨み」を抱きながら、それによって連帯することのかなわなくなった現在の孤独な国内テロリストたちへの感度を研ぎ澄ますべきであろう

恨みは抽象的でもなければ、<連帯がかなわなくなった>というのも事実では無かろう。そうみえるのは、マスゴミと学校教育が、市民としての政治感度をスポイルし続けた結果である。若者を<孤独な国内テロリストたち>と呼び、<国内テロリストたちへの感度を研ぎ澄ますべき>と警察・公安を督促しているのではないか?とおもわせる評論家を排出するようになったのは国家にとって慶賀の至り。国民とりわけ若い世代を勝ち組・負け組に分離し、将来の希望を剥奪し、財界の要請により、財界と結託した議員官僚らがでっち上げた 奴隷的=派遣法を堂々と通過させることこそが、テロ的行為なのである。

奴隷法~派遣法に苦しんでいるのは若者だけでなく、その家族でもある。貧困層がどんどん拡大し、虚無と諦観が満ちているの、それに気づかず目先の利益ばかり追う財界のいいなりになって知らん顔を決め込む為政者たち。

そのツケはいずれ払わされるのである。誰が?



浅沼委員長刺殺事件と報道
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no3.htm



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コメント 5

reiko

事件のとき 負傷者を介護中に 自らも後ろから刺されて
一時重態に陥った タクシー運転手さんが
自室だという 小さな部屋で
とつとつとした口調で インタビューに答えていました。
曰く「加害者もかわいそうだ。負け組みだというけれど
自分に負けたんだなあ」
曰く「19歳で殺されてしまった被害者はかわいそうだ。
より 歳をとった自分が替わってあげてもよかったかもしれない」
ご自分も生活が一変したでしょうし
まだ、夜は眠れない痛みがあるそうです。
その淡々とした口調に 
どんな学者や評論家の分析も 色あせるようでした
そのインタビューを聞いて ちょっとショックを受けました。。



by reiko (2008-06-28 13:13) 

古井戸

僕もこのインタビュを聴きましたよ。
退院したがまだ痛みは取れず、田舎に帰って、病院の治療を継続するという。
遺族全員の考えをしっているわけではありませんが、もう一人息子に死なれた父親がTVに出ていました。冷静な意見をのべていました。こういうことが起こる社会にしてはいけない、と。

通常、労働者は企業で働きました(数十年前ですが)。労働者は社員、でした。連帯感があったということ。社員同士には連帯感があり、人生の重要な時期を同僚として過ごしました。しかし、ハケンになったらどうなるか。互いに敵同士です。正社員とは同一労働なのに賃金の格差は激しい。ハケン社員同士は互いに明日の雇用もままならないもの同志。

ハケン法とは労働者をモノ扱いする法律です。加藤容疑者が、トヨタの下請けで働いていたことは偶然ではないでしょう。

ジャストインタイム化が人間の雇用まで及んできた。つまり、人間を労働ではなく労働力としてバイバイすることの帰結が現代の日本です。

農業社会から工業社会へ、情報化社会へ。家族から共同体を経由して、プロレタリアートの世界に。家族も共同体も壊れ、職場でも人間は孤立するようになった。 人間は 孤立して生きていけるものなのか。

自由社会、とは、孤立社会では必ずしもありません。孤立した人間が一生を生きていくには、欠けているモノが多すぎ、これを国家が救うには膨大なコストがかかる。。。未検討なことが多すぎますね。イージーな政策のツケは我々に降りかかってきます。
by 古井戸 (2008-06-28 22:57) 

reiko

正規雇用を望む若い人に それが与えられないのは
本人にとっても 社会にとっても とても不幸なことだと思います。

聖書のマタイの伝承に 「ぶどう園の労働者」の話があります。
一日1デナリという仕事、
朝から働いた人にも、昼からの人も、夕方1時間だけ働いた人にも 
主人は1デナリを支払います。
丸一日働いた人が不平をいうのですが 雇い主は
「自分はそうしたいのだ。自分のものを好きに使ってはいけないのか、
それとも 私の気前のよさを妬むのか」
とつっぱねるのです。
たしか 聖書解釈の教訓は 別のところにあるのですが
2000年前から 労働と分配の問題は 悩ましい問題だったのだと
思い出しました。

加害者の青年は 娘と同い年なのです。
非難されている加害者の母親は 私と同年輩です。
加害者の青年の孤独にも 母親の気持ちにも
胸をえぐられるような同情を覚えます。




by reiko (2008-06-29 21:23) 

古井戸

まさに、その<この最後の者にも>です。マタイ。
マルクスと同時代たるラスキンの思想こそ、いまわれわれが立ち返るべきものです。
http://sabasaba13.exblog.jp/5016261
http://yosim.sakura.ne.jp/kin/2006/06/post_17.html

内村とラスキン
http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/ruskin.htm


ruskin
http://socserv.mcmaster.ca/~econ/ugcm/3ll3/ruskin/ruskin


by 古井戸 (2008-06-29 23:51) 

reiko

’オリバー・ツイスト’と同じ
経済的 社会的 ステータスの不安定さもさながら
彼の辛さは 精神的 ステータスの不安定さにあったように思えてなりません。
なぜ もう少し社会を広く見渡せなかったのか
なぜ 現実の出会いを求められなかったのか。。

by reiko (2008-07-01 23:17) 

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