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さまざまのこと思ひ出す [Cinema]

NHK BSで、また、『黒澤明特集』をやりだした。今年中に黒澤映画全30本を放映するという。
 
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黒澤映画のなかで忘れられないのは『椿三十郎』である。

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私の中学2年の頃、同じクラス、クラブ(軟式庭球部)も同じの、U君という仲のよい友人がいた。彼は大の映画好き、とくに西部劇に狂っていた。田舎のことだから西部劇を見ようと思えば広島市の映画館に行く他はない。彼はよくでかけたらしい。彼が広島で見た黒澤『用心棒』が忘れられず、その続編『椿三十郎』が、わが田舎町に一軒だけあった準封切り映画館に掛かっているのを見つけ、見にいこう、と私を誘ったのである。当時、中学校はなぜだか、映画館に行くことを生徒に禁じていたのだが。週末に二人でギーコギーコ自転車をこいで家から4キロ先にある映画館まででかけた。当時のチケット代、大人40円、子供(中学生以下)20円。

椿三十郎は悪役の仲代が素晴らしく、用心棒をしのぐ出来である。ラストの決闘も素晴らしい。

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実は小学生のとき『隠し砦の三悪人』、中学一年のとき『七人の侍』を学校で観ていたのだが、講堂や体育館での映画鑑賞会だから、外光は漏れ入るし、スクリーンも白い布の皺がきになり条件が悪かった。この二本が、あの黒澤映画であると知ったのもずいぶん後のことである。


以後、わたしも黒澤映画のファンとなりすべてみることになったが、劇場で観たのは、U君に誘われて、いまは消えた田舎の映画館でみた椿三十郎だけ、である。

U君はその後、小学校教師となり、田舎の周辺の町で教師をやったあと、故郷の町の小さな小学校の校長になった。私たちが小学生のころ200~300人いた学校だが、彼が校長として戻ったころは、全校生徒1~6年をかき集めても一クラス編成するのがやっとであった。その小学校は、映画館があった場所から50メートルも離れていない。映画館はとうの昔に潰れていた。私たちが椿三十郎を見た頃、日本全体で年間の映画観客数が10億人を数えた。しかし、この数年をピークとして、以降、5年で約半数に減少した。用心棒、椿三十郎の頃、テレビが日本中の家庭にあっというまに拡大し、映画館から客を奪ったのだ。田舎の我が家にもこのころ、やっと、テレビが入った。

080407_1004~01.JPG わが故郷。昔、映画館があったんじゃけの。 



校長になってしばらくしてU君が病気で亡くなったと、田舎の母が知らせてくれたのは、十数年前のことである。田舎の中学校から百メートルも離れていない墓所にご両親が建てられた立派な墓の下で彼は眠っている。




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さまざまの事おもひ出す桜かな              芭蕉




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コメント 4

reiko

桜。
11月に始めの危篤となった父は 5回目の危篤は乗り切れず
東京の開花宣言の日に他界しました。
旧家の長男として 多感な時期 終戦をすごした
多くを語らない 内省的な人でした。
客観的には さぞ苦しかったろう、と推察できるものの
最期の二日以外は 何も病苦を訴えなかった父でした。
延命措置はとらないと 互いに母と約束を交わしていたそうですが
応急にしろ、付けた装置ははずせない、とのことで、管だらけ。
ただ、家族は11月に父の命の完結の覚悟を医師から告げられていましたが
父は いつ 覚悟があったのだかわかりません。
少なくとも2月中旬までは 本人に退院の意志があったと想像しています。
どこまでの延命措置が正しいのか、
当事者以外には 本当にわかりませんね。。
でも、当事者の思いも千路乱れ、主観は客観には程遠く。。
その管の鬱陶しさと 延命措置のに苦しみに耐えた 最期の二週間でした。
私は転勤族の妻ながら 
たまたま帰京直後で 仕事もなく東京に居合わせ
父の寝付き始めの三年、近所の病院に入院しての四ヶ月、帰天前の二週間、
娘として 幸せな濃密な時間を過ごすことができ 幸せでした。
幸せ、というより 幸運だったというべきでしょう。
自分の人生について考え、
自分という人間をみつめることができた時間でした。
貧しさ、富、についてもしみじみと思い、
老いについても 覚悟を迫られた時間でした。
最後まで 子に 学びを与え続けてくれた父に感謝しています。
病室では ただ’居る’ことが意味をもつ時間が長く
以前 シーザーの死の巻で止まった文庫「ローマ人の物語」は
29巻まで読み進み
それは目の前で静かに繰り広げられた人生、生死、のドラマに
多少の客観性を持つことを促してくれました。
来年から、桜を観る気持ちは今までとは違うと思います

by reiko (2008-04-10 10:31) 

古井戸

父は3年前に亡くなった。
父親と娘の場合、と、父親と息子、の場合は事情が異なるようです。わたしは、父親と死ぬまでついに和解しなかった。親不孝息子だったとおもいます。古い世代だから(大正9年。加藤周一とおなじくらい)母には厳しく当たった(そのせいで、長く父になつかなかった)。農作業をやらせたら母親には全然かなわないくせに、威張っていたね。

医者からあと1年、長くて3年、といわれた(病名=間質性肺炎)。経過がよく、ひょっとして誤診断か?とおもっていたが、3年前の今頃から入退院を繰り返しだした。図体はでかいが、足が弱っていたので、車椅子でベッドから出入りできるように、家を改造せねばならんなあ。。と弟と電話で話していた、ある夏の真夜中。弟から電話があって、親父が死んだ、と。

ベッドから転がり落ちて死んでいたそうな。

ブログ記事『蟻の兵隊』のお終いのところに少し書きましたが、父は日支戦争に志願した。戦争のことも聞こうと思えば聞き出せたのだろうが、結局なにも話さなかった。戦時中からいままで毎日、日記を欠かしたことのない母にも、原爆で見たこと、聞いたことを詳しく書き残して死んでーよ、と言うているのだが。
by 古井戸 (2008-04-14 17:12) 

kyoka_nk

たくさんのこと
思い出して
受け入れた
父母の思い
長かった反抗期の終わり


こんにちは!古井戸さん、お久しぶりです。
知り合いの関連でSo-netブログを導入したんですが、なかなか書き込めずにいましたが、こちらの記事ではコメント欄にて加藤周一氏のお名前も散見されましたので、思い切って書き込みました。五行歌は二月頃の作です。時間がある折りにでもまたときどき読みにきますー!
by kyoka_nk (2008-04-26 14:36) 

古井戸

サクラ散り
 青葉燃え
  我が人生燃え
    やがて散り
       サラバ人生


さう゛ぃすぃ。
by 古井戸 (2008-04-28 10:18) 

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