SSブログ

深刻なのは皇室評論家のドタマである  親子喧嘩は犬も食わない [Joke]

毎日新聞3/27の夕刊『雑誌を読む』で、中西寛という京大教授を名乗る人(国際政治学)が皇室評論をやっている。いわく:

        『深刻さを増す皇室問題』


「二月に羽毛田宮内庁長官が皇太子の参内の少なさを指摘した発言は、皇室が抱える問題の深刻さを改めて印象づけた。もはや問題はゴシップの段階を越え、政治的対応を要する時なのかもしれない」

。。だと。笑ってしまった。


月刊誌文藝春秋4月号のこの座談会は私も書店で立ち読みした(私も、わりと、コーシツ問題、きらいじゃないのである)。保坂正康、斎藤環はじめ5~6人の皇室問題専門家らしき常連が、この問題を論じている。

         「引き裂かれる平成皇室-激震、天皇家に何が起きている」 
(座談会出席者)  保阪正康、御厨貴、高橋紘、斎藤環、原武史、松崎敏弥/


皇室問題は家庭内問題である。周囲がガタガタ言う必要のない問題。秋篠宮がこの1年で45回も参内、天皇に挨拶に出向いて、孫の顔を見せてご機嫌取りしているのに、皇太子夫妻ときたら一月一回もあいさつにこない!来ると約束したのに来ないのはキライダ~!と、トッちゃん坊やな天皇が騒いでいるだけのことである。それにお調子者の宮内庁長官がばかなことに記者会見を開いて家庭問題(親に孫の顔をしょっちゅう見せなければならない、という規則がどこにあるのか?)に口出しして恥をさらしているのである(おのれの恥、であって、皇室一家の恥でもない)。


中西寛は
「。。昭和天皇と現天皇は、開かれた皇室を目指すことで大衆民主主義と共存する象徴天皇像を定着させた。
しかし、大衆社会の高度情報化によって今日、皇室は私的部分の保護と大衆からの受容の両立に苦悩し、孤立状況に陥っているようである」

どこが孤立状況だ?皇太子、皇太子妃に、男の子供を作れとやいのやいの馬鹿共が騒げば孤立するに決まっている。これは人間の正常な反応である。馬鹿な人間を避けて誰にも会いたくない、というのは真っ当な態度であり、これをとやかく言う親や兄弟親戚、クナイチョー、ヒョーロンカ、マスゴミのほうがどうかしているのである。皇室というのは存在さえしていればいいのであって、国民の前に姿を見せなければどうこうなる、というものではない。どう行動しようと本人、あるいはたかだか家族の勝手である。皇室内神祇をサボろうと省略しようとこれは家庭内問題である。

ところが、この中西寛という学者は、中央公論の対談で園部逸夫と水谷三公が論じているらしい「。。皇室典範改正について、皇位継承問題だけでなく皇室のあり方、伝統儀礼の継承を含めて議論を積み重ねておく必要を説き、恒常的な研究機関の設置を提案する」を引用する(これに中西は、賛成らしい)。

余計なオセッカイをしたガルヤカラがどこの世界にもいるモノである。よその家族(皇室)に余計なオセッカイなどするな。

皇太子・皇太子妃はいまのままの生活をしていればよい。人の前に出てちゃらちゃらするのが開かれた皇室、ではない。自分の生きたいように生きればいいのである。国民に何か伝えたいのなら、ブログを作り、日本や海外にメッセージを発信すればよかろう。雅子妃も出て来て国際問題などお得意の分野で考えるところをのべればよかろう。


月刊誌では、文藝春秋、中央公論、諸君の4月号がお節介な記事や対談をやっているようである。皇室問題専門家を名乗るやからがオレラの領分~飯のタネが無くなっては困る、と騒いでいるだけ。やることがずれている。まず、お節介な宮内庁の所管を大幅削減して、ウルサイ宮内庁長官など解職スベキである(注)。

 (注) 考え直した。こういう時代、アホの一人や二人いないとおもろくない。クナイチョー長官にはこういう人物がピッタリなのかも知れない。よって、留任を命ず。


中西寛は「雅子妃に関する論争は「うつ社会」ニッポンの縮図なのかも知れない」と言っている。馬鹿言ってるんじゃない。男の子を作れ、とギャーギャー騒がれても身体と精神の平衡を保てるのは宇宙広しとはいえ、シガニーウィーバーくらいであろう。テメーを含め、基本的人権の キ、の字も自覚のない ヒマ人が 他人の家族のことに口出ししている、「ヒマ社会」ニッポンの、縮図なのである。なにが<論争>か、馬鹿馬鹿しい。

あ。。おれも こんな馬鹿に付き合ったりして。。。ヒマしてたね。


そもそも天皇家は明治以来、というより、大昔から伝統的に、家族問題のオンパレード。家族内紛争で戦争までやるのが天皇家の伝統である。文藝春秋誌の座談会にも出席している原武史の岩波新書新刊『昭和天皇』によれば、昭和天皇と貞明皇后(大正天皇妃)は対立のし通しであった。なにかとシキタリにウルサイ母親に対立したのが戦前の昭和天皇である。半生は母との対立に費やされた。しかしこれは、現在はともかく戦中から戦後すぐにかけてどの家庭でも珍しくもないパターンである。 (いまの皇太子との違いは何か?想像するに、優れたサポータがいないことだろう) 太古の昔より、親子の対立によって人間は鍛えられてきたのだ。ただし、孫の顔を祖父ちゃんに見せる回数が少ない、などとダダをコネたりする天皇は、史上初かもしれない。(ドナルドキーンの『明治天皇』には、最初外国人の前でひと言もしゃべれない、平々凡々たる恥ずかしがり屋の一少年・青年が教育と経験により「国際派」天皇に急成長し、一国の政治、外交、財務に強い意見を述べるようになる過程が描かれている。昭和天皇しかり。メーキング・ザ・エンペラー。要は、制度と教育なのである。すなわち、宮内庁は、戦後という時代と制度、天皇教育がなんであったか、を、考えてもいないことを曝露していることに気づいていない。代々の宮内庁長官はもっと冴えていたはずである。明治天皇、昭和天皇、平成天皇と並べて、それぞれニッポン国の置かれた国際環境・歴史、国内環境、政治制度~憲法、皇室制度、天皇の役割、それに天皇が受けた教育を比較すれば、<お世継ぎ問題>を含め、現在のような天皇~皇太子ができあがるのは想定内、まったく不思議でもなんでもない。問題でもないモノを問題とし、その原因を個人の資質に還元しようとする安直さは呆れるばかりである)。天皇家もヒマになってきたようで、平和な証拠、結構なことです~。。と、原武史もチャンと座談会で言ってやればいいものを。サスレバ、こんな座談会は一分=60秒で終わる。コーシツ評論家はもすこし、孤立し、鬱屈したほうがいいかもね。


ノーターリン・ニッポン、ニッポン・ノーリターン♪と世界から揶揄されているのも、もっともである、と納得せしめるニュースではありますね。すなわち、問題なのは思考力・対応力のない宮内庁と評論家・マスゴミなのである。

       『深刻さを増す宮内庁とコーシツ評論家・マスゴミ』      
    
。。そーゆーこと。


追記。
一昨年?の女帝を認めるのか認めないのか。。という議論はどっかに消えてしまったようである。問題はなーんにも解決していないのに。
再度、わたしがもっともマトモだ、と考えている社会学者橋爪大三郎の皇位継承問題にかんするコメント(朝日新聞夕刊に投稿されたもの)をかかげておく。http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-04-15-1


以下、社会学者橋爪大三郎が2005年5月30日朝日新聞夕刊に<女帝議論のために>発表した 『血統より存続願う伝統』<「万世一系というトリック」 皇族の人権  尊重を> と題する短文である。 抜粋・引用する。


##

わが国の天皇システムは、王権の一種である。

王権とは、王がいて、人びとを(たとえ名目的にでも)統治し、その地位を血統によって世襲するものをいう。世襲はそれなりに厳格なルールに従う。

なぜだろう。それは、つぎに即位できる人間を、王の近親者ごく少数に限っておかないと、人びとが納得しないからだ。王の血統は尊い、だから王子は次の王にふさわしい(誰でも王になれるわけではない)、という観念がこれを補強する。

この結果、王の血統は、しばしば断絶する。

即位できる人間の範囲を広げても、女王の継承を認めても、断絶を防ぐことはできない。そもそも、王位を継承できる人間を、王の近親者ごく少数に限るのが王権だからだ。

イギリスを例にあげても、王朝が何回か交代した。これは、人びとが王権をないがしろにしたからではない。むしろ、王権を承認し、王の血統を尊いものと考えた結果だ。王の血統を尊いと考えるから、ふつうの誰かを王にできないのである。

では、王朝が断絶したら、どうすればいいのか。

よくある方法は、よその国の王(または王族の誰か)を連れてきて、新しい王になってもらうことである。あちこちに王家があった時代は、こういうことがやりやすかった。国内にやんごとない血統の貴族がいたら、貴族に頼んでもよい。

王朝の連続性が途絶えても、統治される側の国民の連続性が保たれていれば、問題ない。これも王権のあり方なのだ。

<柔軟性もつ継承ルール>

さて、これらを踏まえて、天皇システムを考えてみると、どいうなるのだろうか。

まず、明瞭な王朝の断絶(交代)がない。これは、継承のルールがかなり「柔軟」に適用されてきたことをいみする。たとえば、天皇にはふつう妻にあたる多数の女性がいて、誰が産んだ子も皇位を継承できた。教会が認めた正式な結婚の子でないと、王位を継承できないキリスト教圏とは違う。また女帝も決して一時しのぎではなく、皇位継承の選択肢のひとつだった。

王朝が断絶しないのは、誰が天皇になるべきかについて、厳重な規則がないこと、つまり、誰であれ天皇が続いてほしいと人びとが願ってきたことをいみする。裏を返せば、天皇の血統そのものを尊いと考えているわけではないのである。

この伝統を、明治政権は「万世一系」とよび換えた。皇室典範では女帝も禁じた。継承のルールがあいまいでだらだら続いてきただけのものを、あたかも西欧の王家のような男系の血統が伝わってきたと見せかけるトリックである。日本人自身もこれを真に受けてしまった。

いまの皇室典範は、ルールが明確だ。だから、適当な皇位継承者がいなくなる「お世継ぎ問題」が起きる。では女帝を認めることにしようかと、人びとはあわて始めた。「誰であれ天皇が続いて欲しい」という、昔ながらの発想である。

<共和制移行の選択肢も>

天皇の血統が断絶して何が問題なのかと、私は言いたい。

天皇システムと、民主主義・人権思想とが、矛盾していることをまずみつめるべきだ。

そもそも皇族は、人権が認められていない。結婚は「両性の合意」によるのでなく、皇室会議の許可がいるし、職業選択の自由も参政権もない。皇族を辞める自由もない。公務多忙で、「お世継ぎ」を期待され、受忍限度を超えたプレッシャーにさらされ続ける。こうした地位に生身の人間を縛りつけるのが戦後民主主義ならそれは本物の民主主義だろうか。皇位継承者がいなければ、その機会に共和制に移行してもよいと思う。

日ごろ皇室を敬えとか、人権尊重とか主張する人びとが、皇族の人権侵害に目をつぶるのは奇妙なことだ。皇室にすべての負担を押しつけてよしとするのは、戦後民主主義の傲慢であろう。皇室を敬い人権を尊重するから、天皇システムに幕を下ろすという選択があってよい。

共和制に移行した日本国には天皇の代わりに大統領をおく。この大統領は、政治にかかわらない元首だから、選挙で選んではいけない。任期を定め、有識者の選考会議で選出して、国会が承認。儀式などの国事行為を行う。また皇室は、無形文化財の継承者として存続、国民の募金で財団を設立して、手厚くサポートすることを提案したい。

## 橋爪論文、引用終わり。

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

prinprin@いちご

お考えに感心しました。
by prinprin@いちご (2009-04-19 14:33) 

きらり

戦後処理に区切りをつけて皇室解体をするといい。
時代錯誤もはなはだしいような議論にこれ以上知性のある現代人は
かかわりあいたくない。
天皇陛下もひたたれをぬげば、どっかの田舎のおっさんと変わりない。
万世一系だと?いいかげんにしろ!
by きらり (2012-03-09 16:02) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。