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グローバル・キャピタルはビター味 [history]

                           

今朝配信されたメルマガを紹介する。

チョコレートの真実-復活した奴隷労働」2008年01月19日(土) 萬晩報、伴武澄

http://www.yorozubp.com/0801/080119.htm

内容を一部引用:

キャロル・オフ『チョコレートの真実』(英治出版)を読んだ。チョコレートの原料のカカオ豆の主産地はガーナだとずっと思ってきた。日本に輸入されるカカオの場合は正解なのだが、70年代からコートジボワールが最大の生産国に変わり、いまでは世界生産の35%を占める。かつてガーナがトップだったころはアフリカが価格支配力を持っていたが、悲しいことに今ではカーギルなど世界の食糧メジャーが支配する。

 カカオだけでない。綿花や砂糖など多くの商品作物の生産は暗い過去を引きずって来た。奴隷制である。アフリカの奴隷が長くその生産を支えてきた。19世紀に欧米諸国が奴隷制廃止を決めてからも、中国人クーリーなど奴隷制に近い労働実態が続いた。

 戦後、アジア、アフリカ諸国が相次いで独立を達成し、人身売買を含めて奴隷制は地球上から姿を消したものだと思っていた。この本は1990年代にコートジボワールに復活した奴隷労働を告発する。しかも相手は少年や子どもだった。

 

NGOであるACE(Action against Child Exploitation)は1年前に記事にしていた:

http://acejapan.org/modules/tinyd8/

##引用

チョコレートの由来

実はカカオは2000年の歴史を持つ食べ物で、正式名はラテン語で「神々の食物」という意味。通貨として使われていた(うさぎ1匹=10ココア、等)こともある貴重なものでした。カカオの木は赤道から南北15度以内の地域でしか育たないのですが、16世紀にスペインに持ち込まれ、王族の飲み物としてヨーロッパに流通した後、1828年にオランダでココアパウダーが開発されると、1875年にはスイスでミルクチョコレートが登場。こうして、庶民に親しまれる製品としてチョコレートは600億ドルの世界市場を持つようになりました。

現在カカオ豆を生産している主要国のうち4カ国が西アフリカ(カメルーン、ガーナ、コートジボワール、ナイジェリア)に集中していて、ここでの生産は世界の生産高の約7割を占めます。中でも世界の43%の生産量をかかえ、国民の3分の1がカカオかコーヒー栽培に関わっているという国が、コートジボワールです。

人身売買され、カカオ豆農場で働かされる子どもたち

2001年4月13日に西アフリカのギニア湾で、10~14歳の139人の子どもを乗せた船が消息を断った事件が報道されました。この船に乗っていたのは、近隣の国から連れて来られた子どもたちで、ベニンからガボンに入り、そこからコートジボワールなどのカカオ豆農場で働くために売り渡されるところだったといいます。報道によると、この船は目的地であるガボンの港で上陸を拒否されたためベニンに引き返したのですが、その時船には23人の子どもしか乗っていなかったそうです。処分に困った船長が子どもを投げ捨てたと疑われていましたが、真相はわかっていません。このようにして、労働者として人身売買される子ども、そしてカカオの栽培に児童労働が使われていることが世界中に知れ渡りました。

##

 

Forbes.comの記事が翻訳されている。2006年4月。「奴隷によるチョコレート?」

http://www.ftrc-jp.org/news/Slave%20Chocolate.pdf

一部引用:

##

ネスレCEO であるペーター・ブラベック氏が言っている。「ネスレがその農園を所有しているわけじゃない。」彼は、このスイスに拠点を置く多国籍企業への、7 年も続く抗議活動に苛立ちを隠せないようである。「あの国は内戦状態だ。知らないだけで、ほかにも人権侵害に当たる行為はあるかもしれない。」彼は、ネスレがコートジボワールからカカオを買わなかったら、きっと事態は更に悪化していただろうと言っている。


米国務省の報告によると、コートジボワールでは、約21 万5 千人の子供が路上暮らしをしており、教師はわいせつ行為と引き換えに生徒によい成績を与え、また人身売買に対する法律もない。
ワシントンを拠点とするチョコレート業界団体は、西アフリカにおける児童労働を批判している。欧米の抗議団体は、奴隷農場の状況をビデオテープに録画した。人身売買によって強制労働をさせられている12 歳の子供たちの悲痛な体験談も録画されている。彼らは高収入と楽な職場環境を約束された。原告の一人、隣国マリ出身の男の子は、コートジボワールでのカカオ農園の話にうまく乗せられたと言う。「逃げようとしたけれど、捕まえられて罰として足を切られた。そして傷跡が治るまでの数週間、働かなければならなかった。大きな部屋で他のマリ出身の子供と一緒に暮らした。」と苦境を語った。
彼を知る少年の証言では、別の男の子が奴隷としてやってきたので、彼は解放され、マリ大使館へ自力でたどり着いたという。マリの外交官が少年たちが家に帰るのを手伝ったということだ。
5 年前、トム・ハーキン上院議員(民主党 アイオワ州)は、アフリカでの児童奴隷のカカオ栽培に関して疑惑を抱き調査を開始した。彼は、米国内で売られるチョコレートには「奴隷が関与していません」と記載されたシールを貼る法律を提案した。法律は、成立はしなかったものの、ネスレはそのメッセージを受け取った。ネスレ、その他大手のチョコレートメーカー、ILO そして非営利団体は、2005 年7 月までに、搾取、児童奴隷でないチョコレートを認証する制度を確立することに調印した。

##

 

資本は労働者を生かさず殺さず、毛穴から生き血を搾り取る、と述べたのはマルクスである。それは当時のロンドン、現在のアフリカまで旅せずとも極東ジパングで、われわれが眼前にしている光景である。

 

ビターやで

グローバルキャピタルは。

 

 

この味がいいね

 とアナタが言ったから2月14日は

     児童奴隷記念日

     コートジボワール記念日

     チョコレート革命

 

  

関連ブログ記事: 

『フリーター漂流』 あるいは エンゲルスのこと

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