わかっちゃいるけどやめられなかったオトコたち [history]
去年秋、NHK ETVでチェゲバラ伝を講義していた戸井十月が、今朝、TBSラジオで自著を紹介していた。植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」 戸井 十月。昨年十二月発刊の新著である。
戸井によれば植木の家は代々寺をやっており(浄土真宗か?)、オヤジも寺の住職だった。オヤジは共産主義運動にも入れ込んでおり、植木が小学生のとき、オヤジが警察に逮捕され檀家回りができなくなった。そこで急遽小学生の植木が覚えていたお経を称えながら檀家を回った、という。植木は元もと歌手になりたいとおもっていた。とくに、ペリー・コモにいかれていたらしい。あるときふと、口にした、
すいすい~っと。。
というフレーズを仲間の渡辺(のちのナベプロ社長)が聴いてこれは歌になる!と、青島に作詞させた。ペリー・コモを目指していた植木はこんなふざけた歌を唄えるか!と抵抗し、オヤジに相談をした。植木の父親は、「わかっちゃいるけどやめられない~」という台詞は親鸞上人の教えに通じるところがある、おまえ、是非唄え!と説得されたらしい。
クレージーキャッツが流行ったのは私の中学時代。九州に修学旅行に出かけて帰ったその日、ちょうど田植えが終わった頃、わが田舎のイチバン美しい季節であるが、TVでクレージーキャッツ公演を放映していて、疲れも忘れゲラゲラ笑い転げたのを覚えている。
夕べ、ビデオをつけっぱなしにしていたら録画したまま放っていた稲尾投手(西鉄)の追悼番組になって、見入ってしまった。
稲尾に関しては想い出がある。私は名古屋で学生時代を送っていたが、あるとき軽食をとりに入った喫茶店で読んだスポーツ紙の記事が忘れられない(72~3年頃か)。当時、中日は弱く最下位をうろうろしていた。稲尾はそのころ、中日の監督をやっていた。伝統的に中日は広島に弱かった。広島遠征の夜間ゲームでカープにコテンパンにやられた深夜、広島市内のナイトクラブでひとり酒を飲んでいた稲尾が、突然、嗚咽し始めた、というのである。稲尾と知っている周囲の客はカープファンばかりだったろう。店内は粛然とした、ということだ。
稲尾追悼番組で、先輩である西村氏(西鉄投手)の語るところによれば、稲尾は責任感のあるオトコだった、と。西鉄の同僚・池永投手が野球賭博問題でプロ球界を永久追放になったが、稲尾は「おれにも責任がある」と、池永の名誉回復を訴えて関係者に働きかけを続け、ついに処分が解かれるに至った。
チェ・ゲバラの日記。読んだのは60年代末の正月。炬燵で寝っ転がって読んだ。母がその前年の秋、脳溢血で倒れ、ヒロシマ市内の病院で療養中の正月。オトコだけのわびしい正月、であった(母は奇跡的に回復した)。ゲバラはボリビアで革命運動を起こすべく、数十名のゲリラ部隊(出来のわるい兵もおおかった)を率いてボリビア山中を行軍した。その日々の記録が『ゲバラ日記』である。日記が途切れた日がボリビア軍から攻撃を受けた日だろう。チェは捕えられ銃殺された(その数年後に公開された映画『明日に向かって撃て』のラストを想い出す)。チェはキューバ革命をカストロと共に戦い産業大臣として建国にたずさわった。カストロと別れてボリビア革命運動に身を投じたがカストロとは、仲間割れだったのかどうか(カストロは無論、否定している)、未だ真実は明らかになっていないようだ。その年の正月、併せて読んだのは丸山真男『日本政治思想史研究』である。門外漢のわたしが、最後の行まで一気に読みおおせたのは著者の、氷をも溶かすほどの意志を行文に感じたからだろう。
チェ、も、
稲尾、も、
植木等も、
親鸞も、
わかっちゃいるけど、やめられなかった、のだろう。
カストロは、一昨年だったか演説中に倒れて政界引退か。。とおもわれたが最近また復活した、という話をきいた。わかっているならやめてほしい。
そうです、ほんと、わかっちゃいるけどやめられません。
あっ、遅くなりましたが、今年もよろしくお願い致します。
毎回楽しみに読ませてもらってます。
by maji (2008-01-17 11:59)
昨年2月久方ぶりにツーフーが左足首を襲撃したため、禁酒を決断。1年になります。
私のバヤイ、
わかっているから、やめちゃった、
。。ということでしょうか。
なかなか常人にはできないことですィすィ、す~だらだった~、
す~だらだった酔、酔っと、
キタモンダ。
by 古井戸 (2008-01-17 21:11)