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報復の連鎖を絶つ  二〇〇七年八月六日 [戦争・原爆]

                                    

                                                                                      

原爆慰霊式@廣島

秋葉市長の追悼演説(平和宣言)はおざなりでなく、毎年聴かせる。 しかし、小学校六年男女による追悼メッセージ(誓いの言葉)の迫力には今年も及ばなかった。問題は核兵器ではない、ということを忘れぬようにして欲しい。問題なのは報復思想である。この日、誓いの言葉で、少年少女が指摘していたことだ。

少年少女たちの声が、彼らの成長とトモに、物わかりのヨイ思考とコトバに変わっていくのはなぜか?

 朝日新聞8/6特集。ジョナサン・シェルJonathan Schell(米国、元ニューヨーカー誌記者)http://www.pcf.city.hiroshima.jp/declaration/Japanese/2002/2002words/vol05J.htmlが発言している@国際平和シンポジウム、基調演説@2007/8/4@廣島:

 

「私の国が62年前にここでしたことは決してするべきことではなかった。どの街に対しても、いかなる状況下でも、決して繰り返されるべきではない。

45年夏の廣島を洗浄とは呼べない。あの日、戦いと呼べるものは皆無だった。逃げる兵士も追いかける勝者もいない。あったのは、一機の飛行場と一発の爆弾、そして廃墟になった街だった。ほとんどの犠牲者は民間人だった。」。

 朝日新聞、8/6/2007

 

 しかし、最初から戦場であった場所など地球上、いずこにも存在しない。南京、上海、重慶、徐州。。。ベトナム、朝鮮、バグダッド、しかり。戦場にしたのは人間たち、なかんずく、政治屋と軍隊であり、政治屋軍隊それに、ジャーナリスト、マスコミに踊らされて報復思考に走った人間どもである。しかも、この人間どもが、犠牲者でもある。さらに最初から兵士である人間もいない。兵士と軍隊は国家によって無から製造されるのである。敵も敵国も、兵士、軍隊、兵器工場を維持するため、同様に国家によって無から再生産される。

8月中頃から、NHKハイビジョンで兵士たちの証言を記録、放映するそうだ。第三回までは南洋で戦った兵士。

フシギなのはかくも世論をにぎわせ国際的に論議を興している慰安婦問題の当事者証言、それに 中国戦線、とくに南京や徐州、上海、杭州などで戦った兵士たちの証言をなぜ、取材し放映しないか、ということ。国会はその調査を行う職務を完全に抛棄している。兵士を含めた当事者の高齢化は一層進み、まもなく全員が90歳になり、死に絶える。 それを待っているのか?人間には反戦・不戦という思考は生まれついて備わってはいないのである。動物としての人間に備わっているのは攻撃思考、報復思考のみである。戦争の歴史を学習し、反省するしか、戦争は防止できない。

映画『蟻の兵隊』が取り上げた残留兵問題をなぜ追及しないか。問題はなにも解決していないのである。 NHKは戦時中翼賛番組を作り続けた。反省したらどうか。

 

 追記8/7

ふと思い出した。わたしはこれまで、これほど涙を流して感動した原爆詩、というのはない、そういう詩をおもいだした。それは70年頃(わたしの学生時代)、雑誌、『暮らしの手帖』に、掲載された。茶色に変色した作文が束になって発見されたのを、暮らしの手帖が写真で掲載した。原爆で廃墟になった街の青空学校、先生が原爆のことを作文させたのだろう。小学校2年生の男の子の作文。手元にないので記憶をたどって書く。
 
    xx小学校二年 aa aaa

ぴかどんがおちた 
おとうちゃんがしんだ
おかあちゃんもしんだ
おじいちゃんもしんだ
あんちゃんもしんだ
おねえちゃんもしんだ
みんなみんなしんでしまった

 

 

ブログ記事:

松岡環編著 『南京戦』閉ざされた記憶を訪ねて、(社会評論社)から

http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-03-11

映画『蟻の兵隊』試写、評:

 http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-24

 

ジョナサン・シェル J. Schell

http://www.mindfully.org/Reform/2003/War-Is-Futile-SchellMar03.htm

http://www.nuclear-free.com/deltredici/schell.htm

 

●リンク

なぜ、廣島長崎に原爆が投下されたか? 


 広島、京都、小倉は、まったく理想的な投下目標都市の形をしていました。つまり、
 1・破壊予想半径の3kmが市街地にスッポリ入る。
 2・適当に建造物が多く人口が多い。
 3・テニアン基地から近い。
 という条件を完全に満たしています。
 三都市以外に新潟も候補地として挙げられた時期もありましたが、新潟はテニアン基地から遠く、目標として貧弱なため、7月までには除外されていました。突然に長崎が候補地に入れられた後も、その不規則な地形を考えて、常に第二、第三候補とされていました。「なぜ京都でなく長崎なのだ」と、米軍部内でも長崎を目標とすることを不満とする考えが多かったそうです。爆撃部隊の責任者である少将が、ポツダム会議に出席中のトルーマン大統領に「京都を爆撃させて欲しい」と直訴したほどです。


投下!
~小倉上空10時44分~
http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/arsenalkokurafile/dropfile/drop.html


長崎への原爆投下wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

なぜ廣島に原爆が投下されたか
http://www.hiroshima-spirit.jp/ja/hiroshima/shiryoukan/morgue_e12.html


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whitered

同感です。小学生の平和の誓いが心に迫りました。こんな部分があったと思います。『・・・亡くなった人たちに、もう手を差し伸べることはできないけど、今生きている人は助けることができます。・・・』 すごく前向きの言葉でした。一昔前の教育では、広島だけでなく、全国の子がこんなふうに語っていたと思います。今は、平和学習がおおっぴらにできなくなっているようです。学力向上の名の下に。
by whitered (2007-08-08 16:36) 

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