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追悼 小田実 [Book_review]

                                                

                                

 

小田実逝く。2007年7月30日深夜2時5分。都内の病院で。

小田実が末期癌であることは今年初めだったか何かの媒体で知った。1ヶ月前には朝日新聞夕刊に小田の病状、日々考えることを短期連載していた。この死は予期された死であった。

 中学生か高校生の頃、わたしはまだ広島の郷里で過ごしていた。その頃、河出ペーパーバックで『何でも見てやろう』を読んで以来、これまで小田の本はもっともよく読んだ本のひとつとなった。じつは『何でも見てやろう』は、その時以後再読していない。(最近、ムスメに読ませようと講談社文庫版を買ってきてやったのだがトント興味を示さない)小田が<先天的無頓着症>をひっさげて、フルブライト奨学生試験に受かり米国から欧州アジアを周回してニッポンに戻ってくる間のこの旅行記はまだ海外を全く知らない田舎の小坊主のワタシには圧倒的な面白さであった。小田はその頃東大生であったはずだが、英語はまったくのブロークン。しかし、フルブライト試験(米国大使館で行われる)を受けたときその物怖じしない、ブロークンな回答が圧倒的に面白く,小田が大使館の一室で試問を受けているとき、その部屋は小田の評判を聞きつけた大使館員が珍答を聞き逃すまいと、鈴なりの賑わいだったという。

小田は大学でギリシャ語を専攻した。ある世界文学全集のギリシャの巻、ホメロスだったかを小田が訳す、という予告がなされたことがある。大いに楽しみにしたのだが結局実現せず、呉茂一(小田の恩師のひとり)の既訳におさまった(小田の弁解を読んだ記憶がある)。小田がなぜギリシャ語を専攻したか?はよくわからない。十代で文学を志し、当時の新進作家=中村真一郎に師事した小田実が、中村から「(中村本人はちゃっかりフランス近代文学をやっているくせに)大学で近代文学をやるなんてアホやないか」とけしかけられてギリシャ語を始めた、らしい。

 

 小田実全仕事 全10巻(河出出版)1970~71

 

ソクラテスを描いた小田の初期の長編『大地の星輝く点の子』の注釈で、ギリシャ語をはじめた理由をつぎのように述べている:

「。。。やはり西洋のもろもろのミナモトのところを知りたく思ったのである。。。。さらにもう1つの理由があって、その理由は、この西洋のミナモト探求と微妙にからむのである。ギリシャ語なんて勉強するのは、貴族の末エイか大金持の息子だということをきかされていた。オックスフォードかケンブリッジに留学して、ホメロスの詩などを酒席で朗誦して、ついでのことに、日本の庶民はなっとらんな、デモ行進なんてバカがやることだよ、と言ったりする。そういう人の「ギリシャ」に実は私はウンザリしているのである。私が求めていた「ギリシャ」は、文人墨客の「ギリシャ」でもなければ、ペリクレスの「ギリシャ」でもなければ、オックスフォード、ケンブリッジの「ギリシャ」でもなければ、東京大学の「ギリシャ」でもない。たとえて言えば、民衆がゴタゴタと生きていてその民衆は私と何ら変わりなくて、ついでのことにもう一つ言えば、デモ行進するような「ギリシャ」なのである。ギリシャ語を学ぶようになって、最初に読んだ本が、プラトンつくるところの『ソクラテスの弁明』であった。なかに、おしまい近くのところだが「私に死を課した諸君、諸君に私は言いたい」とソクラテスが語るところがある。それは決然とした裁断のことばだが、私は読んで慄然とした。こんなふうにソクラテスにさえ見放された人間たちはどこへ行けばよいのか。私自身が、そうした人間たちの一人ではないのか --- 私は、そのとき、そんなふうに考えたのである。その思いは長いあいだ、私の胸に重苦しく残っていて、60年の1月から2月にかけてはじめてギリシャを放浪して歩いたときも、日本に帰りついた後もとりついて離れないで、ついに、この『大地と星輝く天の子』になった。63年の正月に書き始め、半年かかって完成した」

 

小田実がこの『大地と星輝く天の子』に後書き(『小田実全仕事3』への収録に際し)を書いたのは71年始めである。彼のギリシアへの関心は晩年まで衰えることなく、ついに、ロンギノス(ギリシャの思想家、西暦一世紀)との<共著>を出版するまで嵩じた。

 『崇高について』小田実・ロンギノス共著 河合文化教育研究所 (1999/02)

ギリシャ古代の文人との共著。小田以外のだれがこんな破天荒な出版をココロミル?

小田のその後の活動はすべて、ギリシャ的発想に根拠を置く。 小田は70年前後のベ平連を率いた(小田をこの運動のリーダーとして、見出したのは鶴見俊輔である)。その活動はすでに数多くの著書がある。

 

彼の文学観について書いておきたい。1991年の座談会「戦後から未来へ」(埴谷雄高、中村真一郎、佐々木基一、小田切秀雄)が小田の文学観を知る上で便利である。『私の文学 -- 「文(ロゴス)」の対話』新潮社、2000年収録。

 

 私の文学 -- 文(ロゴス)の対話 (新潮社)  

 

 小田実「。。。戦後文学は、2つの価値があったと思うのです。。。古代アテナイの一番根本になっているのは言論の自由です。言論の自由のことをギリシャ語では一語で「イソロギア」というのですが「イソス」というのはイコールということです。「ロギア」というのはもちろんロゴスからくることばです。(中略)戦後文学の重要性は2つあった。ひとつは、「イソロギア」に見本をおいた政治観、文学観です。そしてもうひとつは「殺すな」ということじゃないですか。」(略)「せんじつめて言えば、私たちの過去は殺し、焼き、奪ったはての、殺され、焼かれ、奪われた歴史です。その歴史の総体から、殺される被害者が加害者になって殺すということを認識しなければ政治も文学もないということでした。それは私自身も存在しない」

この小田発言をうけて中村真一郎は言う:

「小田の言うとおりで、広島の原爆記念日の平和集会は、毎年、行われることは実に貴重なことだけれど、同じ日が日本軍に侵略された東南アジア諸国にとっては、解放記念日になるという事実、これは日本人のひとりとして、僕は口にするのが実に苦痛なのだけれど、あの集会が、専ら被害者の視点で行われると、周囲の諸外国の共感を得られないと、以前から考えていた。これは現実に原爆の被害にあって死んだ、個々の市民自身が、外国へでかけて加害者になったのではない、ということとは次元の違う問題です」(略)「僕は、小田君に対してでなく、当時の事情を知らない若い読者のために念を押しておくが、人間は加害者と被害者との二重構造の人間だ、という認識を最初に明確にしたのは、戦争中、上海にいた武田泰淳で、僕も日本人としての戦争責任を、一億総ザンゲ的ギマンではなく、正直に突きつめて、戦争直後の、文学者の戦犯追及運動のなかの上っ調子の部分に、戦争中の非国民狩りに似た心性を発見して、恐怖を感じた。そして、ジョイスの弟子のブロッホが、ナチの時代を生きた一般ドイツ市民の消極的に被害者であると同時に加害者であるという二重構造を造形するのに、ゾラ風の一元描写ではだめで、新しい全体小説の形式を発明したのが、僕の全体小説の形式論に大きな参考になった(以下略)」

 

 この座談会の後書きで小田実は次のように述べている:

「私と私よりひとまわり年長の戦後文学者諸氏との距離がこの座談会で、ハッキリ出ている。。。彼らは戦争が来たとき、すでに(戦前に)、左翼の理論であれ、西洋文学であれ、日本古典であれ、何らかの拠り所を持っていた、ところが、私はいわば手ぶらでじかに戦争に対していた。私にとって、出発点は戦争そのものだった。あるいは、その戦争における「惨敗」としか言いようのない敗戦そのものであった。その出発点に立てば、「戦後文学」は、政治上の立場や文学観のちがいを越えて、すべてが戦争を通過した文学として見えた。いや戦後社会そのものが私にはそう見えた。その認識が私の出発点であった」

さらに『私の文学 -- 文(ロゴス)の対話』のあとがき(ロゴスの文学)で次のようにおのれの文学を規定する:

「。。「しゃべりことば」としての「ロゴス」にとって、大事なのは「デイアロゴス」-- 「対話」だ。人間には、もちろん、「ひとり言」ということはある。しかし、それが意味をもつのは、丸山真男流に言えば「自己内対話」としてあるときだけだろう。私は、「文学」はそもそもが「対話」だと考えている。その作品、その書き手と、周囲の他者との「対話」だ。他者には、読み手も社会も世界もがある。そうした他者との「対話」としての「文(ロゴス)が「文学」だ。そうでないものは「文学」ではないと文学ケイサツ官のようなことは言うつもりはさらさらないが、そうした文学は書いてきたつもりもないし書くつもりもない。また、他の人が書いたものとしても興味はない」

このような文学はいわゆる全体文学であり(小田の作品『現代史』など)、サルトルや野間宏などとその文学観は共通するだろう。サルトルは晩年(といっても、60年代だが)、『弁証法的理性批判』という熱に浮かされたような歴史論社会論を書いたが、これを文学でやったのが小田実だろう。ベ平連、の活動が彼を有名にしたが、この活動は彼にとって付録であり、余計なものであったろう、とおもう(もちろん、これが彼の文学を豊かにしたことには間違いなかろうが)。

高橋和己、開高健、小松左京、などと同世代である小田はわれわれ戦後の人間に対し、戦後文学ないし戦後文学者(野間宏、堀田善衛、中村真一郎、大岡昇平など)の解説者として現れた。そのなかで、一番説得性があったのがわたしには小田実であったということだ。

                                     

                                       小田・中村『対話篇』1973年

          玉砕 (岩波書店)

 

わたしが感動したのは小田実がドナルドキーンとの対談(小田の『玉砕』について。玉砕はキーンが翻訳して英語版も出版された。キーンが本当に感動した戦争文学はこれが初めて、と讃える傑作である)につけた「覚え書き」で<文学に対する「愛」>を語った一文である。小田はつぎのように言う。 『私の文学 -- 「文(ロゴス)」の対話』p296

「(ドナルドキーン氏の)『日本文学史』を読んでいると、近松門左衛門の「曾根崎心中」を彼(キーン氏)がいかに「愛」しているかが明快に読みとれて来る。主人公徳兵衛とお初との最後の「道行」について、彼が「このときの道行は、日本文学史上もっとも美しい文章のひとつと言えるだろう」とする「此の世のなごり、夜もなごり…..」から始まるくだりを引用したあと、「このような言葉でうたわれる愛は、われわれの心の奥底からの共感のみならず、尊敬をさえ呼びさまさずにはおかないのである。道行の徳兵衛は、われわれの目の前で歩きながら、一足ごとに背が高くなる」(徳岡孝夫氏訳)と彼が書くとき、それを読む私(小田実)の眼には、その徳兵衛の「一足ごとに背が高くなる」さまが見えて来るような気がする。その読み手に見えて来る力をあたえるものが近松の「文学」に対する彼の「愛」だ」。

文学に対する「愛」は、人間に対する「愛」であり、人の行為である愛に対する小田の感覚が彼の文学と行動の根拠となっている。小田を現象面から観察して、行動の人、行動派文学者などとひとはいうかもしれない。しかし、小田は感受性の人、ギリシャ的人間愛の人である。その出発点にあたって、民主主義の問題、ソクラテス問題をおのれの問題とした人間である。60~70年代あれほどの大衆運動とギリギリの政治活動(米国人脱走兵の逃走支援など)を行う人間のエネルギが感受性豊でない人から生まれるはずがない。小田のエッセイ、対談集から溢れるその愛情からわたしは大きな励ましを受けてきた。

 

中流の復興(NHK出版) 

 

発売されたばかりの小著『中流の復興』(NHK出版)でも、「米国に支援されたアロヨ体制とその共犯者によるフィリピン民衆の人権侵害、経済的打撃および主権侵害」を、「恒久民族民衆法廷」(2007年3月21日~25日)構成メンバーの一人として鋭く告発している。死に至るまで彼の思考に弛みはなかった。

 

1970年11月、三島由紀夫が自衛隊に突入し自殺するという事件が起こった。小田実はこの事件が小田に大きく決断を迫る事件であった、という。小田はこの事件からふたつのことを考え始めた。「ひとつは、まず、生きつづけること、第二に生きつづけるなら、いかに生きつづけるか。」(『ベ兵連・回顧録でない回顧』、p578以降)。三島がもてはやした『葉隠』にふれて小田実は次のように書いた:

「。。。それは、たとえば、『葉隠』という書物のどこに私自身がいるか、ということだ。なかにこんな話があった。中野杢之助良順という名前の武士が涼みに小舟に乗って隅田川に出る。ならず者が同じ舟に乗ってさんざん乱暴を働く。武士はならず者が小便するところを見はからって首を切る。首は川に落ちたが胴体は舟に残る。人気のないところに埋めてくれれば金をたくさんやると船頭を言いくるめて、その残った胴体を埋めさせる。そうしておいてから、武士は船頭の首を切る。そのあと、もちろん、世の中には何の噂も流れない。」問題は「この話のなかのどこかに、私はいるのか。この話に出て来た三人の登場人物のうちの誰が私なのか」ということだ、と私は書いた。私はその自分の問いに対して答えを次のように書いた。「私がこの話を読んでたちどころに自分を同一化したのは、船頭だった」「彼にはまず名前がなかった。そして、彼は日々のくらしに忙しくて、生きることにまず追われていて、(葉隠が説く武士のカガミのように)『毎日のように死を考える』余裕はなかった。その(死の準備の)ために化粧してまで、日常を美的に生きる余裕などはなかっただろうと私は思う。」 

私にとって、三島氏たちはこの話のなかでの「武士」だった。あるいは「武士」の側に身をおこうとしている人たちだった。同じことは、彼らの死によって衝撃を受け、「自分たちの側に三島氏を出さなかったことは自分の敗北だ」と彼らの行為をとらえた「全共闘」運動の指導者にも言えた。あるいは「三島事件はこのどうしようもなくくさりきった時代に対する警鐘だ」という投書に端的に見られるような当時の一種の三島氏らの行動への暗黙の支持の風潮にも、それは言えた。 (略) 「たとえ、それが精神的な意味あいにおいてであろうと、たとえば、武士たちがどのように美しさにみち、けだかい狂気にみちたものであろうと、そうした生き方を示していようとも、私はそこに身をおきたくない。それは私のひとつの決意であり、その決意を、私の生き方、考え方の基本にすえようと思う。」(略)

(船頭の)「その死に、自分の生き方、考え方、感じ方の根本をすえることだった。私がそうするのには、一つには、私自身が私なりに体験した過去の戦争体験があるにちがいない。」「船頭」の死は、まさに私が体験したなかでおびただしく見た「難死」だった。(略) 「私の戦争体験が私に強いた認識は、私があわれな船頭以外の何物でもないという事実だった。その事実を認識することから、私は、自分の反戦運動への参加の原理、そして参加そのものへの基盤をつくり上げて行った」 (『「ベ兵連」回顧録でない回顧』、p581)

 

「ベ平連」回顧録でない回顧(第三書館、1995)

  

                                     

 

小田の死んだのは本日30日の早朝である。彼の著作を再読、再々読し、小田の精神に対決すること。これが彼への恩返しであろう、とはいうものの今日は朝から一日溜息ばかり、小田実がこの世にいないことの寂寥つきることなし。

小田は、スベテヨシ、と頷いて此の世を去ったのだろうか。

『。。あなたの最後の小説のタイトルの通り、「終らない旅」は確実に多くの次の世代の人びとに受け継がれ、国家と軍隊と暴力から離脱し、個人として自律の道を切り開く旅は、決して終らずに続けられてゆくものと、私は確信します。あなたは千の風どころか、何万という人々の胸の中に居続けることになるのでしょう』

告別式における吉川勇一氏の弔辞の一節である。

http://www.jca.apc.org/~yyoffice/saikin79OdaMakotoSougiChouji%5D.htm

小田実告別式後のデモ・先頭は鶴見俊輔(朝日新聞8/5)

 

                     河出書房・現代の文学 

  (「ベ平連」回顧録でない回顧から)

 

                                                        

                                                           自宅療養中@2007

 

 

小田実

作家。1932年大阪生まれ。51年(19歳)小説『明後日への手記』出版。このころ中村真一郎の知己を得る。61年『何でもみてやろう』、63年『大地と星輝く天の子』、小田実全仕事10巻、70~71年。その他多数。

 

小田実ホームページ

http://www.odamakoto.com/jp/

TIME誌記事 Asian Heroes@2006

http://www.time.com/time/asia/features/heroes/oda.html

小田実インタビュー(英文)@2006

http://www.indybay.org/newsitems/2006/03/14/18076761.php

関連記事: 小田実の考えてきたこと http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-03-27 小田実『大地と星輝く天の子』 http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-05-16-1
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whitered

また、巨星が落ちました。昔、何かの記事で集会のときに、鶴見がおにぎりを食べているとき、小田は学生達とアンパンを食べていたというのを読んだことが、頭をはなれません。多くの遺産をのこしてくれたと思います。
by whitered (2007-07-30 23:18) 

みどり

「小田実がこの世にいないことの寂寥つきることなし。」
まったく同感です。
今この世界に、あの小田さんがいないことが、嘘みたいな不思議な感覚にとらわれています。
私は30代後半の人間なので、読み出した10代後半の時には「全仕事」は既に手に入らなくなっており、すべて図書館で読みました。
このような、人間的魅力にあふれ、深い知恵と並はずれた行動力を持った人はもう出てこないのではないでしょうか。
by みどり (2007-07-31 20:32) 

inada

コメントありがとうございます。
古井戸さんのブログに出会えたのも小田さんのお引き合わせです。
デモこそ民主主義だ。
壮大なデモを仕掛けたいなー。
合掌
by inada (2007-07-31 23:44) 

古井戸

whitered さん、みどりさん、inadaさん、コメントありがとうございます。

別のトコロで小田実に言及したので追記しておきます。文脈説明無しでわかりにくいとおもいますが:


高橋和己は貴族主義だとおもいます。アカデミーも捨てきれなかった。文人にもなれなかった。途中で死んだからなんともいえないが。。いいときに死んだともいえます。たか子の『高橋和己の想い出』よりは。。小松左京らが編集した追悼文集のほうがよかった、とおもいます。高橋和己の狂などは漱石など明治の文人にくらべて取るに足らぬものです。
彼の師~吉川幸次郎、もそうですが総じて思考の根幹は貴族主義的です。滝沢や山本義隆もそうでしょう。孤立を恐れず、とは建前だけでしょう。高橋は吉川の意志を継いで学者になったほうがよかったともいえます(山本義隆もそうだが)。小説家というより文献学者ですね。

小田は彼らとダイブ違ったイチにいます。もっともわたしも高橋の全集(旧版)は買って読んだし共感した時期もあった。高校生の時に朝日ジャーナルを買いだしたがそのとき連載されていたのは高橋の邪宗門。そのころは小田の『何でも見てやろう』を卒業して、小田への関心はあまりなくなっていた。

なぜ、鶴見(オーガナイザとしては小田よりだいぶ落ちる)や高畠等が、小田をリーダに祭りあげたか。ずいぶん罪なことをした(冗)。しかし即決した、小田をわたしは尊敬します。

小田実を夕べ検索してみたが毀誉褒貶。。というより、おとしめる発言のほうが目立つ。たいへん、愉快なことでした。
by 古井戸 (2007-08-01 12:54) 

magnoria

私は中村真一郎の会会員ですが、小田実さんのされたお仕事についてはほとんど無知に近かったのですが、こちらの文章を読ませていただいてとてもイメージが膨らみました。小田実とギリシャ、全然想像もしていませんでした。より知的なイメージを持ちました。
by magnoria (2007-08-02 21:38) 

古井戸

十代から文学に関心を持っていた小田は中村にファンレターを出した。それに中村が懇切な返事を書いたのが二人の交際の始まりです。双方、互いの良き理解者です。中村の後期、4部作はすばらしいですね(わたしはとくに『冬』が好きです)。中村がプラトンなら、小田はソクラテス+アリストテレス、か。中村が観念世界に遊び、小田はデモクラシーと地を這うような人間観察に一生を費やした。

中村と小田の『対話篇』をご存じですか?1973年(写真をかかげておきます)。

今年3月頃、瀬戸内寂聴と、小田のやりとりがあったことを今日知りました。胸を打ちます:

寂聴と小田実
http://www.kitamaruyuji.com/dailybullshit/2007/05/post_225.html


小田実から突然、長いファクスが届いた。体調の悪い中、フィリピンで起きている民衆の弾圧を告発する「恒久民族民衆法廷」の判事の一人としてオランダのハーグに出かけたり、古代ギリシャの民主主義と自由を裏から支えた植民都市を訪ねてトルコに出かけたりしていた小田さんが、がんの宣告を受けたという。私はあわてて電話をいれた。

 「もう手遅れと医者はいうんや、もっと生きたいよう、死にとうないわ。寂聴さん、元気になるお経あげてや」

 声は明るく冗談めいていた。私は絶句して、泣いていた。(せとうち・じゃくちょう=作家)
by 古井戸 (2007-08-02 22:01) 

NOAH

日本にいないので詳しいことを知りません。いまでは誰が日本市民を代表できるのでしょうか。
by NOAH (2007-08-05 06:03) 

ブーゲンビリア

はじめまして。
トラックバックありがとうございました。
8月4日、葬儀のあとのデモの写真をたくさん載せていますので、よかったらごらんください。
ブーゲンビリアのきちきち日記
http://blog.goo.ne.jp/naha_2006
by ブーゲンビリア (2007-08-13 00:05) 

ヌマンタ

トラックバック、ありがとうございます。学術面からみた小田実という視点は、私にはないので新鮮でした。ありがとうございます。
by ヌマンタ (2007-08-13 10:53) 

古井戸

>いまでは誰が日本市民を代表できるのでしょうか。

代表するようなひとはいないとおもいます。
小田は市民運動を<代表>してはいません。個人として参加しているだけです。

小田とともに戦った(考え方のちがいも多かったという話だが)吉川勇一氏の弔辞を載せておきましたが、これがよく小田実という存在の意味を表現していると思いました。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/saikin79OdaMakotoSougiChouji%5D.htm
ひとに教える、とか人の上に立つ、ということから最も遠い人です。
by 古井戸 (2007-08-13 11:13) 

ふみん

はじめまして。小田さんの一読者で、同じ時代を生きた人間として、心から尊敬している者です。
古井戸さんのおっしゃるとおりです。
吉岡忍さんの記事「小田の目に涙」に、小田さんの姿勢がよく現れていると思います。その他、心打つ記事なので、もし読まれていない人は是非読んでください。

http://www.jca.apc.org/beheiren/saikin137YoshiokaShinobu-OdaMakoto-3.htm
by ふみん (2007-08-13 12:00) 

古井戸

ふみんさんへ。
追悼記、3編心読しました。いずれも、わたしの小田実像から外れていません。かれはまさしく活動家ではなく、小説家です。考える人です。

ネットで小田実を検索すると、糞バエ銀バエ共が小田をあしざまに言っているが、どいつもこいつも、ガチンコで小田と対決できるような人間ではありません。クズどもです。

さらにこの記事を収容しているサイトで小熊英二の追悼文も読みました。これも納得できるものだった。じつはこの記事を書く前にわたしは違和感をもっている『民主と愛国』の小田実の章を読みました。とくに印象の残らない記述だった。

ところで。。吉岡忍が小田実の泣いたのを目撃した、と書いている。わたしは、一昨日NHKが再放送した 世界我が心の旅、『ベルリン死と生の堆積』、これは1993年に放映されたもので以前わたしもみたのだが、今回再放映されたのをまたみた。この最後、マリア・レギナ殉教教会(小田実がもっとも美しい教会だという)で小田実は何度も言葉を詰まらせていた。この教会はプレッツェンゼー処刑場のすぐそばにある。ここではドイツ市民が殺された。ヒトラーの悪口をいったような市民が連れてこられた。毎日大変な数が殺された。しかも、その処刑者の家族に、死刑執行料を請求した。その請求書もここには展示してある。http://eba-www.yoko hama-cu.ac.jp/~kogis eminagamine/20041217 -19BerlinFoto.htm
その残虐行為に対して戦いを挑んだ市民がいたこと、これに小田は感動している。彼がベルリン留学中に心が弱ったとき、何度もここを訪れ、そして勇気を分け与えてもらったという。

これは別の記事で書きたい。
by 古井戸 (2007-08-13 19:09) 

スピカ

トラックバックありがとうございます。
人間としておかしいことに対して、自分としてできることから、あきらめないで、運動していくことの、市民運動の原点を小田 実さんから学びました。
by スピカ (2007-08-20 14:42) 

古井戸

彼の運動の原点には1945年8月14日の、大阪爆撃がありますね。
彼の全共闘批判、われ=われ、の哲学に学ぶべきものがあります。
by 古井戸 (2007-08-20 16:11) 

下等遊民

 TBありがとうございました。こちらからも返させて頂きました。貴エントリーは小田実氏の全体像を正確に捉えられていて、読後あらためて氏の人間的魅力を発見した思いに駆られました。私の学生時代はまだベ平連が健在で、ベ平連のデモには度々参加した事もあって、今でも小田氏の存在はベ平連と切り離しては考えられません。小田氏はかつて野坂昭如「エロ事師たち」文庫版の解説で社会の最底辺でうごめく無用者たちにある種のシンパシーを表明していましたが、こんなところにもゴリゴリの政治主義とは一線を画した氏の人間臭さを感じました。
by 下等遊民 (2007-09-02 08:59) 

古井戸

最後に、追加した挿話で、小田が言っている:

 「私がこの話を読んでたちどころに自分を同一化したのは、船頭だった」

<たちどころに。。同一化>。。というところで深く考え込みました。これが小田という人間の水源。これを理解しないと小田の行動と発言は理解できない。
by 古井戸 (2007-09-02 12:45) 

FRANCESCA

TBありがとうございました。早速貴BLOG拝見。得がたい人物を亡くしました。頑強そうに見えた小田さんが、こんなに早く逝かれるとは思ってもいませんでした。「検査に行く時間もなかったのか・・・」など、いろいろ考えましたが、今はただ、残念としか言いようがありません。氏の残した作品を通して、彼の残したメッセージをくみ取りたいと思います。
by FRANCESCA (2007-09-02 21:07) 

ichigeki

トラックバックありがとうございます。

テレビタレントとしての小田さんしかしらない私にとって古井戸さんの小田論はとても興味深いものでした。改めて小田氏を知らねばならないなと思いました。

さてわたくしは佐高信ウォッチブログをやっております。佐高氏は偽学生として小田氏と面々授受の関係だったようなのですが、週刊金曜日の追悼(?)文ではいったい何が言いたいのかさっぱりわかりませんでした。
小田氏のように自分も創価学会批判をやっていることを自慢したいのかもしれませんが、口の悪いネット論客からは「潮」や「パンプキン」で連載していた佐高が笑わせるな、などと言われています。
そういう自分のことを語るのに小田さんをダシに使うのではなく、自身の思いを述べてほしかったと思いました。

ところで同じ週刊金曜日の風速計で本多勝一氏が

>“もの書き”としての彼の問題点にも一言ふれておく。同じことを別のメディアに書いたりするのだ。本誌でもそんなことがあって、以後本誌から彼への原稿依頼はされなくなった。
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol669/fusokukei

と、書いてあるのですが本当なのでしょうか?多くのメディアで同じ問題を提起することは一概には悪いとも思えないのですが。
by ichigeki (2007-09-11 00:18) 

古井戸

ichigekiさん:

佐高信は最近読んでいないのですが、テリー伊藤とのガッカイ批判本(オチョクリ本)は読みました。佐高の追悼文は読んでいません。

本田勝一の。。

>“もの書き”としての彼の問題点にも一言ふれておく。同じことを別のメディアに書いたりするのだ。本誌でもそんなことがあって、以後本誌から彼への原稿依頼はされなくなった。

。。なんとまあ、ケツの穴の小さいこと。さすが、朝日新聞記者、という感じですなあ。こんなことを書いていては週刊金曜日も、先は長くないですね。

本勝のような小粒の人間が小田を論じるのは勇気あることです。
by 古井戸 (2007-09-11 02:35) 

ふみん

こんにちは、以前書き込みさせて頂いたことのある者です。
来週に、小田さんの追悼番組があるそうですので、
可能でしたらご覧ください。私はハイビジョンは見られないのですが、いずれ地上波でも放送するかもしれません。

BSハイビジョン特集 小田実 遺す言葉、この国の人を信じて
12月13日(木) 午後8:00~9:30

http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/
by ふみん (2007-12-07 07:58) 

古井戸

わたしもハイビジョン受像装置をもっていません。いずれ総合か、BS1/2で放映するでしょう。しかしハイビジョン受像機をもっているのは、国民全世帯の何%なんだろう? まずは、総合TVで放映スベキじゃないか?

本日書店で、雑誌『環』(藤原書店)の2007秋号(季刊)が小田実を特集しているのを発見。しばらく立ち読みした。(値段が、3400円、と雑誌としては異常に高い。しばらく考えたが、。。図書館にリクエストした)
雑誌『環』、藤原書店、2007年秋季号
小田実特集
鶴見和子小特集、など
http://www.fujiwara -shoten.co.jp/kan/ka n31.htm
チョムスキーやハワード・ジン(ともに米国)、金大中、とか。。多くの友人が別れを惜しんでいる。
吉川勇一氏が、告別の辞で注記していた、小田に言い残したこと、というのは何だったかを明らかにしていた(わたしには、どうでもいいことに思えたが。)。『中流の復興』のなかで小田が書いた一文がオカシイ、という。。)

そうそう。。書店で、NHKのETV講座をみつけた。なんと、チェゲバラをとりあげている! 講師=戸井十月。(12月から開始している)。

チェゲバラをやるなら。。。彼より偉大な小田実の思想を、ETVで放映してもえーんじゃないかえ? タゴサクNHKさん。ははは。
by 古井戸 (2007-12-09 01:11) 

ribon

TBありがとうございます。私も子供時代に読んだ「何でも見てやろう」に憧れました。学生時代に講演会に行ったのも忘れていたぐらいなのに亡くなる少し前ぐらいからもう哀しくて…何回もブログには載せました。TBします。よろしくお願いします。楽天は前月しかさかのぼれず、写真容量も少ないのでヤフーでもアップしてます。
by ribon (2007-12-23 11:13) 

古井戸

>。。。子供時代に読んだ「何でも見てやろう」に憧れ。。

子供時代。。なんてスゴイ、ですね~。。

高校生のムスメにこれ読め。。と渡したのだが。。読んでいないようです~。。
by 古井戸 (2007-12-23 11:51) 

Rolling Bean

はじめまして。トラックバックをいただき、ありがとうございます。
わたしのエントリーは時機を逸した古い内容となってしまいましたが、こちらにも送信させていただきました。

明確なネオコン色を持った総理から言わば「ステルス性を持つ」総理に変わり、そしてすぐさまそのめっきもはがれ、教科書問題、大連立、インド洋給油、防衛利権、SM3ミサイル、岩国、薬害肝炎、NHK会長問題と、参院選後もなおきなくさく昨今の情勢に、小田実さんなら何を語り、戸惑う人々を、その愛をもってどう導こうとしただろう、と時々想像しています。
by Rolling Bean (2007-12-27 01:48) 

古井戸

先ほど朝のニュースが流れてきた、岩国市長が辞任。再選挙で、再度、市民の信を問う、と。

Bean さんの列挙された問題、20世紀に小田実が提起して前世紀に本来ならクローズしているべきモンダが、全然そうなっていないですね。
滅亡にまっしぐら、にみえます。個人対官僚・利権政治の問題。
by 古井戸 (2007-12-27 07:58) 

ふみん

本日NHK教育で午後10時から昨年ハイビジョンで放送された「小田実 遺す言葉」の再放送があります。私は友人に録画してもらったものをすでに見ましたが、もう一度見るつもりです。よろしければ古井戸さんもご覧ください。
by ふみん (2008-03-09 10:42) 

古井戸

ふみんさん。どうもありがとうございます。

BSで再放送したのを録画にとって見ています。(前半がちょん切れたので今回、完全なのを見れそう)。
小田がベッドで嗚咽したのはショックだった。

小田は余り泣かないと聞いていた。
小田が亡くなった後、小田が登場する番組を何本か放映しましたね。そのなかで、小田の泣くシーンがあった。小田のドイツ留学時に作られた番組です。ドイツのナチがユダヤ人協力者などの疑いでドイツ人一般市民を捕らえて殺した。そういうひとが眠っている教会。小田がベルリン留学の時、ここを訪れては励まされていたという場所。この教会で小田は涙ぐんでいた。

いま、BSで ハイビジョン特集兵士の証言(レイテ戦)を放映したところ。

なぜ、こういう番組がハイビジョンなのか?くだらない大河ドラマなどやめて、真っ先に総合テレビで、兵士の証言をドンドン放映すべきじゃないか。
兵士はほとんど90歳近い。もうすぐ全員が死ぬ。

by 古井戸 (2008-03-09 10:59) 

たくじろう

私のいい加減なブログにコメントいただきまして有難うございました。
僕は「何でも見てやろう」しか読んだことがありませんが、いつか他の著書も読んでみようと思います。
そして、小田さんがホントは市民運動なんてやりたくなかったんじゃないかな?ということを確認したいと思います。
by たくじろう (2008-03-15 23:56) 

古井戸

市民運動、はやりたくなかったでしょうし、やってもいない。個人でなにがしかの運動をやったでしょう。ひとが、やりたいときにやる、やめたいときにやめる。これが彼の方法であり人生です。烏合の衆がツルンだところで何も残らない。四散した後からヤルモンですよ、運動とは。他人に何も強制しません。物理的に、経済的に。

しかし、やりたいときにできる、辞めたいときに辞める、という世の中にするにもカナリの自覚と行動が必要です。共生(強制じゃなく)や公共、といわれるものを作るには個人の倫理が要ります。それくらいは小田も言っているでしょう。
by 古井戸 (2008-03-16 11:12) 

たくじろう

小田さんはB型なのかな?古井戸さんも・・・?
なんか同じ匂いがします。血液型云々の話は好きではないんですが(^^;)
「やりたいときにやる、やめたいときにやめる」
そしてそれをやるからには相応の覚悟と倫理感を持った上で僕も挑みたいものです。

上のコメで「市民運動なんてやりたくなかったんじゃないかな?」と書いたのは、小田さんのホントにやりたかったものを確認したかったというつもりでした。
by たくじろう (2008-03-20 13:58) 

古井戸

>市民運動なんてやりたくなかったんじゃないかな。。

ホントにやりたいこと。。ってのは、ギリシャ文学、なんだろうけども。

でも、鶴見&高畠に、きみっきゃない!とおだてられてすぐ、乗るのも人
生。 ギリシャ的。鶴見にも、見る目があったなあ、っておもいます。
http://www.jca.apc.org/beheiren/351TakabatakeMichitoshiSeikyo.htm


はい。私は、ジコチューのB型です。





by 古井戸 (2008-03-20 14:46) 

原野辰三

いつも大変勉強になる記事を拝見させて頂いております。
共感共鳴感動することが多く、これからも健筆をふるって下さることを期待しております。
by 原野辰三 (2008-03-24 01:04) 

古井戸

原野さんの記事。畠山被告の判決についてコメントが書き込めなかったのでここで書いておきます。
当初にある、文明の進歩と犯罪、について明らかに大量殺人は<文明>の名で行われていることはアキラかです。すなわち戦争、宗教の何おける犯罪。わたしは企業犯罪もこれに含めていいと思います。
太古から、いわゆる犯罪(法も整備されてないだろうから原初的倫理観?への叛逆)はあったでしょうが、現代の犯罪の大部分は文明が引き起こしているとおもいます。もちろん、個人の責任、というものを定義することも可能。量刑が任意すぎますね。政治屋官僚企業人の不作為による犯罪はまったくとがめられていない、という不平等がひどすぎます。

この不平等故、政治・司法の不作為の多い現状で、わたしは死刑には断固反対。いまだに死刑の現場は誰にも公開されていない。裁判官も知らないのだからハナシになりません。
by 古井戸 (2008-03-24 08:06) 

FUTAN

B型の古井戸さん、お久しぶりです。お元気そうでなによりです。

私も・・・B型です。


by FUTAN (2008-03-30 23:38) 

古井戸

モギさんもBでしょうか。。

いやだな。

by 古井戸 (2008-04-01 19:42) 

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