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『戦争責任』 家永三郎 (岩波書店、1985年) [戦争・原爆]

                                  

買った後、長らく放置してきた書物である。購入したのは5,6年前だが発行は1985年、20年以上前だ。最近、ブログ記事で南京戦や従軍慰安婦を書いたのをきっかけに読んでみた。

実証研究の歴史家らしく、その構成は体系的。分かることは分けること、という私の好きな格言を実感する目次構成である。全体は前半と後半にわかれ、前半は戦争(15年戦争)とは何であったか、どのような責任が誰(どの国)にあるかをのべる、いわば事実篇(狭い意味の歴史)、後半は戦争責任とはなぜか、なんのために責任を追及するか、といういわば、哲学篇である。歴史家としての戦争責任の自覚から生ずる執念、ニッポン国の読者になにかを訴えたいがため、かくも記述が網羅的でありながらコンパクトになったのであろう。戦争責任を書いた書物はあまた存在するなかで、家永のこの本の特徴はなにか?日本の歴史家としての戦争責任に言及する文字。それに、何の責任を負うか、だけでなく、誰が、なぜ(理由、目的)責任を負わねばならぬか、とくに、戦争に直接責任のない戦後世代が責任を負うべきか、を考察した第四章『日本国民の戦争責任はどのような点にあるか』、以降の記述に、倫理的歴史家としての家永三郎の面目があると思われる。歴史記述に先立って倫理観なければ、一行たりとも歴史は記述できない、ということであろう。とくに近現代史においては。

本書の詳細目次を掲げておく。以下に網羅的であるか、がわかるだろう。ヤスパースのように、戦争責任とは何か、ではなく、ニッポンの体験した15年戦争の戦争責任(もちろん、ニッポンだけでなく連合国の戦争責任もある)とはいかなるものか、を論じているのだ。

戦争責任の厄介さは、戦争という事業が共同体(国家)レベルで行われるからである。責任とは最終的に個人の責任に写像される。なぜ、共同体全体の、しかもおのれの生まれる前に発生した政治作為・不作為の責任を、後からこの世に生まれた個人が取らねばならぬか?これは自明な問題ではない。

本書の内容(目次):
はしがき
●序章  今日なぜ戦争責任を論ずるのか

●第一章 戦争責任はどうして生ずるか

●第二章 戦争責任にはどのような区分があるか

●第三章 日本国家の戦争責任はどのような点にあるのか
序節 日本帝国の権力組織
第一節 国際的責任
一 中国その他の被侵略諸国・諸民族と日本の植民地諸民族に対する責任
1 中国に対する責任
(ア) 南京大虐殺
(イ) 中国全戦線にわたる残虐行為
(ウ) 毒ガス戦
(エ) 計画的継続的に大量の中国人民等に生体実験・生体解剖を行った731部隊の残虐行為
(オ) アヘン密貿易による日本の巨利獲得と中国人民の心身腐蝕
(カ) 侵略の手先としての中国官民の利用
2 マライ半島諸民族に対する責任
3 フィリピンに対する責任
 付 グアム島民に対する責任
4 インドネシアに対する責任
5 ビルマに対する責任
6 ヴェトナムに対する責任
7 朝鮮民族に対する責任
8 台湾島民に対する責任
9 旧委託統治領太平洋諸島住民に対する責任
10 小括

二 米国その他の欧米の連合諸国(ソ連を除く)に対する責任
三 中立国に対する責任
四 ソ連に対する責任

第二節 国内的責任
一 国民の自由・権利を破壊し、戦争反対・早期終戦要求を封殺した責任
二 多数の国民を戦死・戦災死させ、あるいは回復できない精神的・肉体的被害を与えた責任
   1 国民の受けた甚大な被害
   2 無謀な開戦決定と終戦遅延
第三節 日本国家の戦争責任は誰が負うべきであるか

●第四章 日本国民の戦争責任はどのような点にあるのか
序節 日本国民の置かれた歴史的境位
第一節 一般国民の責任
第二節 「戦争を知らない世代」にも責任はあるか

●第五章 連合諸国の日本に対する戦争責任はどのような点にあるのか
第一節 米国の戦争責任
第二節 ソ連の戦争責任

●第六章 戦争責任の追及はどのようにしてなされるべきであったか

●第七章 戦争責任の追及は、何のために今後どのようにして続けられるべきであるか

あとがき
付図 
・十五年戦争の戦禍の及んだ地域略図
・十五年戦争下の権力組織略図

##

ここから本書の記述の抜粋を行う。

1 家永三郎は、なぜ本書を書いたか

1953年に家永三郎は次のように書いている:
「私は今になって自分が消極的な意味での戦争犯罪人 -- 戦争を防止するための義務を怠った不作為の犯罪人であったとの自責の念に堪えない。私は今度こそはその後悔を二度としたくないと思う。同胞を破滅への道に駆り立てる力に向かって、私たちは敢然と立ち向かわねばならぬ、と思う」

そして、1960年代に入り『太平洋戦争』(岩波)を著作することになった今(85年)つぎのように書く:
「何事に付けても、また何時においても、悟り方のおそい私が戦争責任の問題と本格的にとりくむようになるまでには、このように長い時間が必要であったのであり、私がそこまで到着したのは「戦争は終わった」といわれるようになった時代であって、戦争責任など今さら問題にならない雰囲気となっていたのであるが、そうした状況であるだけに、私としてはいっそうこの問題を改めて世間に再浮上させる必要を痛感しないではいられず、そのためにも戦争責任の全体像を事実と理論との両面から体系化する作業をやりとげたいとの意欲がわき始めた。本書は、右のような私のたどたとしい歩みののちに成立した著作であって、早くから確立していた見識を披露するものではないのである」

2 丸山真男が1956年度の思想の科学研究会総会、「戦争責任について」の座談会にて、次の発言をした。これが、家永に深い印象を与えた、と言っている。戦争責任の諸範疇をすでに50年代半ばで丸山が捉えていることに対して。
丸山「当面の問題の整理のために、私はだいたい次の4つの点から戦争責任の観念を区別して考えたrどうかと思うのです。」
(1) 誰に対して責任を負うか、誰に対する責任なのかということをハッキリさせること
(2) 責任を負う行為の性質による区別すること
(3) 責任自体の性質による区別。たとえば、ヤスパースによる区分
     1 刑事上の責任
     2 道徳上の責任
     3 政治的な責任
     4 形而上学的責任
(4) 主体の地位および職能の点から区分(リーダーとか、下級指導者とか)
このほか、積極的な協力の責任のほかに、受益度の責任、侵略戦争から受益した者はその限りの責任を負うのではないか。

3 第三章第三節 日本国家の戦争責任は誰が負うべきであるか、から冒頭の引用 p240
「前二節で述べてきたところの日本国家の戦争責任は、公法人としての大日本帝国とその後継者としての日本国が全面的に責任を負わねばならず、国家の制度や機関のメンバーが大きく変じているからといって、責任が消滅するものではない。戦後に講和条約が成立し、あるいは国交が回復して、国際法上の責任が消滅したとしても、国際道徳上の責任が消滅するわけでない。まして日本国家により被害を受けた旧敵国人・旧植民地人個々に対する道義的責任は、それら個々人の被害が回復することのできない生命(本人・近親・恋人など)や肉体の一部の喪失である場合には、ことに重大であって、その個々人が戦後に所属する国家と日本国との間でどのようなとりきめがなされようとも、それとは別次元での日本国に責任が残るのである」p241
「しかし、公法人としての国家という、法律上の権利・義務の主体にとどまる抽象的存在のみに戦争責任をすべて吸収させて終わりとすることはできない。法人を運営するものはその機関としての自然人であるから、当時の日本の国家機関の地位にあって、違法・無謀の戦争を開始または遂行する権限を行使ないし濫用した自然人個々人にも、また責任のあるのは当然である」 p242
「。。国家に責任があるとともに、その機関として国家権力の行使に当たった個人としての責任もあるのを否定することは、国家を隠れ蓑として自然人のあらゆる不法不倫を免責し道徳的存在としての人間の尊厳を抹殺する結果となるであろう」p243

(上官の命令は絶対的であるか、について)
「残虐行為が兵士の自発的意志ではなく、上官の命令で行われた場合に、命令した上官が間接正犯としての犯罪責任を負わねばならないのは当然として、実行した、正確に言えば実行を余儀なくさせられた兵士の責任はどうか。絶対服従を金科玉条とする軍隊では、たといどのような非人道的行為でも、上官の命令を拒否することは許されていなかった。」(略)
「しかしながら、国内法の解釈と運用とは右のとおりであったとしても、それは国際的に通用する法理として認められていたのではない」p256 として、東京裁判のBC級戦犯問題に言及した後、
「。。やはり、軍隊において上官の命令を拒否することには、少なくとも兵士に関するかぎり、期待可能性がなかったようにおもわれる。それ故に、法律上の責任を問うのは酷であると考えられるが、それにもかかわらず、次のような見解もあることを紹介して、この問題の検討を終えたい」。。として富永正三『あるBC旧戦犯の戦後史 ほんとうの戦争責任とは何か』から引用している:
「上官の命令は絶対であり、それを拒否し、反抗することは当然許されることではなかった。それでも非道の命令に対して、命をかけて反抗した者もなかったわけではない。非道な命令を拒否することなく、それに従ったということは、自分もそれを当然と考え、それを認めたか、または自分では正しくない、と思いながらも、それに反抗して自分が処刑されるよりそれに従った方が自分にとって有利である、と打算したからにほかならない。それならその行為に対して、みずから責任をとるべきことは当然である。命令者には命令者としての責任があり、実行者には実行者としての責任があるのである」p256

なお、本節p241に引用されている吉田清治の回想は、『従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実』08で著者が述べているように、ウソであることが暴露されている。

4 ●第四章 日本国民の戦争責任はどのような点にあるのか
    第二節 「戦争を知らない世代」にも責任はあるか

読者によっては、本節が、本書で最も問題になるだろう。少し長めの引用をおこなう。

「戦争中にいまだ少年期にあった人々でも、戦争にかかわりあったことについて、少なくとも成長後に少年期の自己の言動を反省の対象とする余地があるかぎり、責任の問題と無関係でないことを前節で述べたのであるが、戦争下をいまだ物心のついていない乳幼児として過ごした世代の人々には、そのような問題を生ずる余地はないし、まして戦後に生まれまったく戦争とかかわりなく成長した純戦後世代においては、責任の問題は全然あり得ないと考えるのが常識であろう。しかし、ほんとうに「戦争を知らない世代」は、一切戦争責任と無関係であるのか?よく考えてみると、問題はそれほど単純ではないのである」p308

(戦後生まれの日本人が、海外で、日本軍の残虐行為により殺された遺族に出会ったとき、良識ある日本人ならば平然と応対できない、恥ずかしさを感じないか、感じるのが当然だろう)

「では、なぜ自分の生まれる前の、自分としては関知せず責任を負うよしもないと思う行為に対して、恥ずかしさを覚え、それにふさわしい応対をしなければならないのか。
 それは、世代を異にしていても、同じ日本人としての連続性の上に生きている以上、自分に先行する世代の同胞の行為から生じた責任が自動的に相続されるからである。純戦後世代の日本人であっても、その肉体は戦前・戦中世代の日本人として生まれたものであるにとどまらず、出生後の肉体的・精神的成長も戦前世代が形成した社会の物質的・文化的条件のなかでおこなわれたのであった。換言すれば、純戦後世代の心身は、戦前世代の生理的・社会的遺産を相続することなしには形成されなかったのである。たとい戦後の激変した諸情況に、あるいは自分たちの戦後での新しい創造的努力にそれぞれよって獲得した戦後の要素がどれほど大きかろうと、それらも戦前からの遺産を基体とし、あるいはそれを改造したり変容させたりして形成されたものであって、戦前世代から相続した遺産とまったく無関係に戦後に別天地から飛来したものではない。戦後世代が戦前世代の遺産を相続することなしに自己形成をなし得なかったのであるとすれば、戦前世代の遺した責任も当然に相続しなければならないのである。個人の遺産相続にあたっては、相続を放棄することによって負債返還の義務から免れることもできるが、日本人としての自己形成において戦前世代からの肉体的・社会的遺産の相続を放棄することは不可能であるのだから、戦争責任についてのみ相続を放棄することもまた不可能である。
 
 日本国家の機関の地位に就く人々が全員純戦後世代に交代しても、法人としての日本国家の連続性が失われないかぎり、法人としての国家の戦争責任は消滅しないし、国民においても、日本国の主権者として国家の運営に参与する地位にある以上、同じ責任を追わねばならない。国家との関係を離れても、民族としての日本人の一員に属するのであれば、民族の一員として世代を超えた連帯責任から離脱できないと考えるべきである。純戦後世代で自分の関知しない行為であるからということは、戦争責任の問題を解消する理由にならないことを、特に純戦後世代の人々に明記して欲しいと考える」 p310

(略)

「近代社会では、個人の独立が強化され、家族や共同体からの離脱が容易となっているばかりでなく、国家・民族のみに個人の生活がすべて埋没するのではなく、国家以外のさまざまの社会集団の構成員としての生活もあれば、国家・民族を越えた全人類社会の一員としての活動も可能となっている。それにもかかわらず、国家・民族という単位での集団生活が現在ではいまだ大きな比重を保っていて、家族・地域共同体・職場・有志集団などからの離脱と同様に国家・民族から離脱するのは容易でない。国家・民族に所属する一員として世界人類社会に生きているかぎり、国家・民族画集団として担う責任を分担する義務を免れないのは当然ではないか。しかも、個人の独立が強いからこそ、その責任を個人の自発的意志により進んで背負うのである(注1)」

わたし(古井戸。純戦後世代=団塊)は、上記の家永の見解は近代社会の経済政治活動の前提として了承する。と同時に、この前提が世界の(あるいは将来の日本の)多民族社会環境(国家)でもそのように了解されているのか、これからもそうなのか、ということには自信がない。この前提を維持するにも部分的に壊すにもグローバル社会の活動・運営にいかなるバランスシートが結果するのか、を考慮しなくてはならないだろう。そのような時代とは、現在の国家連合としての世界、の枠組みも大幅に崩れているはずだ。家永三郎はつぎのように注記する:

(注1) 「ただ一言しておかなければならないのは、個人にとり国家・民族の一員ということの重さが、戦前に比べていちじるしく低下し、世界・人類の一員としての重さが高まるとともに、日本国憲法に国籍離脱の自由という先駆的な人権の保障規定が見られることにも看取される、国籍の移動、所属民族の変更が可能になっている世界史的情況についてである。敗戦の前または後に、日本軍占領地域の住民に身を投じ、その民族社会の一員となりきってしまって、日本に帰らなかった軍人・軍属・在留日本人が相当数いるようであるし、戦後世代で何かの機会にそれと同じような道を歩んだ人の存在、あるいは今後の出現が考えられるのではなかろうか。そのようにして日本人として生まれながらもはや日本人でない、他民族の一員に変身した人々に対しては、日本の戦争責任を問うことは相当でないように思われる」

さて、私(古井戸)の意見だが。。
国家間の問題はさておいて、日本の破産都市、たとえば最近の夕張市でも、若者が故郷をゾクゾクと棄てているという。夕張の全住民が夕張を棄てた場合、あるいは、海外からの移民が多数帰化して日本が混血社会混合民族国家になった場合、戦争責任を一律に国民が感じるのだろうか?法律的レベルと、感情のレベルでわかれるのではあるまいか?15年前頃、シンガポールに滞在したとき、現地の仕事仲間に旧戦跡を案内して貰った。日本軍がここでああしたこうした、降伏した。。という話を聴きながら、現地の人々に同情する、申し訳ないという気持ちと、旧軍人に対し、なんという馬鹿なことをしやがってという怒り。この恥ずかしいという感じと怒りとは別個にではなく同時に襲ってきたとおもう。最近の若い人には、家永三郎の考えはすこしナイーブすぎるかもしれない。

上記の民族問題(世代間の責任継承)は、パリパリの戦後世代である小坂井敏晶『民族という虚構』が真正面から論じている。いずれ、ブログ記事で取り上げたい。

追記:
家永の本書は最近、岩波現代文庫にもなった。

関連記事:
15年戦争とパル判決 by 家永三郎
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-11


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