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見ざる言わざる聴かざる、のイジメ問題 [Ethics]

                                こぶしのはな

昨晩(3/3)、余り期待しないでNHKのイジメ特番をみた。
学校の先生、校長、文部省代表、父兄、いじめた・いじめられた経験のある生徒や一般人、教育評論家100人程度が参加していた。

なされた発言のなかで、もっともおどろいたのは、現役中学生とおもわれる生徒の発言。いじめられている生徒にも問題がある、と言う意見が半数以上あるのだ。その生徒の発言を聴いてみると、これはイジメ側の生徒の考えである。既に脳味噌まで侵されているというしかない。

1 イジメは犯罪である、
2 イジメられる生徒に責任はない。生活態度を改める必要もない。
3 いじめる側の生徒に イジメは犯罪であるということ

これらを自覚させること、再認識すること、が行われていない。先生、校長、文部省、教育委員会がまったくイジメを理解していない。イジメが発覚すると、まずやるべきことは、イジメ側の生徒を停学にすることである。これには条件はつかないのだ。であるのに、いじめられる側を別室(保健室)に隔離したり、イジメ側から事情を聴いたりしている。あげくのはて、イジメられた生徒を自宅に閉じこめ(登校拒否)て知らん顔、あるいは転校を薦めたりしている。言語道断である。こういう学校名をHPに公表して貰いたい。その人権無視の行為を暴露すべきである。

万引きや泥棒、殺人未遂を犯す人間から事情を聴いて情状酌量をするか? 会場の発言にもあったが、強姦された人間に、あなたにも隙があった、と言っているに等しいことを平気で言っているのである。

作家の中島博行(弁護士でもある)の発言に一番共感したのだが、イジメが発覚したら無条件にいじめている生徒を退学もしくは長期停学にし、その町から遠方に追放すること。これが必要なのだ。同じ町においていてはこいつ等は報復するに決まっているからである(従って、少年院、刑務所、などで隔離するのがもっともよい)。

いじめる側がのうのうと税金を使って授業を受け、いじめられる側が登校拒否に陥り自宅に籠もっている。これは異常事態であるのに文部省や学校教育委員会は、事をオンビンに、ということしか頭にないのである。騒がれたら困るのだ。

私のムスメを含めたクラスの3人の女生徒が、残りのクラス生徒からイジメ(しかと)を受けていたのは10年前。私は校長に、3人の生徒を残して、残りの生徒を通学停止にせよ、しなければ私は実力行使する、と迫った。校長も、おどろくべきことに担任の先生もイジメの事実を全く知らないのである。生徒は先生の前では絶対にいじめない、アシをつかまれないように振る舞うのである。その直後のクラス父兄会で(カナイが出席)、ムスメの友だちでいじめられた生徒の父親が、学校中にビデオ・カメラを取り付けろ、とわめいたそうだ。わたしはそこまでヤル必要はないだろう、。。とおもったが、今となっては、この父親は先見の明があったと言うべきだろう。全国の中学、高校の教室、廊下には、直ちに ビデオカメラを取り付けるべきである。なにを無茶苦茶な。。。とおもう父兄や文部省、教育委員会の人間がいたとしたらその人はイジメを理解していない、ということである。学校は刑務所ではない、というひとがいるかもしれない。そういう人も自覚が足りない。学校は刑務所以上のこと、あるいは同等のイジメが行われている、ということをなぜ見ようとしないのか? 学校の先生、生徒ならば それしか手はない、と思うはずである。 NHKの番組を見て、いじめられる生徒にも責任がある、と考える生徒が半数もいる、ということは、生徒にはイジメが犯罪である、という自覚がない、そういうことを学校が教えていない、ということの何よりの証拠となる。このデータを見て何も校長や先生、文部省が感じていないようだったら、救いようのないところまでニッポンの教育はきているというしかない (放送ではこのデータに、だれも驚いていないことに、わたしは驚いた)。

中島博行のいうように、たとえ、一人が残り全てのクラスからイジメにあったとしたら、一人だけに通学を認め、残りのクラス全員を通学停止、あるいは退学措置にスベキなのである(同時に、いじめた生徒は家庭から外出禁止、あるいは遠方に隔離とする)。おそらく、その一人は精神的に耐えられない、ということになるだろう(イジメ側の家庭からの報復など)。次善の策としてわたしは、学級閉鎖、あるいは学校閉鎖を提案する(学校の先生の給与支払いは停止、あるいは大幅減給とする。こういう教員校長に税金を使うのは正義の観点から止めるべきである。これで浮いた経費は、いじめられた側への転校費用を含めた補償費用に充当する)。 いじめられ側だけを隔離、放校してシランフリをしている先生や教育委員会、文部省の人間がヘラヘラ笑っている現状は異常と言うしかない。

入学時、イジメを行ったらただちに、停学、退学とする、という誓約書に署名を生徒に(父兄ではない)させること。生徒、親に入学前に人権教育を行うこと。前提として学校の先生も人権を学ぶこと。 人権、など、そもそもどこでも教えていないのだから、ニッポンでは。人間ならだれでも人権感覚など持っているであろう。。とおもうのはトンデモナイ間違い、とわかったわけだ。

上述の対策を異常だ。。。とおもっているひとは、そういう異常事態が10年以上前から学校に存在していることを知らぬお目出度いひとたちである。あるいは、知りたくない、見たくない。。と。

のど元過ぎれば熱さは、忘れる。
30年以上続いた、校長/教員、教育委員会、文部省合作の内申書偽造(公文書偽造)も、だれも、罪に問われることなく、ひたすら、忘れ去られるのを待とうとしている。
騒ぐなよ。。じっとしていろ。。俺等が卒業するまで。。進学するまで。。就職するまで。。定年になるまで。。

追記:
番組中、いじめられた経験のある生徒(含む、卒業生)が登場したがそのなかで、登校拒否になったものの、すぐに立ち直った生徒が語っていた。わたしがすぐに立ち直れたのは家族、とくに父親が自分の味方になって学校と戦い、八方手を尽くしたからだ、と。いじめられ側が間違っているのではない、いじめる側が悪いのであり、矯正あるいは追放されるべきである、というメッセージを学校はいじめる側、いじめられる側(親、生徒、および自身)に宣言、伝達しているか?家族にも伝えられない、という悲惨な事態は、学校側の消極的姿勢、イジメ側に対する妥協的な姿勢が生み出していることは明らかである。イジメは生徒だけの責任ではなく、学校の無作為の責任でもある。


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熊野

古井戸さんの考え方・方向によれば、教師は具体的なイジメの克服を通じて人権(個人の尊厳)と最低限のモラルの教育ができると思います。

ただ、教師大人(父兄)側に強い人権意識とモラルが必要ですが、教師も歌いたくない歌を起立して歌わさせられたりして、いじめられてますな。上の覚えを目出度くするためにイジメが有っても無いことにして、ヒラメ教師と言うようですが、生徒にしっかりと向き合って教育をする先生は、上(管理職=教頭・校長・教育委員会)には煙たがられ、給与にも差がつけられるようで。

大人側も人権意識・モラルが希薄(もともと無いのかも知れない)になってますね。強い者が正しく,弱い者が悪いみたいな社会風潮(新自由主義)。アメリカのイラク攻撃を支援する考え方・行動。いろいろな問題がつながっているような気がします。古井戸さんの言論はいつも本質的で爽快感があります。
by 熊野 (2007-03-04 15:43) 

Shiko

う~ん、まぁ、考え方の違いですが、
いじめを行った生徒を、自動的に停学・・・というのは、個人的には同感できませぬ。それでは、ハンムラビ法典の「目には目を、歯に歯を」と同じで、ただの仕返しとしか言えません。まるで、幼児のお遊びです。
「いじめれば、ただ停学を食らうだけ」としか加害者は感じないと思います。それ以前に、なんでも仕返しで済むという考え。教育がその様な「仕返し」的罰を加害者に行うこと自体が、イジメを助長させる気がします。

停学ではなく、別教室で被害者と別離し、道徳教育を1週間行う・・・・とか。結局は意識の低下なのですから、意識向上教育を・・・
もしくは、徹底的な罰(人権の範囲内で)を、加害者に与え、「イジメをしたら、ひどい罰を食らう」という頭を作らせ、恐怖でイジメを無くすとか・・・


う~ん、なんだか難しい話題ですね。
簡単にこの小生が首を突っ込める話題ではないです。ただ、一つ思うこと、イジメ対策委員に「現横浜市教育委員会、元北海道の教師」ことヤンキー先生を採用してるのはなんだか・・・です。
個人的な観点では、明らかに教育委員の宣伝行為にしか見えません。
イジメ問題を宣伝に悪用するなんて、なんとも汚いとしか言い様がありません。
by Shiko (2007-03-04 21:43) 

古井戸

Shikoさんは、現状を甘くお考えだと思います。
学校での、イジメ対策経験がおありなら尊重しますが。
いじめる側は、先生の認識と改善策、指導(決して、進学などには差し支えないことを承知している)を見越しています。イジメ側を特定した場合、隔離しないまでも、1年留年させる、というのはどうですか?
一回目は見逃しましょう。
二度目は退学です。
by 古井戸 (2007-03-04 22:02) 

静内人

真剣な議論の場に大変失礼いたします。静内人と申します。当ブログ(ひとり・税に関する習字展)へのご訪問&コメントありがとうございました。楽しんでいただいて私もうれしいです。くだらないことを真剣にやったかいがありました。四文字習字、是非お試しください。そうすると、ひとり・習字展が、ふたり・習字展に。この輪がどんどん広がって、7435人・習字展とかに…ならんだろうなあ。古井戸さんの力作の投稿をお待ちしております。
by 静内人 (2007-03-05 10:44) 

Shiko

私は何を言われ様と、即停学・退学はするべきではないと思いますが、古井戸さんの「1年留年」は良い策だと思います。
それで、新学期を迎えるまでは、道徳教育を行い(サボって、学校に来ない場合は退学にする)、新学期に1学年落としてのスタートと言うわけですね。

なかなか考えましたな~。単純なことですが、そこまでは頭が回りませんでした。
by Shiko (2007-03-05 22:31) 

古井戸

実は留年、も停学、退学も、成立する可能性は少ない、とおもいます。
なぜかというと、クラスで一人二人ではないからです、いじめるのは。
クラスの半分以上がイジメに加わっている場合、留年だろうと、停学退学だろうと、実施されたら、いじめられ側に対していじめ側の生徒、家族(場合により教師がこれに加わる)からの報復が待っている、と私は考えます。 したがって、学級閉鎖、学校閉鎖、が現実的な落としどころになると思います(教師は職を失い、校長は評判を落としますが実力がないのだからやむを得ません)。いじめられた生徒は、閉鎖により失う物は何もありません。

わたしの米国の経験では、小学校でも、何度言っても聞かない悪ガキは、放校になります。
by 古井戸 (2007-03-05 23:06) 

redu06

古井戸さん、トラバ有難うございます。

http://plaza.rakuten.co.jp/gakkodx/diary/200611260000/

でも書いていますが、学校としていじめへの対処を判断するというのはなかなか難しいものがあります。傍観者もいじめだとすると、ほとんどのケースで処分が必要になってきます。

私は、第三者を入れて学校を良くする方向がないかと考えています。教師も含めて色々なレベルの当事者がいると思います。当事者が当事者同士で裁くのはどうかなと思うのです。
by redu06 (2007-03-06 00:52) 

oldzenit

古井戸さん、こんにちは。
突然失礼します。

私も途中からですがNHKの番組を見ました。
いじめは犯罪です。
ただ、少年がするから犯罪にならないだけだと思います。
いじめられる側にどんないじめられる原因・要因があっても「いじめ」をする必要はないはずです。
本当に簡単なことで、いじめの被害者にいじめの加害者が言うようにどんな原因・要因があっても「いじめ」をしなければいいだけのことなんだと思います。

いじめは連鎖します。

いじめをしている人達が、傍観している人達が「人の受ける痛みの心」を理解することなく社会に出ていくのですから。

いじめの中心である加害者に社会の厳しさを伝え、同時に、いじめの被害者を救済しないといじめは解決しないと思います。

中嶋先生の本、「君を守りたい」を私は拝見しました。
「子どもが子どもを学校内で殺す」・・・「いじめ」の問題は本当に深刻だと思います。「いじめによる自殺」だけでなく「いじめによる殺人」までもうすでに起きてしまっています。

私は、「厳しさ」も必要だと思います。
by oldzenit (2007-03-06 13:10) 

古井戸

先生が実態を知らないのだと思いますね。わたしも知らなかったが。

イジメに似たようなことは小学生からあります。生徒を先生が知らなさ過ぎる。校長ややたらに教員をかばいたがる、教育委員会や文部省への調査には何もないと答えたがる(評価に響く)。

そのしわ寄せが、いじめられる生徒に来る。

それをイジメ側が知っている。かつて、退学処分になった子供がいたろうか? 何の処分もないことを知っているからなめられている。

中島さんは番組ではじめて知ったが、彼の過激な意見に参加した校長や教育評論家は、すこしは目を覚ましたろうか?

記事にも書いたが、30年間続いた大量の内申書偽造は何の咎めもないらしい。これでおかしいと主なない正義感覚の持ち主が教育に携わっているのが怖い。
by 古井戸 (2007-03-06 18:16) 

古井戸

redu06さん。

第三者機関は必要と思います、場合により。

教師は イジメ側、でも、いじめられ側でもなく、第三者であるべきだ。。とおもっていたのですが。じっさいは、本人たちが自覚することなく圧倒的にイジメ側の見方(味方)になっていますからね。
by 古井戸 (2007-03-06 18:23) 

熊野

一クラス20人以下にするだけで先生の目の行き届き方がずいぶん違うでしょう。30人から40人もいると一人一人の生徒の状況までは中々見れないし、感じ取れないように思います(昔の塾教師経験から)。多数の先生方はイジメを何とかしたいと思っているでしょう。でもなかなか見えてこないし、見えると仕事が増えてたいへんだし。イジメ側とイジメられ側は時・処で入れ替るし。

イジメラレ側にならない様に生徒は戦々恐々として周りに気を配り、目立たないようし、イジメを見たら知らん振りか少しイジメ側(強いほう)にコミットする。自分の安全のために(大人と同じ)。

いじめる子供は自らのストレス(家庭内暴力や家庭不和により親から与えられたストレスか、学校生活そのものが原因なのか)を発散させるために誰かにイジメをし、その他人の苦痛を見ることで自分のストレス・苦痛を軽くしたような気になっているのでは?。

先生は断固としてイジメられる側に立っていじめる生徒を指導すること(その子がなぜイジメに走るのかその背景・原因を理解しながら)。先生が必ず断固としてイジメられる側に立てば(中島弁護士のように)、生徒は自分のいじめられる不安からイジメ側に加担するという事がより少なくなるでしょう。イジメに加担する子が少なくなりイジメル子が孤立し始めれば、その子をしっかり見れるようになるでしょう。その為にもクラス定員は少ないほうがいい。

大人社会の方がいじめられて泣き寝入りし、見て見ぬ振りをし、人権侵害に対しても怒りを感じることが少ないように思います。人権感覚(個人の尊厳の意識・自分が大切であるように平等に他人も大切であるという意識)が常識としての固定観念(モラル=日常生活の準則)にまでまだなっていないように思います。人権保障体系としの憲法を多数の国民がまだわがものにしていないのかもしれない。

実際、こういう人権意識を持つことは、経済的には(商売上は)自分のプラスには余りならないことが多い。金儲けにはほとんど必要のない意識ですから。会社の入り口で憲法は終わる?。今のところ残念ながら。
by 熊野 (2007-03-08 01:39) 

古井戸

会社と学校は多少違いますね。大金持ちで全国どこの学校でも行ける家庭は別として、だいたい、地域で定められた学校に行かざるを得ない。地域密着、ということは、校門を出ても、戦いがある、ということです。地域社会、という。 これが、選択の自由のある企業とは異なります。

いじめられ側は通常少数でイジメ側が多数です。イジメ側に無関心派がなびいていく、という構図が多いようです。最大多数の最大幸福、という功利主義を持ち込んで、お前らが(いじめられ側)黙って3年過ごしてくれれば安泰なんだ!といわんばかりに先生や校長は妥協の論理をもちこんでいるのです。教育委員会や文科省の官僚はこれで身分が安泰なのだから。

わたしは、正義を重視します。 1名のいじめを受けた生徒が登校拒否し、30名のイジメに加わった生徒がノウノウと税金の支援をうけた公立学校に通学するのは 正義ではない。 中学生なら(小学生でも)このくらいの理屈はわかっているし、正義感はあるはずです。ないなら、まず、これを教えよう。 その後、 不正義は、 学校だけではなく、社会でも認められない、と 通告し、それにしたがって、処分することです。 処分は、生徒だけではなく、校長教員、当事者すべてが負うのです。 こういう不正義が通用するのは、ガッコウ、だけです。 企業にも不正義はあるでしょうが、継続すれば発覚し、破綻します。 ガッコウが破綻しないのは、それを支える地域、という土着社会があるからです。 住民が逃れられない地域という支えがなくなれば 不正義を正そうとしない ガッコウは 破綻するはずです。
by 古井戸 (2007-03-08 06:01) 

金魚

58才♀です。「イジメ」問題には、ほんとうに心が痛みます。
わたし自身小中学校でイジメを体験しています。
父の職業は新聞配達だったので遠い町に引っ越してもらいました。
わたしの子どもも小学、中学ともにイジメを体験しています。
5年住んだハワイから沖縄に移住してきて、言葉がしゃべれないことを
理由にイジメられたのです。わたしは教員の制止をふりきって
毎日学校に通い教室の外から見張っていました。
他にもひどいイジメを受けていた子がいて家に連れてきて
おやつを食べさせたことがあります。
その子は祖母とふたり暮らしで、どうしようもなかった。。
ほとんどクラス全員の男子から「プロレスごっこ」と称して
ボコられていた。あの子は今ごろどうしているだろう。

次男は中学校でイジメを受け、登校拒否になってしまった。
当時は「保健室登校」もなかった。
農業高校を経てAO入試で福祉系大学入学、卒業したけれど
英数理がまったくできない。
by 金魚 (2007-03-09 12:03) 

古井戸

金魚さん。わたしと同年代ですね。
わたしは広島の田舎ですがけんかはありましたが集団的イジメなどみたことがありません。
それにしてもご苦労でしたね。
まだ、いくらでも勉強できます。英数理だけじゃなく。
わたしはやりますよ。これからも。

前の記事で池田晶子について書きました。今、池田の著書5冊を集中的に読んでいます。最近(去年、末発行)の著書、『14歳の君へ』はすばらしい。いじめる子といじめられる子、のどっちにもなれるとしたら、君はどっちになる? と問いかけている。

<はじめに>だけでも、立ち読みしてください。
by 古井戸 (2007-03-09 13:13) 

すずめ

「いじめ」とゆ~言葉が 市民権を得ているのだろか?
「いたずら」と同じように σ(^^)には 不愉快な言葉だ。

この間抜けな言葉が持つ曖昧さが 深刻な事態を覆い隠し、言い逃れを許し、被害者と加害者とを「友情」で括りかねない危険を生み出す。

弱者に対する強者の「傲慢」を許して良いのか?強者を遠巻きにして 尻尾振ってなつくようなマスこそが 「いじめ」られっ子を「生み出す母体なのだ。「いじめ」と言う名の恐怖から逃れえていることなんか 少しも手柄じゃない。

それを面白いと言わない人を阻害するところの、世界を面白がらせてモノを売ろうとするところの、資本に支配されたテレビが 要するに悪い。その意味では漫画もゲームも一蓮托生でぃ。だからさ、テレビだなんだにに「道徳」を譲り渡してしまったσ(^^)は もっと悪い。

遅くはない、踏みとどまって子供達と向き合い、そして 自由ってものの本質を 若い彼らに伝えようじゃないか。。 今夜も前向きなワタシ\(^o^)/
by すずめ (2007-03-09 21:39) 

古井戸

すずめ、さんへ。
いじめ、はやっかいですよ。のれんに、腕押し、的なところもある。
同じ行為を40年前(わたしらの、小中学生時代ね)に私にやられても、わたしは気付かなかったかも知れない。 生徒と、それを取り巻く環境が変わったために、生徒間の感情の凹凸や、感度、も変化している、と言うしかない。 問題はそれを、教える側が理解しているか、ということですよ。たとえば教育学部などで何をマスターしてきたものが生徒を教えているか? イジメのパターンと、その対処方法など当然十分、マスターした後で学校に出向いて欲しい。場合によって、医学部と同じく、学部を卒業したあと、5年間経験を積んだ後で(インターン~)適性を見て資格を付与してもいいくらいの厄介な商売だと思います。

諏訪哲二(教師)の新著 『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』 光文社新書 を読んだが、これは、ダメ。
池田晶子『14歳の君へ』 はいい本だ。しかし、これをこのまましゃべられると14歳は消化不良をおこすだろう。でも、信念をもって、喋り続ける先生(池田晶子)を見れば、そのガッツと魂に 生徒は共振するだろう。

              魂

だな。教育は。 魂のないやつに、先生はつとまらんよ。
by 古井戸 (2007-03-10 22:37) 

すずめ

影響力を持つ「たましひ」を教師が示せば、生徒諸君の「たま」は 共鳴して打ち震える、とσ(^^)も期待しよう。同質の魂を、教える者と教えられる者とは互いに持ち合っているとの了解は必要ないだろう、と思いたい。
by すずめ (2007-03-10 22:55) 

海外逃亡者

私も、日本の小学校2年生から高校3年生に至るまでの11年間、いじめで散々嫌な思いをしています。振り返れば、今こうして生きているだけでも不思議なくらいです。アメリカにいる今でも、つくづく思い出すことがあります。

20年前と今で学校環境が違うのか、はよくわかりません。私の頃は、とにかく生徒の数がむちゃくちゃ多く、1クラスに40以上の生徒をたこ詰めにしていたのを今でも覚えています。40人という数字は、ふつうに考えても、教師が一度に面倒を見れるレベルじゃないです。生徒一人一人のスペースが非常に狭く、一日の全てを同じ教室の中で過ごすのですから。まるで刑務所にいるような感じです。こんな環境に押し込められると、生徒間同士でフラストを感じ、クラスメイトによるいじめや暴力・嫌がらせなどが生じるのも無理ありません。さらに休み時間中、生徒の行動に目を向けられる人(教師・講師・職員含む大人すべて)が殆どいませんでしたね。これも、いじめが摘発しにくい要因にもなっているのでしょう。

個人的には、アメリカの学校のように、問題のある生徒に対してはきちんとした措置を取るべきだと思います。principle officeに呼び出し、dentension centerで謹慎させたり、地域活動への参加を限定して義務づけるとか。それでも更生しなければ、放校処分か補習学校行きにするとか。少なくとも学校は、クラス環境や校則、授業時間数などで、生徒に大きなストレスをかけていることを認識するべきでしょう。それができなければ、登校拒否やいじめ・暴力、あるいは学校での過度なストレスで追い詰められて自殺をする生徒は、今後あとを絶たないと思います。
by 海外逃亡者 (2007-03-11 11:22) 

海外逃亡者

principle centerの"principle"を "principal"と訂正します。
校長室なので。

どうも失礼しました。

海外逃亡者
by 海外逃亡者 (2007-03-11 11:26) 

古井戸

principle office デモいいような気もしますね。。
米国の場合、小学校のでは校長が全権をもっています。日本もか?
私は団塊だからすし詰めは、海外逃亡者さん以上です。田舎ですが、一クラス、56名ですよ。教室は机で一杯で自分の席にたどり着くにも、蟹歩き状態。想像できるでしょうか。いなかで、一学年200名以上。いま、1/5くらいになっているんじゃないだろうか。殴り合いの喧嘩はありましたが、精神的なイジメはなかったですね。喧嘩では自殺しません。

放校も米国の小学校ではありましたが、驚いたのは、学校を訪れたとき、たまたま試験だったのですが、生徒が、教室の外の廊下にでて、寝そべって試験問題を解いていたこと。

3年だったムスコが、帰って言うには、先生(女性)が教室で「レーガン大統領は大嘘つきだ」と怒っていた、と。ちょうど、イランコントラ事件のときです。

問題はある国ですが、復元力がある。個人主義の徹底。問題児と、その家族を同一視しない。

学ぶところ、いいところはいろいろある国です。日本は、外国が学ぶところはあまりないんじゃなかろうか。
by 古井戸 (2007-03-11 11:43) 

ゆっきー

非常に良い意見だと思いました。

実際のところ、教育委員会も、教師の責任を如何に隠蔽するかしか考えておらず、イジメ加害者と結託して、イジメの認識が無いなどと言い出す始末ですから。
自動的に、学級閉鎖するなどの毅然たる措置を義務付けないとダメだと思います。
by ゆっきー (2007-03-20 01:06) 

古井戸

ゆっきーさん。

何が正義か、を教職を賭しても伝える勇気が欲しい。これを大学の教職課程でみっちり仕込んで欲しいとおもいますね。 過去のイジメ事例集をデータベース化して公開し、おれ、わたし、ならこういう事態にこう対処する、というケーススタディをしっかり身に付けてから、先生に配属して欲しい。 
by 古井戸 (2007-03-20 03:38) 

ムム

いじめられる側に問題があるというのは、私はあると思います。というか例え学生時代に色々規制されたり見張られたりした環境の中でいじめられなかったとしても、成人した後、一般社会に出た後、いじめられないとは限らないでしょう?学校の中でのいじめが仮にゼロになったからと言って、世の中からいじめがなくなるとは限りません。いやなくならないでしょう。いじめをすることが悪いということを徹底的に教え込まれ、正義が何かを教え込まれても、その教えがまかり通るのは学校の中だけのことです。極論なようですけど、何でいじめられたのかを小さいうちに知ることは必要なんじゃないかなと思います。私はいじめを肯定しているのではありません。ただ社会で生きる中で必要な「普通」とか「溶け込む」ということを知る必要はあると思います。何もいじめないでも、その子が直すべき点を教えてくれるだけで良いと思うかもしれませんけど、子どもにそんな悟りきった行動は難しいでしょう。嫌なものは嫌。自分が小さいとき、私はそうでした。
by ムム (2007-03-28 10:17) 

風

教育基本法改正の発端となった事件は、先生方が教え子の親子を罠に掛け教え子という犯人をつくりだしたものでした。
6年前から教育委員会に解明を・・・とお願いし続けましたが、無視、拒絶でした。隠蔽です。
詳細はホームページをごらんください
http://www.hpmix.com/home/fusako/index.htm
by (2007-07-22 08:59) 

古井戸

ムムさん。
>何もいじめないでも、その子が直すべき点を教えてくれるだけで良いと思うかもしれませんけど、子どもにそんな悟りきった行動は難しいでしょう。

人間の一生は短い。なぜいじめられたか、を考えたいがためにいじめられるひつようがある、と思う人はいじめられればよいでしょう。
わたしには時間の無駄とおもいます。殺人者はいつになっても存在します。殺人者の心理をしるために殺人をやるひつようがありますか?
by 古井戸 (2007-07-25 10:34) 

K

時季外れにはじめまして。全く関係なく日光東照宮の三猿を調べていて偶然このエントリとコメント(だけ)を熟読しました。すでに今は2008年の暮れですので件のNHKの番組は見ておりませんし、時機も逸しているでしょう。

さて、私の息子は小2まで真っ先に手が出る足が出るという、父母会では必ず名指しで非難される問題児でしたが、担任の女性教諭の懐が深く生徒達の信任が厚かったのでしょう、殴り合いをした次の日にはまた親友に戻るということを繰り返していたので、他の父母からの非難に私も妻も毅然としていることができました。親子共々、その教諭に全幅の信頼を寄せておりました。

私の家庭に決定的な転機が訪れたのは小3で担任教諭が入れ替わったときでした。「漢字テストで10回続けて満点をもらうと流れ星がもらえる」という企画教育で、当初は母子で張り切って漢字を猛特訓し、挫折を繰り返しながらも半年ほどかけて(テストは毎日です)6回連続で満点をもらうところまでたどり着きましたが、7回目に0点をもらいました。ここいらの時期で「いつまでたっても流れ星をもらえない」弱者の一人となり陰湿ないじめの温床が形成されました。それと時期を同じくして息子はお腹が痛くなったり風邪をひく回数が徐々に増え出し、4年生のある時期以降、学校どころかほとんど外出すらしなくなりました。

「いじめられる側にも問題があるのでは?」という論調は、私の息子に限っては全くもってその通りでした。そう、彼は「アスペルガー障害」と「学習障害」という2つの【問題】を持ってこの世に生を受けていたことがそのときはじめてわかったのでした。彼がいくら努力を重ねても漢字を覚えられない、翌日には「前夜にその漢字を猛特訓したこと」すら記憶からきれいさっぱり消えてしまう(!)のは先天的な障害であって、彼は無能でも努力を怠ったのでもありませんでしたが、級友からはバカ、サボリと呼ばれ続けました。ただただ【問題】を持ってこの世に生を受けただけだという事実を突きつけられ、まずそれを認める苦しみを味わったのは妻と私のみでした。本人に事実を告げるには今少し彼の成長を待つ必要があったのです。

中学進学を機に親子共々意を決して転居をし、転居先の中学校にも親としてあらかじめ万全の「教育」をしたうえで、息子を通わせました。当初は生き生きとし、彼なりに自らの人生を立て直す決意を胸に自発的に卓球部を設立するほどで安堵しましたが、5月の連休であっけなく力尽き再び学校に行かなくなりました。そしてしばらくして担任の男性教諭が私を訪ねてきて「息子さんも頑張ればちゃんと高校に進学させてみせますから(云々)」とおっしゃるので「先生。息子は先天的障害を持っているので彼の努力だけでは如何ともしがたい部分がある、と申し上げた上で学校にお預けしたのです。私たちは将来ではなく今を生き抜くことに必死なのです」とお引き取り願いました。その教諭は再度私が不在の時に家を訪れ、妻に対して「あなたは息子さんの将来を真剣に心配しているのですか」と問うたそうで、妻は「私はあの子を産んだ母親で、あなたの何万倍もの時間を彼と共に戦ってきました」とその男性教諭を家から叩き出したそうです。

息子の障害がはっきりした後のいつだったか、妻は縄を買って遺書を書いている現場を私に取り押さえられました。当の息子は5年だったか6年だったか、いじめのつらさに耐えかねて、あろうことか父である私の目の前で涙を流しながらビニールひもで縄を編んでいました。取り上げると「死なせて」と泣き崩れました。10歳前後の少年が、自ら首をつるための縄を編んでいたのです。

さて、こういった広汎性発達障害は多くの場合その存在すら認知されておらず、専門家や経験者でなければ障害かどうかの判断が難しいのです。いじめられる側の親ではありますが「いじめる側対いじめられる側」という二局構図だけに諸手を挙げて同意できかねる面があります。また家から叩き出した教諭に対して憎しみを持ち続けてもおりません。教員もまた、広汎性発達障害に対処する教育を受けていないばかりか、教員養成機関自体がこういった障害の存在を知らないことも多いのが実態です。いじめられる側である息子に【問題】があることは先に書いたとおりですが、発達障害者と長く付き合ってきた経験としていじめる側、あるいはその父母に【問題】があるケースが多いことを専門医と共に学びました。いじめが犯罪である場合も多いでしょう。ただ対人関係形成の障害が弱者攻撃に向かう事例も少なからず見てきました(障害と精神異常とは全く違います)。息子は偶然にいじめられる側にいるだけで、何かの条件がちょっと違うだけでいじめる側にたっていたかもしれない、それが障害のある子を持つ私達夫婦の正直な気持ちです。

障害者の親としてただただ悔しいのは、学校裏サイトや携帯禁止の是非などなどのいじめの陰湿化と対処策が大問題として日々報道される中、広汎性発達障害などに対するセーフティーネットの整備は遅々として進まない点につきます。メディアで「いじめ」という言葉を見聞きするたびに、そのステレオタイプさに「見ざる、聞かざる、言わざる」になる自分がいます。

その息子もつい先日14歳の誕生日を迎えました。あの一件以降、自らの命を絶たない強さを保ち続けている息子を心から誇りに思っています。そして「自分には何らかの障害があると思うし、診断してもらって事実を知りたい」と言うまでに成長しました。ついにその時が来ました。これから彼はいじめではなく自分の運命と対峙してゆくことになるのでしょう。

by K (2008-12-12 02:58) 

古井戸

K様
貴重なお話を聞かせていただきました。イジメられた経験はキツイがそれを乗り越えれば当人と家族は一段高いところに上がることができますね。私の子供四人は何らかの形で登校拒否をしましたが、いまおもうとこれにより親は鍛えられました。すんなりと通学、卒業していたらいまの認識には達しないでしょう。負うたこに教えられ、とはこのことです。最初に登校拒否をされた父兄は暗くなり大きなショックを受けパニックになるケースもあるでしょう。ラジオなどで相談にくる父兄に対する回答者の対応のひどいこと。ぶん殴ってやりたくなります。中学時代の息子は密室で教頭を初めとする5人の男性教師にボコボコに殴られたことがある(これを数年後にカナイは私に教えてくれた)。その教師がいまでは校長をやって教育委員でもやっているのかもしれない。いまその教師達を見つけたら半殺しにしてやりたい、とおもっているわたしはまだ修業が足りません。『負うた子に教えられる』これは真実です。親も、教師も、部外者も肝に銘ずるべきです。いじめられた経験をもつことほど、貴重な体験もないでしょう。乗り越えれば、どこでも経験できないほどの教訓を得られると思います。

広汎性障害がどれほどツライ病気なのかはわたしにはハナシとしてしか実感できません。私の別の記事、
検察による捏造事件 『いったい誰を幸せにする捜査なのですか』草薙厚子  
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-05-20
を是非お読みいただきたいと思います。ジャーナリスト草薙はどれほどこの病気のことをわかっているかおぼつかないが、草薙に情報を提供した医師の高邁な精神に教えられるモノがあります。是非無罪を勝ち取って欲しいとねがっています。(マスゴミはこの事件をすっかり忘れているし、なにがモンダイであったのか考えようともしない。なんという浅はかさか)。警察沙汰になったり有罪になることなどいったい、何ほどのことでしょうか。世俗の毀誉褒貶から超越して生きたいとおもいます。

by 古井戸 (2008-12-12 06:59) 

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