SSブログ

安川寿之輔 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』 書評 [福澤諭吉]

                                          

安川寿之輔 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(高文研)2006年7月刊行
目玉は、平山洋が井田進也のテキスト分析法(井田メソッド)に依拠して書いた本『福沢諭吉の真実』への反論。

平山(井田)『福沢諭吉の真実』の論点は次の通り:
1 石河幹明(福沢の弟子で、時事新報社説の主筆になった)が福沢の死後編集した福沢諭吉全集のうち、時事新報社説には、福沢真筆でないものが混じっている(福沢がまったく一文字も書いていない社説)。
2 しかも、このなか(石河執筆)には、日清戦争を賛美した社説がおおい。
3 福沢をして朝鮮中国侵略者というのは虚像であり、福沢は市民的民主主義者である。石河はおのれの侵略思想を福沢の威を借りて広め、福沢にありもしない侵略主義というレッテルを貼り付けるのに力を貸した。。
以上である。

安川は 井田メソッドのいい加減さを、この本で証明し、巻末には、平山・井田が 福沢真筆でないとした論説 約140編のリストのそれぞれを検討し、ほとんどすべてを 福沢真筆(あるいは福沢が深く関与)と認定し、平山・井田説を覆している。

平山・井田がどう、応答するのか見ものである(しかし、どっちに転んでも下記の通り私の意見に影響するところは少ない) 。

わたしはブログ記事で平山氏と数回、応答をしたが、初期の私の考えは微動だにしていない。『福沢諭吉の真実』がなぜ、馬鹿受けして批判書評が見あたらないのか全く不思議千万である。書店の新刊として『福沢諭吉の真実』を立ち読みしたときからこの書物の怪しさ、立論の脆弱さ、はわたしにとって自明だった。

私の論点:
1 福沢は、侵略主義者か、市民的民主主義者か、という択一問題にするのは(平山洋氏のみかた)、その設定自体が誤り。福沢は、その両方を兼ねていたのである。英国を見ればわかろう。国内では民主主義、海外へは侵略、というのは19世紀では常識であった。福沢はその世界潮流に棹さしたにすぎない。そもそも、思想家の思想は変化するのが常識である。(井田メソッドも 初期から晩年にいたる福沢諭吉が使用するボキャや文体に変化はない、という 想定のもとに、文体を分析している。なにおかいわんやである)

2 書簡などをみてもわかるように、時事新報社員や石河のような主筆(福沢自身は社主であり主筆であった)にとって、福沢は絶対的存在である。福沢は、社説をチェックしていたし、主筆に対し、こういう海外の出来事をニュースに取り上げたらどうか(取り上げたまえ、ということ)と指示しているし、旅行に出かけた福沢に、主筆が時事新報の記事内容を打診している。そもそも、政府から監視されていた時事新報の記事とくに社説に福沢が無関心でいられるはずがない。福沢の意見と反対の意見が社説として掲載される、と考えるのがどうかしている。石河等は、福沢の思想を吸収し、文体も真似たに違いないのである。 社説の論調が執筆者により揺らぐことを福沢が許すわけがあるまい(たとえば朝日新聞社説の内容が執筆者により大きく変動することはありえない。そのようなものとして読者は購読している)。したがって仮に石河が書いたとしても、それを全集から省いては福沢真筆社説の意味も測りかねる事態が生じよう。個人論文と、社説では事情(全集収録への判断)が異なる、ということ。
(追記:ブログで書いたが福沢書簡集には主筆への指示が数少ないが収録されている。福沢の自宅と、時事新報社屋の位置関係を知らないが、福沢は主筆らに記事内容(その他、社の運営)を細々指示していたのではあるまいか。あるいは、記事の内容についての意見など。郵便はあったろうがそれほど便利ではなく電話はなかったろうから、福沢家の使用人が福沢メモをもって時事新報社まで頻繁に往復したのではあるまいか?)

3 すくなくとも、時事新報の読者は時事新報社説を福沢が執筆したとおもっていたはずである。あるいは他の主筆が書いたとしてもその見解を福沢のものと異なるとは夢にも思わなかったろう。福沢もそれを承知していたろう。
4 したがって、かりに、福沢全集に 福沢真筆でない社説が掲載されたとしても、その社説を削除する必要は全くない。なぜならば、福沢は上記のように社説の内容を了承していたからである。時事新報社主、としての社会的地位にある福沢は時事新報に掲載された社説に責任がある、ということである。この責任をかりに他の主筆が執筆したから、という理由で解除することは言論人に対する侮辱だろう。平山氏の著書はしたがって『福沢諭吉の真実』ではなく『福沢諭吉全集の真実』にしたほうがより、真実、に近い(井田メソッドが、正しい場合、は、のハナシだが)。くりかえすと、時事新報社主としてのイデオローグである福沢を評価したいのならば、福沢真筆かどうかはもとから問題ではない。社説にあらわれた意見に福沢は責任を負っているのであるし、福沢はその程度には無責任男ではない、と、思想家=福沢、に対する尊崇の念をもつべきだろう。全集の時事新報社説は筆者を特定せずに発表されたものである、筆者は読者が勝手に推測すればよい、とおもう。(あたかも当時の読者がそうしたように。社説は無記名で発表されたのである)。これで石川幹明問題などは霧散するであろう。

5 おまけだが、ブログ記事の最初に平山氏は 日清戦争は侵略戦争ではない、当時あった、普通の戦争のひとつでしかない、と私に回答されている。であるならば、戦争を支援し、義捐金(福沢は個人で多額の義捐金を供出した)を供出し、経験したことのない規模の対外戦に消極的な国民を叱咤激励尻押しするのは国民として、言論人として当たり前の行為である。であれば、石河幹明らが戦争賛美した、と非難するのはおかしくないか? 石河幹明こそ勝利者であり、国に寄与したのではないか(福沢が晩年、石河らに社説を任せっきり、チェックもしなかった、という平山説を採った場合こうなる)。福沢全集に福沢真筆でないものを入れてもたいした瑕疵ではない、と記事では茶化しておいた(さっそく、<名無しさん>から、馬鹿じゃないのか、とコメントをもろうたが)。

福沢&時事新報に関するブログ記事(平山氏との応答など)は↓の カテゴリ=福沢諭吉。
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/

記事の要点は↑に書いたとおりなので、このブログ記事読む必要はない。なお、わたしは、福沢諭吉論としては、遠山茂樹著『福沢諭吉』(東大出版)を名著とおもっている(ブログに書いておいた)。平山氏は遠山を仮想敵として本を書いているようだ。しかし、両書物の格調の差は歴然としている。

安川寿之輔には、福沢諭吉(&彼を持ち上げる丸山真男)にかんする批判的な著作が数冊ある。平山洋氏も 安川の著作から福沢を擁護するために 福沢諭吉の真実、を書いた、と後書きで言っている。

参考:
米原謙による平山、安川両氏著作への短評:
http://www2.osipp.osaka-u.ac.jp/~yonehara/trend_1.041010.html


nice!(0)  コメント(8)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 8

平山 洋

古井戸さん、しばらくぶりです。相変わらずですね。

安川寿之輔さんへの反論は、「平山洋氏の仕事」中の、「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註」と、「誰が『尊王論』を書いたのか?」をご参照ください。

それから、私は福沢を「市民的自由主義者」と規定したのであって、「市民的民主主義者」としたわけではありません。かなり大きな違いですので訂正をお願いします。

また、「平山洋氏も 安川の著作から福沢を擁護するために 福沢諭吉の真実、を書いた、と後書きで言っている」はどの部分を指しているのですか? 「あとがき」に、「擁護」などという言葉は使われていませんが。
by 平山 洋 (2006-12-04 12:53) 

古井戸

どうも。お久しぶりです。回答します。

1 上記反論jはまだ見ていません。これから参照させて貰います。
ただ、安川さんの本はまだ読み終わっていません。記事中で書きましたように、安川氏のテキスト解読が正しいかどうかは、私の論理にはほとんど影響しません。
2 「市民的自由主義者」と規定したのであって、「市民的民主主義者」。。
ここは、書いていて自信がなかった部分です。訂正します。(平山さんのご著書を手元に置かずに書きました。)
3 擁護するため、というのは、わたしの語彙であって、平山さんの書物からの文字通りの引用ではありません。安川氏の書物への反論、とは書かれていたはずです。 それが、結果的に (平山さんの意図に反しても)福沢擁護、になる(擁護自体にどうこういうつもりはありません)というのは<私の判断>です。おおかたの読者も、平山さんの本は<侵略肯定者、という誹謗からの>福沢擁護に寄与する、と考えているだろうから、ということです。

以前の記事で書きましたようにまたこの記事の要約でも書きましたように、また安川氏もこの著書でいっていたと記憶しますが、石河主筆(であっても他の主筆であっても)がかりに書いた(福沢は一切添削せず)記事であっても、福沢が同意しないものはあり得ない、というのが私の考えです。もちろん、当時の読者はそう考えていたでしょう。(全集読者でさえ最近までそう思っていたのだから)。社説というものは誰が書いても一連の継続性をもたねば読者は不審がります。その程度事は福沢を含む各主筆は承知していたはずです。これに同意してもらえれば、誰が書いたかということは私にとってどうでもいいことです。時事新報の記事は福沢のコントロール下にあった、と考えています。福沢が、石河の書いた社説にかんして、あれは俺の書いたものではない、知らぬ存ぜぬと、言うはずがない、と私は考えています。以上、平山さん(あるいは井田氏)によるテキスト真筆者認定に基づいて議論していますが、これが安川氏のテキスト認定によった場合であっても同じことです。
by 古井戸 (2006-12-04 13:43) 

朝空

古井戸さんのブログはおもしろいです。(ちとひつこいですかな。怪しい者ではありません)。kojitakensさんとこでも触れたのですが、福沢さんについては、仲悪だった勝海舟の話が印象的でした。下町人情的な勝の話は、アウトラインは当たってるのかなと思いました。その勝も福沢も、西郷を慕っているのはおもしろいなと思っています。私も三十代の頃は、西郷さんを慕っていました。(今は、人を見上げるのも見下げるのも良くないなと思い、その意味でやめていますが)。
by 朝空 (2007-01-03 09:26) 

古井戸

朝空さん。。
平凡社新書 『知られざる福澤諭吉』という本が年末に刊行されたが、これの書評。。です↓。 

勝 が 船のことを全く知らなかった。。というのが面白かった。
(ITやインターネットを喧伝した、立花隆が、まったくパソコンを使えない、。。のと同じようなもんか)。

##
『知られざる福沢諭吉』

平凡社新書新刊を読んだ:
『知られざる福沢諭吉』 下級武士から成り上がった男 (新書) 礫川 全次 (著)

(著者名の読みは、Koishikawa Zenjiである)

アマゾンの案内によると。。
##
近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。下級武士から異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるものだったのか。その先見性と処世術で乱世を駆け抜けた大胆にして小心な人物像を描く。
##

本書のカバーには。。:
##
近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。
同時に、彼は拝金主義者、ほら吹き、変節漢といった人格的批判も多く受けた人物だった。
下級武士から幕臣、啓蒙思想家へと異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるものだったのか。
福沢に対する人格的批判の当否を検証し、「成り上がり者」福沢諭吉の心性を探る。
##

著者は、福沢の「品格」を問題とし、数々のエピソードで虚像?を覆そう、という意図があったのだろうか?読んだ限り、「虚像」はまったく揺るがないようだ。

たとえば、福沢が小野使節団の一員として米国に赴いた折、現地で私費により多数の本を購入、その日本への発送運賃を「公費」として請求しようとしたのが(同僚との諍いを契機に)発覚し、数ヶ月蟄居を命ぜられた、という「手数料請求」事件。長崎留学の折、禁じられていた、原書の盗写を無断で行った、など。わたしにいわせれば高邁な理想があれば、この程度の事件,罪にもならぬ些細な出来事にしか過ぎない。これをもって、福沢の品格を問う人間の品格が逆に問われよう。

p232「おわりに」で著者は本書の意図を7点にまとめている。
1 福沢は偉大な思想家。とくに、福沢の文体に注目したい。
2 福沢の拝金主義、という評価。これは覆せない。福沢はむしろ拝金主義を肯定し、実践し、人々に意識改革を迫っていたという見方もできる
3 福沢を変節漢よばわりするひともいるが、「脱亜入欧」イデオロギに関する限り、幕末から晩年まで一貫している。この点で変節したのは(攘夷 -> 欧化)むしろ維新勢力(薩長)と維新政府である。
4 『学商・福沢諭吉』(1900年発行)の著者は、福沢が藩閥政府の腐敗に目をつぶっているとその変節を批判した。しかし、福沢は、幕末に置いても基本的に幕府には忠勤を励んでいた(つまり、変節、はない)
5 脱亜入欧イデオロギの問題点は第8章にまとめたのでくりかえさない。(後述、古井戸)
6 福沢は「品格」の問題があるが、これは出自(下級武士)に由来するところがおおきかろう。しかし福沢はこのことを自覚していた。福沢が「品格」を要求したのは、商工業者に対してである。明治の「商工国家」が、「品格のある国家」に成長しなかったことは、福沢自身も気付いていたろう。
7 福沢の家族観、家族愛、性規範は同時代の水準を抜いて近代的であった。この点、福沢は「品格ある近代人」であった。

この要約を読むと、果たしてこの本は福沢の脱神秘化をめざしたのか、その逆か?と迷ってしまう。福沢を思想家として遇するなら、この本にかかれているエピソードなど問題に値しない。(小野友五郎が率いた咸臨丸による航海で、艦長=勝海舟が無能を露呈し部下の信頼を失った、というのが私にとっては、この本で最大の情報であった、という程度のもの)。

私の見るところ、福沢を問題として現在取り上げる価値があるのは
  脱亜入欧イデオロギ
しかない。しかし、この著者は↑で本書第8章でまとめた、といっている。では、第8章でどう書いているか?p221
##
福沢の脱亜入欧論は、幕末まで一貫した主張であり。。欧米に開国をせまられた日本が、攘夷の風潮を抑制しながら欧化を図っていくためには、これはきわめて現実的なイデオロギであった。特に、「攘夷」を名目に幕府を打倒した維新政府には、このイデオロギが必要不可欠であった。
 脱亜があって入欧があったのではなく、入欧という既成事実があって脱亜があった。脱亜は入欧(欧化)によるストレスを中国や朝鮮を蔑視することで解消しようとする側面をもっていた。このイデオロギは現実に明治政府の対アジア政策を規定し、人々の亜細亜に対する差別・偏見を助長することになった。この影響は、21世紀の今日にまで及んでいるといってよい。これはまさに、「国家の品格」にかかわる問題である。。
##

。。と言い、「それとともに重要なのはこのイデオロギ。。の危険性は三国干渉後の 臥薪嘗胆スローガンにあらわれ。。最終的に。。大東亜戦争までにいたる。しかしこの問題は、もちろん、本書の守備範囲を超える」

として、福沢の死(1901)から一世紀たっても依然として問題であり続けるアジア問題の直前で逃亡している。そもそも福沢を商人として認定するならこの本で問題にした品格は商業規範、を問うてよいだろうが、思想家ならばそれにあたいする思想上の品格レベルを問わねばならない。

福沢は依然として墓から引きずりだすに値する思想家である。

。。ついでだが、個人レベルの品格、ならば、福沢の弟子でありフィラデルフィアで客死した馬場辰猪のほうが上だとおもう。品格の上下と、思想家としての力量は関係ない。
by 古井戸 (2007-01-03 10:36) 

朝空

 「心が二つになるのが悪しきなりけり」と『徒然草』に書いてあるとか、昔誰かが言っていました(多分小林秀雄あたりでしょう)。「心とは何か」という問題はあるにしても、自分を振り返ってみて、確かにそうだなとは感じています。
 実証的な読み方はしていないので印象ですが、勝も福沢も同じく「心が二つ」の人物だったのだろうと思います。(優位に立つ発言をするはったり屋は、自分の思いの表現ではなく、相手を意識しての発言をする訳ですから、両者共この範ちゅうに入れていいのでしょう)。
 ただ私の感じ方かも知れませんが、勝のはったりにはどこか「まあいいか」という要素があるが、福沢のはったりには苛立たされるという印象があります。ひいき目でしょうが、勝のほらは話を面白くするための戯作者的なもので、福沢のそれは、自分の都合(打算)か、そうでない場合も、先進欧米の印籠(知性)をちらつかせてのものという感じがします。勝は父親譲りの漫談屋で、漫談で船は操縦できませんから、福沢を含む乗組員は頭に来たでしょうが、漫談という庶民的心情に依拠している分、憎めない(上からモノを言われる印象がない)のだろうと思います。
 二人がそろって西郷を認めているのは、彼にはこの「二心」の要素が感じられなかったからではないかと思っています。西郷は征韓論の旗振りという言い方をされることがありますが、「西郷さん。あんたなら大院君と話をつけられる」と勝が訪朝を勧めた話は、漫談的歴史ロマンでは済まない話のように思います(大久保利通らの反対で、結局実現しなかったようですが)。
 当時のアジア人も嗅覚として、福沢的な二心には気がつき、嫌っていたろうと思います。魯迅や孫文、周恩来らが実際にそうだったかどうか分かりませんが、二心の無いアジア人とは、実は中国にも朝鮮にも稀だったのかも知れません。(経験的にも思います)。しかし、「遅れていると見られている自分自身に留まる」のスピリットは、汎人類的な思想を築くための要件でもあるだろうと感じています。
 
 誇大なところまで行ってしまいました。悪しからずです。

 
by 朝空 (2007-01-03 19:20) 

ぱrくよんほ

佐高信氏の「福沢諭吉伝説」は、平山氏の主張に依拠して、国権主義者に変質していった福沢を認めようとしていません。

佐高氏の著書を高く評価していたものとしては、残念至極です。古井戸さんのコメントを期待します。

by ぱrくよんほ (2008-11-13 22:41) 

古井戸

佐高さんの本は立ち読みしました。通り一遍の資料よみからなるものですね。
by 古井戸 (2008-11-15 21:41) 

パパゲーノ

ごぞんじかもわかりませんが
2チャンネルで古井戸さんの事をほめている方いたのでおしらせします。

偉人】福沢諭吉について(その6)【悪人】 【2ちゃんねる/日本近代史板】
名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010-09-24 10:10:38 ID:VrueLay+0

>41の証拠

色々なブログがありますが、古井戸さんのブログは、中身が充実していて、読み応えがあります。
福沢諭吉に関するやり取り、大変共感を抱いて読みました。
平山さんは訳の分からない理屈をこねる人ですね。
福沢諭吉の主催する新聞の社説の内容が福沢諭吉の思想と全く関係ないなどと、子供でも考え
つかないことだと思うのですが。
古井戸さんと平山さんのやり取りを読んでいて、古井戸さんにとって消耗なことだなあと思いまし
た。私には、平山さんが「本物の古井戸」に思えましたよ。「古井戸」の中に向かって、何を叫んで
も闇に吸い込まれるだけですからね。「本物の古井戸」に何を語りかけても、まともな言葉は返っ
てきません。

古井戸さんが新しい書き込みをする度に、楽しみにして読ませて頂いていますが、一つ、注文。
掲載されている写真の質が低いですね。おおむね、ピンぼけです。
どうしてかなあ。今では、一番安いデジカメでも、接写・手ぶれ防止機能がついているので、もっ
とまともな写真が撮れるはずですが。
あ、しつれいしました。
遠く、オーストラリアから、拝読しております。
これからも、いろいろと、深い内容の物をお書き続け下さい。
by 正義の悪漢 (2007-10-18 16:34)

http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-10-11


by パパゲーノ (2010-10-26 22:43) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。