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この国のかたち ~ 姜尚中『愛国の作法』 [Book_review]

                                        

姜尚中『愛国の作法』で最も重要な、こころして読むべき章は、第三章、日本という「国格」、である。(国格、とは河上肇の用語らしい)。

明治憲法から戦後憲法までの、この国のかたち、においてエポックメーキングな出来事を要約している。

第一章「なぜいま愛国なのか」p15

「市場経済の新自由主義的なグローバル化は、自然な法則的傾向ではなく、明らかにひとつの政治的なプロジェクトであり、それを推進していく上で、国家の役割と機能は決定的なカギを握っているからです。現に1980年代の日米構造協議から今日の郵政民営化や規制緩和、財政赤字の削減に至るまで、どれひとつとして国家(政府)の強力な介入、働きかけなくして実現された者はありません」

さらに、

「市場を、もっと市場を、と叫ぶ「改革」の政府が、国家(政府)の強力な介入を通じて国民国家という制度の「軟化」を推し進め、結果として、政治や公共的なものが経済や市場に取って代わられる「政治の終焉」をたぐり寄せつつあるからです。そこには、強力な「改革」の政治が、グローバル化にを薦めれば進めるほど、国民国家が政治の「墓堀人」になっていくという皮肉な構図が浮かび上がってきます」

しかし、この潮流はすでに、140年前の明治維新、120年目の明治憲法の制定から約束されていた、ともいえよう。

第3章で明治から昭和へのこの国のかたち、の変遷を姜尚中は要約している。この章はジックシと読むべきだ。

一箇所引用しよう:p108
「。。このような戦後の「この国のかたち」の「始まり」には、ハッキリと占領者の痕跡が刻み込まれていました。それは、明らかに戦後60年余り一貫して変わらないアメリカと日本の、保護者(パトロン)と顧客(クライアント)の関係を忠実に反映していたのです。
 先の年頭詔書(天皇が昭和21年冒頭に発表した)で言えば、「五箇条之御誓文」が昭和天皇の意向によって付け加えられたということ、そして詔書がGHQの指導のもとに取り仕切られたということ、さらに、詔書がマッカーサー憲法草案および「憲法改正案要綱」発表の伏線であったということ、これらのことをつなぎ合わせてみるとき、それらは、アメリカの「日本派」主導による対日宥和的な「ソフトピース」という虚構のタペストリを織り上げていったのです」

欧米からの侵略から国を守り、さらに、不平等条約撤廃を目標にした明治政府の作業からどれほどのことを上積みしたのか?ふたたび<富国強兵>の道を歩むのか? 

生きた化石=博物館行きの国家になるかもよ。あはは。

この章では、丸山真男やその師である南原繁の発言が盛んに引用される。丸山と南原(国体思想の残滓が残っている感じ)とはどういう関係だったのか?

『愛国の作法』は、『政治学入門、日本近代政治史概論』とでも読み替えて、最近のレジュメ本『姜尚中の政治学入門』(集英社新書、近代~現代西欧政治思想の歴史)の続編として読むべきだろう。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4087203301/sr=11-1/qid=1164245930/ref=sr_11_1/250-4394691-2059415

先日本屋で、ふと、気になり、司馬遼太郎の新潮文庫『司馬遼太郎が考えたこと1~15』のうち、とりあえず、1980年以後の発言集10~15(書評、講演、追悼文、推薦文など)の6冊を買った。昨日は、司馬遼太郎の「この国のかたち」1~6を注文。司馬遼太郎が考えていたが、「言語にしなかったこと」を、これらの本から読みとるのである。


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