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小説の技巧 小説の体験 [Language]

(A)
..... The trunks of the trees were dusty AND the leaves fell early that year AND
we saw the troops marching along the road AND the dust rising AND leaves,
stirred by the breezes, falling AND soldiers marching AND afterward the road bare
AND white except for the leaves.

(B)
....The mountain that was beyond the valley AND the hillside where the chestnut
forest grew was captured AND there were victories beyond the plain on the
plateau to the south AND we crossed the river in August AND lived in a house in
Gorizia that had a fountain AND many thick shady trees in a walled garden AND
a wistaria vine purple on the side of the house.

(A)は Chapter 1の(B)は、Chapter 2 の、ともに冒頭に近い部分の文章である。
小説、武器よさらば、Farewell to Arms, by E. Hemingway。

英国の小説家、デイヴィッド ロッジは『小説の技巧』 The Art of Fiction (30人くらいの欧米小説家をとりあげ彼らが用いた小説技法とその意味を説き明かしている)で Hemingway の短編をとりあげ、その文章に接続詞、and がやたらに多いことに言及している。その意味を、ロッジがどう解釈していたかは忘れてしまったが。短編だけでなく実質的なデビュー作であるこの長編でもandの(突発的)多用がみられる(上記の例。ANDは大文字で強調)。ロッジは上記著書で、Hemingwayのような文章をもし中学生が書いたら、作文の先生が添削し、and は片っ端から削られ、ピリオドで切れ、と指導をうけるだろう、とのべていた。短文を and でいくつも結合する、という作文技法はない、ということだろう。「武器よさらば」は、若干の難しいボキャは混じっていてもそれを飛ばせば構文が難しいわけでもなく、日本の中学生でも読めるような文章である。

Hemingway は欧州の従軍記者体験をもとにこの小説を書いた。冒頭のこの静かな田舎の風景とそこを通過する編隊という設定もHemingway の体験によるのだろう。Hemingwayの文章はジャーナリストの文章であるという。当時属した雑誌社Harpersの名物編集者はHemingwayが投稿した文章を徹底的に添削して鍛えたということだが、ときたまあらわれるandの頻出はそのまま放置したわけだ。andを多用せずピリオドに変えて、文をぶつ切りにしたところで小説の意味がかわるわけでもなかろう。わたしは、このandの羅列から作者のガッツ、を感じる。第一章だけではわからないが、この小説は、一人称小説である。

和訳はいずれも(最近、小鷹の武器よさらば、新訳が新潮文庫から出た)、このandを無視して(ピリオドに変えて)訳している。これでは私はちょっと不満なのである。ときおり現れるandの多用は、規則正しく打ち続ける脈に、突然、不整脈が到来する、という効果をもつ。これがなければ、メカニックな文章になってしまうのである。生きているHemingwayの呼吸は聞こえない。不整脈は、地中のマグマかもしれないのである。これを見逃しては小説を読む歓びも、意味もない。

ラストは恋人キャサリン、看護婦、との悲劇的な別れが待つ。病院で出産したキャサリンと子供、共に死ぬのである。

... Don't let her die. Oh, God, please don't let her die. I'll do anything for you
if you won't let her die. Please, please, dear God, don't let her die. Dear God,
don't let her die. Please, please, please don't let her die. God please make her
not die. I'll do anything you say if you don't let her die. You took the baby but
don't let her die. That was all right but don't let her die. Please please, dear
God, don't let her die.

これは恋人が危篤に陥ったことを知ったときの主人公の祈り、訴え、叫びである。大の男が感情を露出する(これを子供じみた表現、とわらうひとは人生経験のないひとである。あるいは、そういう体験をもたなかったラッキーなひと。つまり、小説が不要であるひと)。口や喉はガラガラに渇き、激しく打つ心拍が聞こえてくる、そのような体験を実生活で一度ももたなかったひとは、この箇所を不審におもい、見過ごすだろう。冒頭の静かな風景描写に入り混じる<不整脈>がここで全面展開される。

『キャサリンは、数ヶ月後、子供とともに病院で死んだ。』

武器よさらばの最後の数頁を、このような素っ気ない一行で置き換えた終わらせ方も、ありえたろうか?このような終わり方をする小説家なら、冒頭のANDの羅列もなかったろうし、そも、この小説も書かなかったろう。

川村二郎の苦心の訳であり翻訳文学の最高峰であるブロッホ『ウェルギリウスの死』は英訳(ドイツ語原作と英訳が同時進行した)でも1頁以上ピリオドがない文章は、日本語にもそのまま、マルを使わずに訳している。谷崎潤一郎の細雪には一頁以上マルがない文章が何カ所もある。しかし英訳細雪はこれをぶつ切りにしている。意味を伝えるのなら、ピリオドとマルを任意に打ってもかまわないだろうが(マル、とピリオドは等価ではない。使用法も意味も異なる)、小説は意味を伝えるだけのものではない。感情は形式に先立つ。感情表現は破格を肯定する権利を有する。人生の<不整脈>を表現し得ない小説はArtといえない。

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グレアムグリーンの『Human Factor』。新訳が出たようだ。早川文庫。わたしは最初の翻訳で読み強い印象を受けた。モスクワに脱出した英国スパイ(二重スパイ。キムフィルビーがモデル)と、英国に残した黒人妻サラ、との最後の(わかれの)電話で小説は終わる。

She said, "Maurice, Maurice, please go on hoping", but in the long unbroken
silence which followed she realized that the line to Moscow was dead.

サラの声、「モーリス。モーリス。あきらめないで」。長い沈黙が続き、サラはモスクワとの電話が切れているのにやがて気付いた。

死、と、別れ。解決を与えるのではなく読み終わった後、読者に問いかけを残すのがいい小説である。
この2冊の小説はつねにそばに置いて、ときおり、めくって、朗読する。

<参考>
『小説の技巧』 白水社刊、デイヴィッド ロッジ (著), DaVid Lodge
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4560046344/ref=sr_11_1/250-4394691-2059415?ie=UTF8


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コメント 8

kiyoko

お久しぶりです。
Farewell to Arms, by E. Hemingway の中の and の多用を不整脈という受け取り方、さすがだな〜と思いました。
文学の授業で此の文章を取り上げた先生が居ましたが、全く同じ受け取り方でした。
ただ、不整脈とは言いませんでしたが、、確か、そこで文章に vivid 感が生まれ、とか言ってたようなきがします。それから、 Hemingway の文章には verse と言える文章がちりばめられていてやはり独特の緊張感を表してると言ってました。
もう、大昔の記憶なので正確ではないかも知れませんが。
by kiyoko (2006-10-27 13:24) 

古井戸

お久しぶりです。小説読みの名人kiyoさんから同意頂き嬉しく思います。けったいな文章やなあ、と前から思っていたのですが、ロッジという小説家が同じことを短編で取り上げていて愉快だった(kiyokoさんもロッジの本は面白く読めると思います。まだでしたらどうぞ。)。この長い文章の前後は短い文章が続きますから。ロッジの本の和訳、多数の原文引用が和訳だけなんですよね。。原文をつけなけれありがたみが分からないとおもうんですが。kiyoさんなら、pbですね)。ピリオドだけが息継ぎではないとおもうのですが。この長い文章、マルで切らずに一気に翻訳、ってのに挑戦してみませんか?
by 古井戸 (2006-10-28 13:53) 

すずめ

【and】には (これを読む( ^o^)σ)あなたにはワカラナイだろうが、ってな畳みかけ用語なのではないだろうか?作者は andを多用して 読者を追い込んでいく。内容的にとゆ~よりも、むしろ 感覚的あるいは音感的にも 読者を困惑させる。真面目な読み手は さまざまなandに出会う度に 「そうかそうか」と 架空の世界に引き込まれていく。。
by すずめ (2006-10-28 22:23) 

古井戸

ロッジがどう言っていたのか?図書館で借りて確認しよう。

ピリオドで切ると、はい、お次!(時間的に)、はいお次!。。ということになるのだが、A and B and C and D...では、ABCD....が同時に起こった(時間的前後関係はない)のをやむを得ず一次元的にばらして書き連ねているのだ。。ということになるのだろうか?
by 古井戸 (2006-10-28 22:46) 

すずめ

A and B and C and D...では and B と言ったあるいは書いた途端に Aは 軽くなる。全空間が決まっているとすれば、それをBと分かちあうのだからね。A and B  に続いてand C とすれば、A and B は Cと分かち合って、再び軽くなることになる、と思うな。この動的な気分が and の魔術かもしれない。ピリオドで並べれば 固定的で互いの支配域を犯すことはないだろうからね。個人的には 【and 】って言葉は好きじゃない、【or 】のほうが この理由によってトリッキーが消えて世界は 鮮明である。
by すずめ (2006-10-29 09:30) 

古井戸

or は、いかにも小説的じゃないね。そもそもピリオド、ってのに疑問を感じていたのじゃないか?表現したいこととか外部の世界は、アナログ(切れ目はない)であり、それを文字表現というやむを得ざる表現手段のため、切る、ということに疑問を持っていた。主語+述部、という文法自体にも疑いを持っていた。中国語も日本語ももともと点もマルもなかったろう?英語にもピリオドなど無くても文の開始とか終わりはもちろん、わかる(文頭を大文字にしなくても、だ。)。ピリオドで明示してあればそれが簡単になるだけのこと(時間短縮)。人間の認識に、そもそも、主語動詞が必要なわけではない。一挙に物事は明らかになる。それを伝達し、表現するためのやむを得ざるパースペークチブとして、文法ができた。チョムスキ流にこれを深層構造といっても何も変わらない。二足歩行、とおなじように、進化のたまものだろう。

ピリオドへのいらだたしさ、が嵩じて、and and and and と重ねていく、それでやっとANDの胸をなで下ろす、ことができたんだろう。

かんしゃく持ちなんだな、ヘミ君は。
by 古井戸 (2006-10-29 10:31) 

kiyoko

今日は、アマゾンで 'The Art of Fiction: Illustrated from Classic and Modern Texts by David Lodge' のペーパーバックを見つけましてショッピングカートに入れておきました。
5冊ほど「積んどく」があるので注文はもう少し後になりそうです。
最近ノンフィクションを読む事が多くなりました。
楽しみに読むだけなので、翻訳なんてとんでもないです〜。
by kiyoko (2006-10-31 12:47) 

古井戸

> 翻訳なんてとんでもないです〜。

英和対訳になっていたら、このロッジの本は翻訳者にもすごく有益な本になるとおもいます。
わたしの商売がそうだから、というのではありません、。。 翻訳、通訳 というのは本当に面白い、不思議な現象です。
by 古井戸 (2006-10-31 13:03) 

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