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原爆の使用、など [戦争・原爆]

あるwebサイトhpの、公開コメントに
1 米国の原爆使用はやむを得なかった。
2 東京、京都へも原爆を使用すべきであったかもしれない
と書き込んだら痛烈な批判を受けた。

2については何も説明しないでいきなり書いたのだが、戦前の国体護持派がゾンビのように復活を計って(天皇制は国体護持グループが、GHQと公称して象徴性として残した)いる現状を考えると完膚無きまでに天皇制を破壊すべきであった、という意味。もちろん、私は戦前の天皇制を完全に破壊すべきである、と考えている。(まさか、日本が戦争に勝つべきであったとか、考えている人はいまいが)。

東京裁判は勝者の裁判である。未来はともかく、過去、戦争後の裁判はすべて勝者の裁判であった。東京裁判は勝者による政治裁判(革命裁判)であり、過去の法律にとらわれる必要はない、と考える(もちろん、勝者であっても 正義、という名のもとの裁判を前提する。いろいろな正義、はあろうが)。わたしはもちろん、勝者=連合国側に立って天皇制国家たる戦前の日本を裁く側にたつ。

日本国民は、戦前は教育と脅迫によるとはいえ 天皇制を指示した臣民としてあったし、中国韓国からの強制労働者をなんのわだかまりもなく使ったし、彼らを差別した。日本軍兵士はアジアでどのような戦闘をしたか?一般市民=非戦闘員の首をはね、捕虜を殺した。ナチと同等の殺人マシーンであったのだ。

政府は開戦時、終戦のプランを持っていなかった。昭和20年以前にまともな判断のできる軍人なら既に敗戦は見えていたのだから降伏すべきであった。全国各地の無差別空襲(これも原爆と同じく国際法には違反である)、沖縄の徹底的な破壊を受けもなお降伏勧告にしたがおうとはしなかった。

当時の日本政府は、兵士の命とか国民の命を維持することをまともに考えていなかった、あるいは考えていても維持する政策を行う能力がなかった、資源も食料もなかった。すなわち、降伏せざるをえなかったのである(そもそも、戦争を起こすような国になっていなかった。交戦権を有するにはそれ相応の資格がいる)。各地の兵士は戦って死んだのではなく300万人の死んだ兵士のうち半数は餓死であったという。昭和二十年敗戦後にも国民は続々餓死した。餓死者は昭和21年になっても減ろうとはしなかった。食糧難を政府は放置した(国民に対する政府の義務の放棄である。いや、そういう義務はなかったのかもしれない)。日本人の誰が今の北朝鮮を笑えるか。今の北朝鮮は、まさに国体護持だけしか頭のない当時の(いまの?)日本そのものである。

トルーマン政府が原爆投下を決定したのは、日本国民の為を思って、ではもちろんない。対ソ戦略の意味もあった。被害者への影響という面では分かっていなかったのである。原爆投下後廣島市民への大々的な調査を実施してやっと人体に及ぼす原爆の影響が分かってきた。そのような兵器を使うのは人道に反するのはもちろんである。それ以後、戦争に非人道的な兵器が使われないことがなかった。

そもそも国民の福祉とか安寧なる生活を維持しようという気のない政府を政府とは呼べず、そのような国家は半国家でしかない。原爆が廣島長崎に投下させていなければ、どうなったか?戦争は継続し、餓死者が増え、投下されない場合に比べて死者は増えたろう。米国兵士は日本国民を モンキー、としか考えていなかった、らしい。しかし当時の日本人の誰がそれを誰が笑ったり非難できようか。しょせん、戦争とはそんなものである。

廣島の原爆跡地には、やすらかにねむってください、あやまちはくりかえしませんから、という慰霊碑がある。わたしは、これを、原爆で死んだ人だけへのメッセージとは考えない。戦争で死んだ日本人すべての兵士、市民への追悼メッセージであると考える。国民がもう少し目覚めて、天皇制を我が手で打倒しておけばこういう惨めな国にしなくて済んだ。

しかし、この慰霊碑により慰めらるるものたちに、日本人以外の、日本人兵士によって殺された捕虜や非戦闘員(農民市民)がはいっているだろうか? 入ってはいない。 廣島市で原爆にあった中国韓国の強制労働者たちは爆死しても慰霊対象とされなかった。ニッポンジンがまともならあるいは『品格』を備えていたならば、日本国民のための慰霊碑より先に、日本兵によるあるいは日本国民による差別の犠牲者であったアジアの人々のための慰霊碑を建立し、追悼さるべきであった。そういうことを全く考えもしないのがニッポンジンなのである。現在の首相はまさに、そういうニッポンジンの正当な代表者である。

そういうニッポンジンから私は離脱したい。


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takabee

古井戸さん、コメントはあまりしないけど読んでいます。nice!nice!nice!!
by takabee (2006-08-15 21:24) 

takabee

常々思っていたことだけど、問題なのは合祀でなくて、祀ってること自体なのじゃないか?古井戸さんの言うように戦犯の方々はご家族でひっそり祀ってればよろしい。
by takabee (2006-08-15 22:04) 

古井戸

私のオヤジは志願して日支事変(対中国戦線)に出て、昨年死んだ。そういう兵隊は合祀されるのか、どうか。合祀、というのは別に、分骨とはちがう、単に名前を書き込むだけ。原爆慰霊碑の過去帳に名前を書き込むのと同じ。わたしは書いてくれても書いてくれなくてもどうでもいい(どっちにしても、自分の家の墓に骨を納め、家でオヤジの信じていた浄土真宗の坊さんを呼んで、家族で親父を偲ぶ。代々そうしてきた。 日本で問題なのは、国家による追悼、というのは明治になって初めて、国造りとともに 国家神道という擬宗教により「強制的」に全国民が信仰を義務づけられた、有無を言わせず戦没者は祀られたことだ。国民支配の道具として擬宗教が使われた。近代国家ではありえないこと=信仰の自由もない(ただし、仏教などとの併存はあったようだ)。その総本山?ヤスクニはいわば政治的施設ともみなせる。ここで。。戦後、
1 戦前とおなじ、国家護持による追悼施設ヤスクニ、は認められない -> 疑似宗教ではあるが、ヤスクニを 宗教法人、とした
2 民間法人ヤスクニが 明治以後祀られてきた戦没者の追悼施設(民間)として一手引き受けて、となった。
3 問題は、戦前とおなじく 厚生省、文部省が引き続いて民間法人ヤスクニと深い関わりを持ち、 合祀データの収集や遊就館などの展示物収集に大きな支援をおこなってきたこと。(追悼施設、を民間法人で営むのは元々無理)。
4 政教分離、というきていがあるのにかかわらず、ヤスクニよりほかに追悼施設がないため、代々の首相や天皇など国家代表者に追悼に参列するよう 遺族から強い圧力があった。政治家にとっては集票マシンという魅力があった。
5 裁判所が、政教分離という規定から 政治家の参拝は違法であるのにかかわらず、違憲判決を出さなかった。
6 厚生省完了と、ヤスクニ宮司が 個人的に、反=東京裁判史観のもちぬしで、東京裁判判決を認めずその、デモンストレーションとしてA級戦犯の合祀に熱心であった。

麻生大臣による法人返上、というのはOKだが(無宗教の追悼施設)、ヤスクニ社と命名するなど、ホントに無宗教化する気があるの、という疑いがある。無宗教だからA級戦犯を祀ってどこが悪い?と言い出すに決まっている。靖国神社や護国神社の施設は破壊するのはもったいない、文化施設としてそのままつかおじゃないかl、無宗教だからええでしょ?といいたいのだ。ヤスクニなんてもともと疑似宗教なんだから、なんのことはない、戦前化をやっているだけだ。
by 古井戸 (2006-08-15 22:53) 

おたかさん

久々に訪れました。
米国の日本に対する原爆投下については、もちろん根底にはアジア人蔑視があったであろう。それに加えて当時の日本は、私たちが今の北朝鮮に対するイメージと同じもの、ワケの分からん国、何をするかわからん国、だったのだろう。こんな国つぶしてしまえっ、と。

不思議に思う事がある。
A級戦犯=当時の戦争指導者たちに対する今の国民の気持ちである。
日本がポツダム宣言を正式に受け入れるまでに,連合国側からの再三(正確には2回?)の降伏要請を無視し、本土決戦を叫んで戦争を続行したために、大都市の空襲で多くの市民が犠牲になり、遂には原爆被爆という悲惨な結果を招いたのは誰だったのか?

この際、アジアの事は横に置こう。
国民性なのかどうかよくわからんが、国民に塗炭の苦しみを与えたA級戦犯たちを許してしまっているのだろうか?わが国民は。
あいつらは絶対許せん!という声を聞いた事はほとんどない。
水に流す?死者にむち打つな?
私は水に流さないし、死者にもムチを打つ!
by おたかさん (2006-08-15 23:49) 

古井戸

> 国民に塗炭の苦しみを与えたA級戦犯たちを許してしまっているのだろうか?わが国民は。

こういうことだとおもいますよ。
・塗炭の苦しみを味わい、怒ってもいい人は、最も強く 臣民教育をたたき込まれた人。
・臣民教育に縁がない世代は、 塗炭の苦しみを味わっていない。

お上に <怒る>という 行動は、 安保、が最初で最後かも。

明治の始め、および 幕末には 農民一揆や 反乱があったのだが。 
by 古井戸 (2006-08-16 00:55) 

JPCA

足あとを辿って、ページを拝見させていただきました。ビックリしました。私が今まで感じてはいても、なかなか口に出して言えなかったことが書かれていて・・・何か思う度、私もカナダの日系紙やミクシィに投稿したりしていますが、こういう世論は、広めていくべきだと思います。ぜひこれからも、いろいろと教えて下さい。
by JPCA (2006-09-13 14:17) 

愛

たかはじめまして。あまりにも見解が違いすぎるので一致点を見出そうとは思っていないのですが、明白な事実誤認だけはお伝えしておこうと思い書き込みます。。

>原爆が廣島長崎に投下させていなければ、どうなったか?戦争は継続し、餓死者が増え、投下されない場合に比べて死者は増えたろう。

「空と海からの完全封鎖と条件付降伏があれば、日本本土に上陸する必要すら全くない」 ウィリアム・D・レイヒ提督

「原爆は全く不必要であり、アメリカ国民の命を救う手段としてもはや不可欠ではなくなった。アメリカがここまで恐ろしい兵器を最初に使う国にならないよう望んでいる」 ドワイド・D・アイゼンハワー

「(原爆投下は)軍事的に見れば全く不必要だ」 ダグラス・マッカーサー

戦争中、米国で軍事面の指導者として尊敬を集めていたアイゼンハワー、マッカーサー、レイヒの3人ともが、日本の降伏に原爆投下は「不必要」と見ていました。しかし、3期務めて偉大な大統領だと評価されていたルーズベルトが急死した結果、「つぶれた洋品店の親父」みたいな風貌とアメリカ国民にみられていたトルーマンが大統領に就任。自らのイメージを挽回し「男らしさ」を証明するために原爆投下を決定をしたのです。

そして以下の3点も大きな要因となりました。

1、膨大な費用をかけて作った原爆を議会対策のためにも使わなければならなかった。

2、ウラン濃縮型と、プルトニウム型の2種類の原爆を黄色いサルの住む都市で実験使用してその効果を確かめる必要があった。

3、戦後の世界秩序をめぐってソ連のスターリンに脅しをかけておく必要があった。

だから原爆は投下されたのです。

よって原爆投下がなかったら「戦争は継続し、餓死者が増え、投下されない場合に比べて死者は増えたろう。」などと正当化すること、理由付けすることはできません。

ついでに「広島は軍事都市であったことが原爆投下の原因」などというとんでも話がありますがこれも間違え。広島が選ばれたのは当時まだ空襲を受けていない、原爆投下の威力を正確に評価できるような都市だったからです。それまでの民間人殺傷を目的とした都市空襲(明々白々な国際法違反の大虐殺!!)によって、破壊されていない都市が残り少なくなっていた中での選択の結果だったのです。
by 愛 (2007-01-09 22:05) 

愛

すいません。上のコメント無意味に「たか」と間違え打ちしてます。m(__)

で、しばらく続きをば。

>当時の日本政府は、兵士の命とか国民の命を維持することをまともに考えていなかった、

確かに当時政府が戦争をどのように終わらせるのか、といったプランを持ち合わせていなかったこと、一兵の命を軽く見ていたことはあったと思います。しかしのしかし大局的に見て以下のような視点があったことも紛れもない事実であったと言えるでしょう。

H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

 

  アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

  第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)

 

 ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において
by 愛 (2007-01-09 22:13) 

愛

続きです。(長くてすいません。m(__)m)

>当時の日本政府は、兵士の命とか国民の命を維持することをまともに考えていなかった、

確かに当時政府が戦争をどのように終わらせるのか、といったプランを持ち合わせていなかったこと、一兵の命を軽く見ていたことはあったと思います。しかしのしかし大局的に見て以下のような視点があったことも紛れもない事実であったと言えるでしょう。

H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

 

  アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

  第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)

 

 ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )

 

  バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)

 約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所)


 サンティン・アムステルダム市長(1994年内務大臣)
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」(1985年日本側傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)
by 愛 (2007-01-09 22:18) 

愛

うわっ、同じのがダブってました。すいません。m(__)m

 ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)

 日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)

 

 ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))

 ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。

 

 ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)

大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

 日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。 今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)  さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256~7ページ)

 

 ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)

 すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁)

 

 ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

 日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)  インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。
 

  

  ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代インド首相)

 チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった・・・・彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。(貝塚茂樹編『民族解放の星』講談社、253~4頁)

 
by 愛 (2007-01-09 22:22) 

愛

アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

  日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57~65ページ)

 

  ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

  我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。

 

  ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)

 日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」

 さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。 「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)

 

 朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)

「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

 
by 愛 (2007-01-09 22:24) 

愛

朱 耀翰 {韓国 元国会議員 }

 「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの国だ?黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」

 

  ニミッツ元帥(アメリカ 太平洋艦隊司令長官)

 この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!
 

  ベルナール・ミロー(フランス ジャーナリスト)

 これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。(『神風』)


 
「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわりに何ものにも替え難いものを得た。それは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよ、ナチ党員にせよ、結局は権力を手に入れるための行動だった。日本の特別攻撃隊たちは、ファナチックだっただろうか。断じて違う。彼らには、権勢欲とか名誉欲など、かけらもなかった。祖国を憂える尊い情熱があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこには真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間は、いつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ」  
    フランス アンドレ・マルロー元文化相
by 愛 (2007-01-09 22:29) 

愛

それに日本は戦争を起こした側ではなく、(イラクでも見たように)「米国の挑発によって」「止むを得ず」開戦したというのが歴史的な事実であることはしっかり認識しておきたいものです。

 米上院議員ハミルトン・フイッシュ  『日米・開戦の悲劇』
「日本は、フイリッピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしに存立できなかった。非常な平和愛好家である首相の近衛公爵は、ワシントンかホノルルに来てもよいからルーズベルト大統領と会談したいと、繰り返し要望していた。彼は、戦争を避けるためには、米国側の条件に暫定協定の形で同意する意思があったが、ルーズベルトは、すでに対日戦、およびその帰結としての対独戦を行なうことを決意していたという理由で、日本首相との話し合いを拒否した」

 オリヴァー・リトルトン生産相(英保守党内閣)の証言(昭和十九年六月)
「米国が戦争に追込まれたというのは、歴史を歪曲するも甚だしい。米国が余りひどく日本を挑発したので日本は真珠湾攻撃の止むなきに至ったのだ」

 調査団長ニッツ 昭和二十一年(1946年)七月にアメリカ大統領に提出された戦略爆撃調査団報告書
「日本の指導部が国家の存亡にかかわる利益の為にと固く信じて、戦争を始めたことは明らかである。これに対してアメリカは、単に自分達の経済的優位と主義主張を押しつけようとしたのであって、国家の存亡にかかわる安全保障のために戦ったのではないと、アメリカ人は信じていた」

 小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より
GHQ(日本進駐連合国軍総司令部)最高司令官 ダグラス=マッカーサー元帥
昭和26年(1951年)5月3日米国上院軍事外交共同委員会での証言
「彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつた」


黒人運動の指導者 デュボイス
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはずだ」

 セオボルト米海軍小将
「まさしくハルノートは、日本を鉄棒で殴りつけた挑発であった。」

元米国大統領ハーバート・フーバー(ルーズベルトの前任者)
「もし我々が日本人を挑発しなかったら、日本人から攻撃を受ける事は決して無かったであろう」
by 愛 (2007-01-09 22:33) 

愛

フランクリン・ルーズベルト 英国王立公文書館の資料にあるチャーチル首相が大西洋上の軍艦でルーズベルト大統領と昭和十六年(1941年)八月十日と十一日におこなった大西洋憲章制定に関する秘密会談の一部より
「如何にしたら日本が先に、米国に攻撃を仕掛けるかを検討中である。」

 国際派日本人養成講座 17,674部 H11.12.09
■2.真珠湾の7ヶ月前に日本爆撃計画■
第一のニュースは、日本の真珠湾攻撃の7ヶ月も前に、米軍が蒋介石軍に荷担して、日本爆撃を計画し、陸軍長官、海軍長官、そしてルーズベルト大統領自身が承認のサインを与えていた書類が明るみに出たことである。この作戦には350機のカーチス戦闘機、150機のロッキード・ハドソン爆撃機を使用するとし、また大阪、神戸、京都、東京、横浜の爆撃には木造住宅の多い日本民家に効果のある焼夷(しょうい)弾を使用すべきであるなどとする内容もあった。後の本土空襲の原形がすでに考えられていたのである。実際には、欧州戦線への爆撃機投入を優先したため、この計画は実施が遅れて、その前に真珠湾攻撃となった。[2]
しかし、この案が突飛なアイデアでない証拠として、すでに米軍の最新鋭戦闘機とパイロット約100名、地上要員約200名のフライング・タイガーと呼ばれる一隊が、義勇兵を装って、蒋介石軍に参加していた事実がある。上記の爆撃計画は、この戦闘機部隊に爆撃機を加えて、日本本土を直接攻撃しようという拡張案なのである。[3]
これは完全な中立義務違反で、こんなことが国際法上許されるなら、たとえば台湾が中国に攻撃された場合、自衛隊を台湾に義勇兵として送れば、日本は中立と平和憲法を維持したまま、実質的に参戦できることになる。
2.「米『真珠湾』直前 日本爆撃を計画」、産経新聞、H11.07.15、東京朝刊、1頁総合1面、関連記事が国際2面に2件
3.「発覚したルーズベルトの”だまし討ち計画”、前田徹、正論、H11.10
by 愛 (2007-01-09 22:38) 

愛

ついでに以下の方々はカテゴリA戦犯とされた諸氏の合祀後に靖国参拝・参列・訪問された方々です。

インド・カルカッタ市チャンドラボース・リザーチィン・スティテュード館長 シシール・クマール・ボース夫妻 参拝
チベット佛教(ラマ教) 法王ダライ・ラマ14世 参拝
アメリカ空軍横田基地司令官ドゥエイン・C・オーベルグ大佐夫妻以下 参拝
在日アメリカンスクール教育長リチャード・T・オスナー氏 参拝
ウイーン大学宗教学 フリッツ・フィンガー・ライダー教授夫妻一行 参拝
インドネシア アラムシャ・R・プラウィネガラ宗教相 参拝
エジプト 前世界イスラム審議会事務総長 モハメッド・トゥフィック・オーエイダ博士 参拝
米国・国立公園アリゾナ記念館 ゲーリー・カミンズ館長参拝
インド マガタ大学歴史学教授 アングッシュマン・ラビ博士/シンジャ・アワンマドゥ・クレジ博士 参拝
旧インド国民軍 シャーザダ・ブランデイーン・カーン陸軍大佐 参拝
駐日エジプト大使モハメッド・サミー・サーベット氏・公使アニース・ネマタラー氏 参拝
米軍横田基地空軍司令官ウォル・ファイル大佐 参拝
ドイツ連邦共和国大使館国防武官マウル大佐 参拝
米軍横田基地空軍副司令官エドワード・フライ大佐 参拝
元ドイツ連邦共和国大使館付武官クルグ海軍大佐夫妻 参列
パキスタン大使館付陸軍准将ブリカディー・ムハマド・ネイブ・テナ氏 参拝
米軍横須賀基地司令官スティーブン・H・ハウエル海軍大佐 参拝
米軍横須賀基地司令官スティーブン・H・ハウエル海軍大佐 参拝
ドイツ・ハンブルク市国防軍指揮幕僚學校教官エーベルバルト・メシェル空軍大佐 参拝
ドイツ・シュトゥットガルト放送交響楽団団長 ルッツ・リューデンマン博士 参拝
チリ國・通産大臣 ルネ・アベリウク氏 参拝
在日スリランカ大使 C・マヘンドラン氏 参拝
フィンランド特命大使 カリ・ベリホルム氏 参拝
リトアニア共和国 アドルファス・スレジェべシス首相 参拝
タイ王国空軍司令官補佐サマート・ソサティット空軍大将 参拝
駐日英国大使館付武官M・スミス海軍大佐 参拝
故ラダビノ-ル・パール博士の令息 プロサント・パール氏 参拝
チベット前主席大臣(首相)テイジン・テトン 参拝
ミャンマー國(旧ビルマ)文化大臣ウ・アエ氏 参拝
パラオ共和國政府顧問イナボ・イナボ氏 参拝
ドイツ駐日武官ロベルト・ウェルナー夫妻 参拝
英国大使館付武官ロバートソン大佐・エドワーズ大佐 参拝
パラオ・ぺリリュ-戦の旧日米両軍関係者53人 参拝
イランイスラム共和国一等書記官M・シャケリ氏 参拝
ドイツ連邦共和国大使館国防武官ロベルト・ウェルナー陸軍大佐 参拝
スロベニア国連大使ダニーロ・チュルク氏 参拝
トルコ大使館駐日武官ネディム・アンバル海軍大佐 参拝
旧朝鮮王朝李玖王子 参拝
トルコ大使館付武官ネディム・ランバー海軍大佐/ルーマニア大使館付武官ダン空軍大佐/インド大使館付武官カトチ陸軍大佐//マレーシア大使館付武官ハミド海軍大佐/イスラエル大使館付武官ドルファン准将/ロシア連邦大使館付プロコペンコ事務官・同大使館付武官エヴストラホフ陸軍少将/タイ大使館付武官シーラカムクライ氏 参拝
タイ王国プーン・サック海軍中将 参拝
ルーマニア・ダン空軍大佐/スイス共和国ドルガー防衛軍大佐/タイ王国ポンプン陸軍大佐 参拝
by 愛 (2007-01-09 23:09) 

愛

続き

インド プロサント・パール夫妻(パール博士の子息) 参拝
ルーマニア大使館付武官ラルジュアーヌ陸軍大佐/イスラエル大使館付武官ドルファン准将/インド大使館付武官ヴォドガオン・カール海軍大佐/ブラジル大使館付武官キーゼル海軍大佐/ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐/ロシア大使館付武官エフストラフコ陸軍少将/ロシア大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐/スイス大使館付武官マイヤ陸軍大佐/トルコ大使館付武官アンバル海軍大佐 参拝
イスラエル大使館付武官ドルファン准将/ブラジル大使館付武官キーゼル海軍大佐/トルコ大使館付武官アンバル海軍大佐/ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐 春季例大祭当日祭に参列
米国海軍第七艦隊ミカエル・ローランド・オリバー海軍大佐 参拝
米軍横田基地の空軍関係者が遊就館を見学
トルコ共和国セミー・イエシブルサ海軍大佐/ポーランド共和国スタルシコ陸軍大佐 参拝
ブラジル・サンパウロ市 松柏学園 参拝
カナダ・ビクトリア市 セントマイケルズ・ユニバーシティ・スクール 参拝
インド大使館付武官ウェヘライ海軍大佐/ルーマニア大使館付武官イラン・ラアルジェアヌ空軍大佐/ロシア連邦大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐/タイ王国大使館付武官マイトリー空軍大佐/タイ王国大使館付武官スリヤン陸軍大佐/トルコ共和国大使館付武官イエシルブルサ海軍大佐/イラン大使館付武官サファリ海軍少将/ブラジル大使館付武官フェヘライ海軍大佐/マレーシア大使館付武官ハミド海軍大佐 参拝
チベット佛教リクー・ブッダ・ダツ氏 参拝
ポーランド大使館付武官ヴワデイスフク・スタルシコ陸軍大佐/トルコ共和国大使館付武官イエシルブルサ海軍大佐 参拝
米国コルゲート大学学生 参拝
臺灣高砂族元義勇兵・遺族 参拝
トルコ大使館付武官セミー・イエシブルサ海軍大佐/ルーマニア大使館付武官イラン・ラアルジュアル空軍大佐/イスラエル大使館付武官ズイブ陸軍大佐/スイス大使館付武官マイヤ陸軍大佐/ミャンマー大使館付武官キン・モン・ウィン陸軍大佐/イタリー大使館付武官オファーノ・ルチアーノ海軍大佐/ポーランド大使館付武官キメク・トーマス陸軍大佐/ロシア大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐/インド大使館付武官ヴァドガオンカール陸軍大佐/インド空軍ビスワン空軍大尉/メキシコ大使館付武官セルジオ・ララ・モンテジャーノ海軍少将 参拝
臺灣高砂族元義勇兵・遺族 参拝
インド沿岸警備隊長官ジョン・コリンズ・デシルバ海軍中将 参拝
イタリー大使館付武官オッタリオ・ルティグハーノ海軍大佐/トルコ大使館付武官クトイ・ジング氏 参拝
カナダ・ビクトリア市 セントマイケルズ・ユニバーシティ・ミドルスクール 参拝
スイス国防武官(?)ハンズ・R・マイヤ陸軍大佐/インド大使館付武官ヴァドガオンカール陸軍大佐/イスラエル大使館付武官ズイブ陸軍大佐/ミャンマー大使館付武官キン・モン・ウィン陸軍大佐/ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐/ルーマニア大使館付武官ラルジュアーヌ陸軍大佐/トルコ大使館付武官セミー・イエシブルサ海軍大佐/ドイツ大使館付武官ライムンド・ヴァルナー海軍大佐/ブラジル大使館付武官クラウジオ・ホジェリオ・デ・アンドラ・フロール海軍大佐 参拝
臺灣高座會(臺灣出身元少年工員・家族) 参拝
ブラジル大使館付武官クラウジオ・ホジェリオ・デ・アンドラ・フロール海軍大佐/トルコ大使館付武官クタイ・ゲンチ陸軍大佐 参拝
米国海兵隊第三師団長ウォーレス・グレッグソン海兵隊少将 参拝
インドヒンズー教徒カリアン・ババ氏 参拝
トルコ大使館付武官クタイ・ゲンチ陸軍大佐 参拝
アゼルバイジャン共和国元首相・人民戦線党最高評議会議長アリ・マシホフ氏 参拝
前ペルー大統領アルベルト・フジモリ氏 参拝
在日米軍空軍基地将校会ロニー・デート空軍少佐以下 参拝
by 愛 (2007-01-09 23:10) 

NO NAME

ついでに申し上げますと、反日日本人の方々が仰るような「日本は世界で嫌われている」が間違えであることを外務省が立証していますので参考までに。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asean/yoron.html

原爆投下の経緯は以下に詳しいです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794214081
by NO NAME (2007-01-09 23:19) 

愛

と長々と失礼いたしました。m(__)m
by 愛 (2007-01-09 23:26) 

古井戸

愛様へ。長い意見投稿ごくろうさまです。

原爆投下がいけない、というのは他の条件を無視すれば誰でも判ることです。 中国を侵略したのが悪い、のと同じこと。 あれは侵略じゃない、西洋は昔からやっていた、悪くも何ともない裁くのがおかしい、というのは パール判事の意見です。 かりに日本が勝っておれば、原爆投下したトルーマンは犯罪人になります。負けたらなんともいわれない。負けたから、東條はじめ多数の軍人が戦犯として処刑された。戦争だから当然のことです。天皇はうまく逃げおおせた。 東京裁判は戦争の一部だから、パール判事が何を言おうと無駄です。大川周明などはそのことを判っていた。判らない無知な連中がこれは 勝者の裁判だ!とさわいでいます。これは革命裁判です。 戦争犯罪を、とくに平和の罪、を裁く法律はないのはわかっています。革命裁判に法律は不要です。(フランス革命に法律による正当化はありません。明治維新も同じ。決するのは力、です)。

東京裁判を 勝者の裁判と騒いでいる連中は、フセイン裁判も勝者のだイバンだ、縛り首にするならブッシュとラムズフェルドだ!と騒いでいるのだろうか?是非やって欲しい。

広島市民に原爆を非難できないのは当然のことです。強制連行した中国人などいつまで経っても慰霊しもしなかった。倫理的に麻痺しています。

たいそうな海外の人の意見を引用されていますが読む時間も気力もありません。 私の意見のほうが正しいと決まっています故。

まあ。。戦争のない時代にしたいモノです。

東京裁判、
パール判決
天皇問題
靖国問題

。。に、関してもブログ記事にしています。去年3月から書き始めたものだから内容に関して意見が替わったところはおそらく無いと思います。
by 古井戸 (2007-01-09 23:37) 

海外逃亡者

仮に日本が戦争に勝っていた(これがどういうものなのかわかっている人たちは当時には殆どいなかったような気がしますが)としても、個人的には、
東條をはじめとする軍幹部を英雄化することに関して、強い抵抗感をおぼえる人は少なくないと思います。

当時戦争に反対したため、日本軍に理不尽に殺された人達ではなく、
戦時中に略奪や横暴を繰り返した兵士達やA級戦犯と指定された軍幹部が合祀される。これは非常に大きな問題ですね。日本軍に従軍した韓国人や中国人もいるというのに。彼等は無視ですか?まったくどうかしています。

本来ならば、靖国をはじめとする慰霊碑は、こういった人たちを弔うためにあるのではないでしょうか?
by 海外逃亡者 (2007-01-16 05:35) 

古井戸

> 強い抵抗感をおぼえる人は...

勝ったらそんなことは帳消しでしょう。開戦決定したのは誰だと思ってる?ということになる。英雄でしょう。天皇とともに。

靖国をはじめとする慰霊碑は、西郷隆盛などは反政府(反天皇)だから靖国には入っていません。天皇家のためのものです。保存したければ天皇家の私有地に建立するのが適切とおもいます。

靖国は国家施設ではありません。宗教法人管理による神社です。

わたしは、終戦時、廃棄すべきだったと思います。天皇が天皇でなくなったときから。(象徴天皇と、戦前の天皇はまったく職位、がことなります。したがって、別の名称にすべきだった。横田喜三郎がこういっています)。
by 古井戸 (2007-01-16 08:38) 

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