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十五年戦争とパール判決書 by 家永三郎 [history]

パール判決書も、パール判決を論じた(読むにタル)論評もなかなか見あたらないのだが、幸い、近くの図書館に所蔵の「家永三郎集」第12巻、岩波書店刊、に 十五年戦争とパール判決書、というタイトルの論文がみつかった。 論文執筆は、1973年である。

一読、パール判決の問題点はこれで重要なところは論じ尽くされている、と感じた。

家永著作集は図書館で簡単に読めるはずだから興味ある方は読んでもらいたい。

以下、簡単にこの論文の概要を示す。家永は、このパール意見のうち、歴史的真実の究明と歴史的評価にとうたつするため、なにが有益な見解であり、なにが有害な見解か、を判決を引用しながら述べている。

以下、引用のページは著作集のページを示す。 家永論文の引用は「」で、論文中、パール判決の引用は『』で区別して示す。

「パール判決書は、戦犯裁判という刑事訴訟の判決として書かれたものであるから、当然事実認定と法律論との2側面を含んでいる」

「まず、法律論のなかで、極東軍事裁判所の有罪判決(多数意見)をもって事後法の遡及適用を認め、これに反対したことは、傾聴に値するところと考えられる」
「したがって、日本の遂行した戦争の性格とか、被告の演じた役割とか、その他事実認定と関連する一切の争点から切り離し、純粋な法理論のみに論旨を限定するならば、この点で有罪判決のうちに問題の含まれていることは争いがたいのではあるまいか」

このあと、法理的に、遡及適用とはいえ、一定の効力は持つ、という他の論者の意見を紹介している。

p79.たとえば、横田喜三郎は、戦争戦犯を「古い秩序が破壊され、新しい秩序が建設されようとしている転換期」のいわば革命裁判に類するものと考える観点から、あるいは、団藤重光は、「国際平和の確立」という平和主義的観点から、この裁判における事後法の適用を支持した。
しかし、
『国家はそれがどんな国家であっても、又戦勝国であるか敗戦国であるかを問わず、過去の行為に対する俘虜の責任に影響する「事後法」を制定することはできない』とした「パール判決はこの点に関する限り正論であったとしなければなるまい」

しかし、法理論に関する部分は上記の限りでは問題ないが、パール判決の全理論を肯定することができない、として、家永は、パル判決書につけた 次の田岡良一の主張を引用する(講談社学術文庫版『パル判決書』の序文に掲載してある)。。p80 

- パール判決のように、従来いかなる種類の戦争も犯罪もしくは違法とならなかったとする見解は適当でなく、不戦条約の禁止に背いて武力を行使した国は、不法行為をなしたものであるという説の方が、妥当と思われるし

- 自衛権をいついかなる場合に行使するかは、国家自らの判断に任せられた問題であり、その正不正を問題とすることはできないというパール意見も正しくない。

- 自衛権の行使は、第一次大戦以後、「非常に狭い意味のものとして用いられるようになっ」ていて、その行使が正当な限界を超えていなかったかどうか」の批判を免れるものではなく、完全に国家の自由に任せられていない、と(田岡は)論じる。

そのあとで、家永は
「私も田岡氏に同感であって、自衛権概念の拡大解釈とその行使についての国家の恣意を許容することにより、日本の戦争行為の違法性を全面的に否定したパール判決は、後述の事実認定とあいまち、日本を曲庇する結果となっていると考えざるを得ない。この点をさらに具体的に考えるため、次にパール判事の事実認定の部分の検討に映りたいと思う」

として、続くp81-88(著作集)で パール判決の事実認定の誤りを説明している(上記の部分だけで、止めておけばパール判決書の輝きはかなり増していたであろうが。。)。 この部分は個々では簡略したい。というのは、現在当事者の証言などから多くの事実が明らかになってきており日本が中国を侵略したという事実は明らかになっているからだ。しかし、家永は次のような保留をまずつけている。p81

「パール判決の事実認定は、極東国際軍事裁判所の法廷に顕出された証拠の質・量に制約されたものであり、その後、20年に近い年月の間に学界に提供されたおびただしい新史料とそれに基づく学問的研究の成果に照らし、いちじるしく不満足なのは当然であって、全く条件を異にする現段階から批判を加えるのは当を失するとも考えられるが、しかし、冒頭に述べたように、今日の時点でパール判決書が一部の人々によって効果的に利用せられつつある現状にかんがみると、特に判決に影響を及ぼすような重大な事実誤認については、そうした事実誤認が存在すること、そしてその点を是正するときには判決の全論旨の妥当性がおのずから問題となってくる可能性のあることを指摘しておくことは、やはりどうしても必要なのではあるまいか」

長い引用だったが、この引用でも、家永が批判するにあたって、公正への配慮を欠かしていないことが分かるだろう。

事実認定の誤りのうち代表的なもの、かつ、重要なのは、つぎのことである:
- 日本の対中国戦争行為は1931年9月に始まる満州事変から1945年8月に至る。戦端となった柳条湖事件について パール判決はこれを、中国側の陰謀による、という「認定に傾斜している」p82

ここで「傾斜している」と書いているのは、パール判決のこういう箇所は法律家らしく断定を巧みに避けた、留保をまじえた複雑な構造を持つ文章になっているからである(したがってパール判決文章を簡単に引用できない。引用しようとすると、すごく長くなり、しかも、部分的な引用では言いたいことを曲げることになる)

事実認定の検証を終えたあと、p84で家永は、つぎのように述べている。
「裁判において、量刑にあっては言うまでもないところであるが、法律論や事実認定にあっても、裁判官の世界観・社会観から影響を免れるものでないことは、すでに法社会学の領域で確認された、疑うことのできぬ経験法則である。柳条湖事件についての事実誤認は、単なる証拠の制約やその見方についての技術的操作の誤りから由来したものというよりも、むしろパール判事のイデオロギーと深い関連をもっているのではないか、という疑問を提起してみることも、けっして不合理でない。また、そのような問題を設定するとしないとにかかわりなく、私はパール判決書の全文を通読し、その全編を貫くパール判事の強烈なイデオロギ的偏向に一驚せざるをえなかった。このことも、従来何人によっても指摘されていないことろであるから、節を改めて一言しておく必要がある。」

この最後の「イデオロギー的偏向」については、前記事(東京裁判)で私も述べておいた。素人が30分立ち読みしただけでも、気が付くような偏向的見解は、そのまま載せておくのは明らかに判決書の説得力を弱めるだろうにかかわらず、掲載するというのは相当の信念なのだろう。

それにしても、私が読んでもそのイデオロギ的偏向が目に付くというのに、家永によれば、73年まで、誰もこれを指摘しなかった、とは。

p85-88では、「イデオロギー的偏向」の箇所を説明している。事実認定と同じく、非常に用心深い文言であるから引用すれば、長くなる。ひとことでいえば、共産主義に対する強烈な敵意が示されていることである。(これは、連合国側とくに米国の、数年後の政策を考えれば、奇妙に考えられるほどだ。いまから考えると。つまりパール判決は長らく封印され、印刷出版がGHQにより許されなかった)。

家永はパール判決を要約している。p89
「。。。正義と人道とを法の領域において明らかにしようとする鋭い法曹的良心と、強烈な反共意識に貫かれた政治的イデオロギーとの奇妙な交錯の下に織り出された、複雑な性格を帯びた文章である、というべきであろう」

##

著作集では、家永氏の上記論文につづけて、東京裁判を勝者の裁判と従来から主張しているマイニア教授(著書”Victor's Justice”、Tuttleから安価なペーパーバックで入手できる。わたしも何十年か前に読んだ。そのときはよくわからなかったが。翻訳もあり)の上記家永論文に対する反論に応答した家永の文章を掲載している。家永は、マイニアからの批判を、軽く一蹴している。

さて。。。この著作集の文章を読んで、わたしのブログ記事(東京裁判)は影響を受けるか? 全く受けない。

わかったことは、パル判決のうち、

- 事実認定は現在の視点からみて話にならない、誤りを含んでおり、
- いまでも有効と思われる法理部分すなわち 事後法の遡及的適用不可、の原理も、いかなる場合にも通用するわけではない、

ということである。

いまでもパル判決を後生大事に抱えて(おそらく読みもせず)、日本無罪論を説く論者がいるのは笑止、ということである。講談社文庫版パル判決書の訳者らは、訳書出版にあたりインドのパル判事を訪れ、序文執筆を所望し、パルに断られたという。執筆者の魂胆がパルにも分かったのであろう。懲りない人たちである。

わたしの引用(箇所)に不安があるとおもわれる方は、是非、家永三郎著作集のこの巻(第12巻)を図書館でよまれることを希望する。10分もあれば読める量である。この巻は 15年戦争に関連する論文、エッセイ、書評などを収録している。

 

<関連ブログ記事>

パール判事の冒険:

http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-08-15

 

 


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ホソピー

勉強になりました。
by ホソピー (2006-09-06 01:41) 

透水

私には、パール判事の判決文書は、正しいと感じられます。
パール判事には、「強烈な反共意識」、なるものはありません。
また、家永氏は、
「極東国際軍事裁判所の法廷に顕出された証拠の質・量に制約されたものであり、その後、20年に近い年月の間に学界に提供されたおびただしい新史料とそれに基づく学問的研究の成果に照らし、いちじるしく不満足なのは当然・・・」
と、当該文書で言っているようですが、この当時、つまり、1973年頃は、
膨大な弁護側資料が、殆ど公開されていませんでした。
「20年に近い年月の間に学界に提出されたおびただしい新資料」とは、
皆、偏向シタイデオロギーによって提出された、言論、ですね。

去年、10月に戸井田とおる氏によって、内閣委員会での質疑により、
国立公文書館に所蔵されていた非公開資料が、(それこそ膨大な)
順次、公開される運びになりましたが、日中間での歴史研究会もスタート
した昨今、先ずは、イデオロギーの色眼鏡や意図的な歪曲による歴史の
捏造を排斥した、歴史事実の正しい認識が共有される事を、私は、期待
しています。
by 透水 (2007-01-06 01:53) 

古井戸

パール判事には、「強烈な反共意識」、なるもの。。
 私は感じています。
すくなくとも、反=西欧意識はあります。
いずれにしても、東京裁判に <公正>を期待するのは誤りです。
戦争の一環なのだから。

東京裁判の、後に行われるべき、国民裁判=革命裁判も、同時に東京裁判で実現されたものと、私は見なしています。

戦勝国の押しつけにより、象徴天皇制を維持しましたが、天皇制は完全廃棄すべきでした。9条改正より、まず、1条を排除すべきと思います。
by 古井戸 (2007-01-06 03:18) 

朝空

 「9条改正より、まず、1条を排除すべきと思います。」

 真っ当。
 戦後、民衆が共和制を言い出せなかったのは、インテリの玩具としての空想共産主義と、天皇の膝の上で反抗の戦後民主主義(物取り主義)のなれあい精神の結果だったと感じている。丸山真男などのセンセイが、どんなに「正しい」ことを言っても嘘臭いのは、この辺だった(武内好なんかは、知性というよりも嗅覚として、この手のうそ臭さが嫌だったんじゃなかろうか)。
 でも寒々しさ(知に棹させば何とやら)の共和制は、意識下のものとしての情を呑み込んでからじゃないと、実現不可能だろうと思っています。暴力革命なら別ですが。「馬鹿でも保守は強い」のも、今は野党の親分・小沢が、「日本の変革は体制内からじゃやないと無理」と言ったのも、そのココロは、観念性のカラを一歩も出ようとしない(「正しいこと」を言うことにばかり汲々としている)革新なるものをかぎ分けてのものだと思っています。
     馬鹿か利口か判らない西郷さんがいいのは、この辺。
by 朝空 (2007-01-06 08:14) 

ほっと一息

朝空さん
義理を通さば道理が引っ込む・・・ってことですかね。
西郷さんは、究極の選択で義理をとったが、大久保利通は道理をとって、袂を分けたんですかね?

私もどちらかといえば、義理派なんだけど、第二次世界大戦に至るまでの日本は庇いようがないですね。
私は、当時の日本を国際社会においての凶悪犯と評価しています。
by ほっと一息 (2007-08-25 14:43) 

ほっと一息

古井戸さんへ
こんにちは、いや以下の件は知りませんでした。
>事実認定の誤りのうち代表的なもの、かつ、重要なのは、つぎのことである:
- 日本の対中国戦争行為は1931年9月に始まる満州事変から1945年8月に至る。戦端となった柳条湖事件について パール判決はこれを、中国側の陰謀による、という「認定に傾斜している」p82<

これは酷いですよね。

1933年2月24日、国際連盟特別総会においてリットン報告書(対日勧告案)が採決され、賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム=タイ)の賛成多数で可決された。
ほぼ全会一致で可決したことも否定するわけですから、自説を押し通すためなら、何でも有りですね。
by ほっと一息 (2007-08-27 16:25) 

古井戸

>戦端となった柳条湖事件について パール判決はこれを、中国側の陰謀による、という「認定に傾斜している

現在ではそれ以降に出て来たレッキとした証拠(日本軍の陰謀)がありますが当時は検察の提出した証拠しかなかったという限界はあります(家永もこれは情状酌量の予知はある(対、パール判事)と言っています。

問題は戦勝国は、敗戦国の犯罪を裁けないか、ということです。裁けるでしょう。泥棒は泥棒を裁けないか?裁けるでしょう。裁判官があらゆる点で完璧な行為者である、と想定する必要などまったくありません。法と正義によって裁くのだから。レーリンクはその後、核兵器撲滅運動に寄与したと言います。いちおう戦勝国に列せられているインドの判事なら、その後、反戦、反植民地、軍縮、不戦、反核の運動に命を賭けていいわけであるし、第二次大戦の戦勝国の犯罪を<戦勝国>が裁くのに何の問題もありません。ベトナム、からアフガン、イラクまで 戦勝国でも敗戦国でもなく、正義の名前で裁く法廷を設立しよう!と運動するものであれば 東京裁判を非難できます。 そういう人間など見たこともない。
by 古井戸 (2007-08-27 17:43) 

古井戸

パール判決書、文庫本で下巻、p501からの 反共思想もちょっと、のけぞらせるものです。長いが抜粋しましょう。
(G) 考慮を要すると思われる事項
(1) 中国における共産主義
本官は自己防衛または事故防御に関する法律は、実質的にはパリ条約以前の法律そのままであり、ただ国際生活の事情のなんらかの変更によって正当と認めてさしつかえないような修正をうけることがありうるものであると解したい。
国際社会は、ある一国が「他の諸国の自由な国民が国内の武装した少数者または国外からの圧迫による征服の企図にたいして抵抗しつつある場合にはこれを支持する」政策を遂行することは正当であると考えているようである。この考えはわれわれをして世界における「共産主義の脅威」の真の性格、またはそれと他国の事件にたいする合法的干渉の範囲とその関係を考慮するにいたらせるであろう。1917年過激派が露国を手中に収めて以来、共産主義が世界の悪夢となったことは周知の事実である。現存の諸国がそのいわゆる「共産主義の脅威」の中に予期していた「破滅」は、おそらく外部からくる力の破壊的攻撃ではなく、むしろ内部からの社会の自然的崩壊であった。しかしながら諸国はこの脅威を表現するにあたって、いずれもこの内部崩壊的疾患を軽視して、あるいはまったく無視して、むしろ外部から加えられる攻撃の妄想を強調したがっていた。
 通常、どんな国でも他国に対してたんにその国内で、あるイデオロギーが発展したという理由だけで、その内政に干渉する権利はもっていないのである。しかしながら中国における共産主義は、たんに、現存の諸党派のある党員が支持した政治的な主義だけを意味したのではなく、また他の政党との政権を争うための特別の一党を組織することでもなかった。それは国民政府の現実の対抗者となったのである。それは自己の法律、軍隊および政府を持つばかりでなく、自己の行動地域さえも持っていた。その結果、共産主義の発展は、事実上においてはまったく外国の侵入に匹敵するものであった。それで、中国に権益を有する他の諸国が、その権益を保護するために中国の中に入り込み、共産主義の発展と戦う権利をもつものであろうかということは確かに適切な問題である。
 ここで共産主義自体がたんに異なったイデオロギーの発展とはみられないということに注意するのも、また当をえたことであろう。国家および財産に関する共産主義的理論と、現在の民主主義的理論との間には、重大な根本的相違がある。一口に言えば、共産主義とは「国家の衰亡」を意味し、またそれを企てているものである。(略)
 たしかに「民主主義」および「自由」という言葉は、共産主義的理想に関連してもまた用いられている。しかし、その場合には、根本的に異なった意味をもたせられている。共産主義的理想における「民主主義」とは、今日行われている「民主政治」の衰滅を意味し、また暗示している。共産主義的「自由」の実現の可能性は現在の民主主義国家組織が消滅してはじめてあらわれるのである、云々。



以下、パリ条約の解釈とか、判決書というより政治理論書(党派的)が延々と続きます。判決というヨリ、1988年のベルリンの壁崩壊を予知していたかのような先見の明ある!!、政治文書~プロパガンダ。。30年後に現れた、露西亜のノーベル賞作家、ソルジェニツィン。。を思わせます。
by 古井戸 (2007-08-28 01:36) 

ほっと一息

>当時は検察の提出した証拠しかなかったという限界はあります<
私も、そこのとこが知りたくて、リットン調査団の調査において発覚したのかと思い、調べたのですが、はっきりせず頭をかかえていたところでしたので助かりました。
すると、国連加入国全員を納得させたリットン調査団は何を根拠に「侵略」とする報告書としえたのでしょうか?
ご存知でしたら、教えていただけないでしょうか?
by ほっと一息 (2007-08-29 02:42) 

古井戸

日本側の策略(これこそ共謀)であることは当時から日本も否定していないでしょう?ニッポンは侵略ではなく自衛だ、と言い張ったのです(そしてパールもこれを後押ししている、のが滑稽)。現在では、詳細な事実が当時より多くある、という程度のものです。

もともとリットン報告というものはニッポン寄りに仕上がっています。(当然です。調査団は英米仏伊など<宗主国>ばかりなのだから。リットンの親父はインド総督です) なぜこれにニッポンが目くじらを立てるの?受け入れればよかろうに。。と思うほど。

加藤陽子『満州事変から日中戦争』第4章「国際連盟脱退まで」は、リットン調査団の報告を巡るやりとりを、かなりくわしく描いています。

p143「。。報告書のどこにも、日本の行動を連盟規約、不戦条約、九カ国条約違反だとした部分はなかった。だが、31年9月18日(柳条湖爆破事件)の行動を自衛権発動とし、満州国独立を民族自決により説明した日本側の主張は退けられた」(加藤)ということです。

後の連合国は、国際連盟に訴えた中国にも、対する日本にも一方的にならぬよう配慮しています。米国もこの時点では日本寄りです。

この前後の各国の言い分を持ち出せば、パールのように反共的言辞をモロに出さなくてもニッポンの弁護は十分できるはずです。(もちろん、<勝者>の裁判であり、戦争の一部だからそんな弁護が通用するわけもないが)。

加藤陽子のこの本を読むと、太平洋戦争、というのは負けの定まったツケタシ、であり、中国就中満州問題の処理がすべて、という気がします。外向的にうまく振る舞えば十分戦争は防げた、とおもいます。(しかし、その後、別の問題が発生し、世界大戦をやるまでになるだろうな~(日本は第一次大戦を実質的に骨身にしみて経験していないから)。。という予感もあり。失敗しなければ人間は学ばない。失敗しても学ばない。。)
by 古井戸 (2007-08-29 14:45) 

ほっと一息

さすが古井戸さん、有難うございます。
>(柳条湖爆破事件)の行動を自衛権発動とし<
自衛権発動という攻撃があるんですね。
つまり、侵略されそうだったから、先に攻撃した・・みたいな

先制攻撃 - 相手が攻撃を仕掛ける前に攻撃すること。 自衛権の最大解釈においては先制攻撃も自衛権の一つとする。
日本の自作自演が判明されてなかったから、この主帳ができたのではないでしょうか?

しかし侵略されそうなんて、いつでも、どこでも なんでも当てはまりそうですね。

>失敗しなければ人間は学ばない。失敗しても学ばない<

面白過ぎます(^^)
ニュースペパーのコント作家におしえて宜しいですか?
安倍・麻生・中川昭一コントで・・・
by ほっと一息 (2007-08-30 01:48) 

古井戸

まず誤字訂正。 外向的 --> 外交的。

>自衛権発動という攻撃があるんですね

盆にA旧戦犯と並んで、NHKスペシャルで放送した 巣鴨戦犯(東條とか広田)の検察尋問特集をご覧になりましたか? 検察が東條に おまえらは領土的野心があって侵略したろう? と 質問すると、東條は(俳優が演じたのだが)

 め、め、め、滅相もない!われわれは、自衛のためにやったのです!

 と、眼をぎらぎらさせながら断じました。 笑っちゃったです。(アベッチらは観たのかな?)

日露戦争も 自衛だし、満州、中国進出も、自衛です。見方に寄れば。。。イラク攻撃も米国の(ニッポンの)自衛でしょう。

加藤陽子の本(岩波新書)は絶対にお奨めです。
最近、小林英夫が 現代新書『日中戦争』を書きましたがそれより詳しいと思う。小林英夫のは立ち読みしただけだが。

満州を巡る外交戦。これがすべてでしたね。明治から昭和までは。 ちなみに、岸信介は満鉄調査部で得た人脈(それにおそらく金脈)で戦後復活しています。
by 古井戸 (2007-08-30 02:09) 

古井戸

ついでですが。。月刊『現代思想』の今年の3,4?月号(何月号か忘れた)に 岸信介特集をやりました。これはよかったです(岸信介には岩波新書『岸信介』、を除いて安くていい本がない)。この特集号の 小林英夫(満鉄研究家)へのインタビュは何も知らなかった私には本当に有益でした(他の記事もだが)。

最近では立花隆『天皇と東大』が 岸信介に一章を割いていますが、あの記述では不十分すぎる。しかし、岸信介と北一輝の関わりに関する記述は有益。岸は国家社会主義を信奉したのであり、その政策は企業人からは<社会主義者、あか!>と呼ばれたほどのものです。
by 古井戸 (2007-08-30 02:25) 

ほっと一息

>め、め、め、滅相もない!われわれは、自衛のためにやったのです!<
私も、一時期そう思っていたんですが、なんだか違和感があり、いろいろしらべたら、
雁屋哲(おいしんぼ漫画の作者)さんの「日本人と天皇」書に、

*1940年に近衛内閣は国是ととして、戦争の目的を「八紘一宇」と内閣決議している

と記してあったので、このとき私的には「日本凶悪犯」が確定したのです。
しかも、嘘をついて自分だけ助かろうなんて許せん・・・と怒り奮闘でした。
二年後、小泉元首相が靖国参拝の頃は、彼は「A級戦犯は戦争犯罪者」とし、「自分は特攻隊の追悼の為に参拝している」と言っていたので、「まあ、ぎりぎりOK」だったんですが、安倍ボン、ボンボン、バカボン、ボンクラは、筋金いりの極右なので、放ってはおけず、いろんなところのブログに、*コメ活動を開始しだしました。
私的には、この決議は日本は*「自衛ではなく侵略だった」とする決定的証拠だと思って*作業をやっているのですが、意外と反応薄なんです。

かなり戦争責任肯定派のブログです。(極右にはしません。思考停止ですから)
多くは、絶対平和主義。。。原爆投下は非人道的、あたりに留まっているからだと思うのですがいかが思われます?

>岸信介は満鉄調査部で得た人脈(それにおそらく金脈)で戦後復活しています<

A級戦犯の刑を免れたのは、一説には、アメリカの反共政策の為に、従米する約束との取引があった、と言われてますが、そのご満鉄調査部で得た人脈(それにおそらく金脈)で総理の座を得たのでしょうかね?しかし政策は、
企業人からは<社会主義者、あか!>と呼ばれたほどのものです。なのでしたら、安倍ボンの2枚舌は祖父譲りなんでしょうかね。
イデオロギーも岸は帝国憲法に改正を試みていますからね。
by ほっと一息 (2007-08-30 12:32) 

古井戸

<自衛ではなく侵略だった>
当時は、ちょうど端境期です。しかし、リットン調査団も自衛とは認めないほどのもの。 (米国から参加した法律屋は、日本軍の駐留をみとめており、撤退すべきでない、といっている)。

ブログで述べているように、東京裁判は 儀式です。国民としてはかつてはおのれも喝采を浴びせた満州進出!であるのに、侵略を共謀したとして軍人を処罰するに当たっては、後ろめたいものを感じるべきです。それは、ひとえに、 革命のため、であるとわたしは理解します。日本人とは外圧に寄らないと、戦前の 天皇制+軍部を倒せなかった、なっさけない民族なのです。

岸は、CIAから金をもらっているようです。おのれが戦犯になったこと(釈放されたが)について米国を徹底的に憎んでいましたからね。ただ、その怨みがマッカーサにたいしてダケなのか(これは確実)、米国政府にたいしても怨みを覚えていたのか、がよくわかりません。基地を無くして米国から独立する、という考えは私は正しいと思う、が、将来のためには 軍縮、反戦平和を 憲法で担保する必要がある、。。。ここが岸信介に同意できないところ。将来の展望です。
by 古井戸 (2007-08-30 12:44) 

ほっと

早速のお返事ありがとうございます。
まず訂正させてください。怒り奮闘→怒り心頭

>A・・基地を無くして米国から独立する、という考えは私は正しいと思う、が、B・・将来のためには 軍縮、反戦平和を 憲法で担保する必要がある、。。。<
すいません、Aが古井戸さんでBが岸ですか?

再度感想をお聞きさたいんですが、
この決議は日本は*「自衛ではなく侵略だった」とする決定的証拠だと思って*作業をやっているのですが、意外と反応薄なんです。

かなり戦争責任肯定派のブログです。(極右にはしません。思考停止ですから)
多くは、絶対平和主義。。。原爆投下は非人道的、あたりに留まっているからだと思うのですがいかが思われます?
by ほっと (2007-08-30 13:14) 

古井戸

>A・・基地を無くして米国から独立する、という考えは私は正しいと思う、が、B・・将来のためには 軍縮、反戦平和を 憲法で担保する必要がある、。。。<
すいません、Aが古井戸さんでBが岸ですか?

AもBも私です。岸は、軍備を持とうとしており軍縮プランなど示していないはず。 


>この決議は日本は*「自衛ではなく侵略だった」とする決定的証拠だと思って*作業をやっているのですが、意外と反応薄なんです

加藤陽子の本に書いてあるように軍部は『満州の沃野を頂戴しようではないか』ということ、中国も手を付けていない未開発の地をわがものとするのに何の問題があるか、という認識です。石原完爾らは満州開発により、対米、対中の兵站をまかなう、という発想です。それに対露防衛戦の押し上げ。

現時点からみれば明らかに侵略ですが、東条等、軍部が↑のように侵略ではない、自衛である、と考えるは多少うしろめたいところがあるとはいえ、当時の世界の大国の共通認識であった、ということですね。

この曖昧な、日本を罰するも可能(罰すれば当然、大国にも同じ規則が適用される)、罰しないで見逃すのも可能状態であったとおもいます。

東京裁判で、満州への進出を侵略、といいくるめるのは今日から見ると当然だが、戦前の論理ではさほどおかしくない。A旧戦犯=死刑、という判決は戦前のニッポンを倒すための儀式であり、戦勝国=検事、とは別の論理で私は受け入れるべきだと思っています。外圧を利用した革命裁判として、です。かなり横着な論理であることは自覚します。こう決め込まないと将来の展望がない。では逆に、東京裁判を受け入れない、という論者は、どういう体制にしたいのだろうか?ということになります。東京裁判の結果を(革命として)受け入れないと、戦前の天皇制が解消され、軍部が消え、地主制が消え。。という戦後改革=革命、をどうやって受け入れることができるでしょうか。


日本研究家、chalmers Johnson の_CIA~岸コネクションに関する書評をみつけた。 未読。
http://www.jpri.org/publications/workingpapers/wp11.html
by 古井戸 (2007-08-30 13:53) 

ほっと一息

>基地を無くして米国から独立する、という考えは私は正しいと思う<

私はこの点には、賛成できかねます。
なぜなら、安倍のような極右が政権をとれる日本、
拡散防止条約や非核三原則(国是)国会決議を無視して「核武装論」をのたまう麻生や中川昭一は辞任せず、「原爆投下はしょうがない」発言は国民総出でヤメロココール、
安倍の批判は自分達大人が被害にあう年金問題であり、愛国心強制を盛り込む教育基本法改正を、やらせミーディングで国民の賛同を得たとし、「子供には規範意識を習得させるために改正する」とした、弱きに強い安倍ボンにNO投票した人はわずかの低民度の日本人が、独立でもしようものならまた暴走する可能性大

正義感や軌道修正可能なのは日本より、断然アメリカ
世界に警察がいない現実世界で、それが出来るまでは、凶悪犯国の取り締まりには、西欧よりアメリカ・・・一家は国家でみれば、フランス大統領の倫理感の欠如や皇室問題を抱えるイギリス(日本)、プーチンなんかおっかない、中国は非民主的、やっぱりブッシュ一家→ヒラリ一家

>軍縮、反戦平和を 憲法で担保する必要がある、。。。<
ある程度の防犯用具は必要だし、正義無き平和より、平和無き正義の方が良いと思うし(弱者の度合いにもよるが)、世界に無法国や凶暴犯国が0になることは、闘争本能を持つ人がいなくなることに繋がるが、それもまたありえないし、それは不自然なことだし・・・あるていど世界情勢の変化にも対応することも必要だし・・・
・・・との理由で賛成できかねます。

>軍部は『満州の沃野を頂戴しようではないか』ということ、中国も手を付けていない未開発の地をわがものとするのに何の問題があるか、という認識です。石原完爾らは満州開発により、対米、対中の兵站をまかなう、という発想です。それに対露防衛戦の押し上げ<

の決定前の文言より、内閣決議されている「八紘一宇」のほうが、自衛ではなく侵略の証拠としては、強固ではありませんかね?

>自衛である、と考えるは多少うしろめたいところがあるとはいえ、当時の世界の大国の共通認識であった、ということですね<

第一次世界大戦以後の世界通念は非拡散侵略であり、日本がそれに逆行していたようですが・・・2000年もさかのぼれば侵略したことのない国は皆無となるはずですが、それは不毛の水掛け論に終わってしまいます。
ただ、賠償金が、凍結された英・仏植民地にかからないあたりで判決している点はちょっと疑問ですが・・・
by ほっと一息 (2007-08-31 01:00) 

古井戸

>正義感や軌道修正可能なのは日本より、断然アメリカ

米国の 日本州に、になる、という選択ですね。米国の恫喝に守られた状態のニッポン。戦後から一貫して、実質的にそうなっています。

わたしは、沖縄は、(40年前のように) 県民の選択により、米国に返還した方が県民はシヤワセになれる、とおもっています。

日本州になる、というのはかなり、情けない、最終選択、です。まだ底までフンギリはつきません。そこまでやるなら、わたしはニッポン脱出します。

岸信介、のほうがマシだと思いますが。

>・・・との理由で賛成できかねます。

ということは、改憲ですか。まあ、それもよいでしょう。
憲法は紙切れです。 そのときどき生きている国民がなにを考えるか、蛾問題。

>第一次世界大戦以後の世界通念は非拡散侵略であり、日本がそれに逆行していたようですが・

何度も言いますが、端境期ですよ。 満州については、ニッポンは後ろめたいところはありました。戦争、といわず、事変とよんだり。しかし、ニッポンが軍を置くことに反対した国は少なかったでしょう。中国にもさまざまな党派があった。

重要なことは<事後法>で裁かねば歴史の進歩はない、ということです。
by 古井戸 (2007-08-31 09:22) 

ほっと一息

>改憲ですか<
すいません。言葉足らずでした。小林節と同じ極右の安倍政権下での改憲はしてはならないです。

なぜ沖縄は沖縄州の方が県民は幸福で、半日本州(現在)は幸せではないとは、矛盾してませんか?

私は、日本はアメリカと国連の間をしなやかに、したたかに関わりながら、そして一方で、
古井戸さんと同じ国連軍や国連裁判所をつくるよう努力していくとの考えです。
>ニッポンが軍を置くことに反対した国は少なかったでしょう。中国にもさまざまな党派があった<

そうではなかったようです。どの植民地も日本支配より、西欧支配の方が良かったとの声明を出しています。
例えば、イギリス支配下の国の不満分子が、日本軍に協力すれば、独立させてやるとの約束を基に、イギリスと戦っても、日本は占領すると約束を覆したので、その分子が結局イギリス軍について、日本と戦い日本を敗北させたなどから解ります。

>わたしはニッポン脱出します<

どこの国ですか?

私は、安倍政権が復活し、戦前体制になっていけばアメリカに脱出するつもりです。
by ほっと一息 (2007-08-31 14:52) 

古井戸

>なぜ沖縄は沖縄州の方が県民は幸福で、半日本州(現在)は幸せではないとは、矛盾してませんか?


米国の一州になった場合(返還前の沖縄とは違いますよ。ハワイ州と同じように、ということ)、現在のような沖縄の状況を米国の議員や、憲法が認めますか? 現在の沖縄は、ニッポン政府からも、米国政府からも保護されていない無法地帯です。沖縄以外のニッポン国民も知らんぷりをしている。

そうはおもいませんか?
米国の一州となれば、住民の土地を勝手に取り上げて基地にするという無法は許されないでしょう。

>そうではなかったようです。どの植民地も日本支配より、西欧支配の方が良かったとの声明を出しています。

私の認識とは違いますね。満州は。(朝鮮やフィリピンなどは違いますが。)だから承認、とは無論なりませんが。たとえば、パールのインドはどうでしょうか?

>イギリスと戦っても、日本は占領すると約束を覆したので、その分子が結局イギリス軍について、日本と戦い日本を敗北させたなどから解ります。

。。つまり、西欧諸国は、米国も含め、このようなニッポンを支持していた、ということですよ。 中国や満州から美味い汁を吸おうとした、という点では同じ穴のムジナ、です。 それが東京裁判やニュルンベルク裁判を経過すると、どうもそういうかんがえかたにはむりがあるな。。とわかってきたといいこと。 それが、この2つの政治裁判の成果です。 思考枠組みを代えたのです。パラダイムチェンジ。ニッポンやドイツで、この裁判がなく(喧嘩両成敗として)、ヒトラー政府が生き残り、明治憲法や天皇制や戦前の軍事態勢が生き残ることを希望しますか? 東京裁判とニッポン国憲法はパッケージです。 戦犯を血祭りに上げることは(暴力革命がそうであるように)儀式として必要だったと言うことです。それにニッポン人民がほとんど無自覚である、といいたいのです。東条らが首をくくられたとき、わが首筋をナゼタ日本人が何人いただろうか?


>どこの国ですか?

天国、でしょう(宗教)。わたしは故郷を去るつもりはありません。
by 古井戸 (2007-09-01 12:35) 

古井戸

加藤陽子の上記著書と、同シリーズの吉田裕『アジア太平洋戦争』を読んだ感想を別のトコロに書いたので抜粋:


。。。明治から昭和までの歴史の集約点が満州問題である(日中露の覇権争い、それに英米の既得利権とのせめぎ合い)。太平洋戦争などはツケタシ(あらかじめ負けが約束された)にしか過ぎない。

この本(加藤陽子)の広田弘毅外相や、広田の次官であった重光薫の記述(中国認識)、それに同じシリーズの吉田裕『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)における東條英機に関する記述には ハッとさせるものがある。つまり、(吉田裕の本では。。)東條の政治家としての<時代が求めたすぐれた>資質である。まるで、ヒトラーのような、ということ。ヒトラーがドイツや世界にとって(民主主義、にとって)教訓であるように、東條もわれわれの<教訓的資産>としなければならない。ヒトラーは拳銃で自殺し、東條もGHQによる拘束の朝、拳銃自殺を図って国民の嘲笑を浴びた。むろん、ヒトラーや東條を笑えるドイツ人や日本人などイヤしなかったし、いまでもいない。小=ヒトラーや小=東條的政治家を歓んで迎えている。A旧戦犯の絞首刑を当時の国民はどういう気分で見やったのだろうか?これがいまひとつ、分からないところである。イラク攻撃を満場一致で支持し、イラク戦勝を祝した米国議会と米国民が、いま、掌を返したようにブッシュを非難・揶揄している。このようなパアプウ的態度ではなかった、多少なりとも自責のネンが、つい数年前歓呼して付き従ったワレラが<戦犯>の刑死を知ってコンコロをよぎったのであればサイワイである。


##p76~吉田裕『アジア・太平洋戦争』
1 東条は映像メディアが急速に発達した時代の政治家。。そうしたメディアを意識的に利用した最初の政治家。。

2 東条は絶えず、国民の前に姿を現し、率先して行動し決断する戦時指導者という強烈なイメージを自ら作り出そうとした。。当時のマスコミの注目するところとなり。。国民の視線に常に自らを晒すというのも東条の一貫した姿勢。。

3 「東条の曾祖父は能楽宝生流の出という」芝居がかりの点がある。芝居がかったパフォーマンス、度重なる民情視察は、識者の反発と顰蹙を買った。。。とくに、東条が住宅街のゴミ箱をチェックして、まだ食べられるもの、再生可能なものが棄ててあると非難したことは多くの国民の失笑を買った。。

4 知識人の反発にもかかわらず、一般の国民は東条を強く支持した。。各地で熱烈に歓迎された。。(当時の朝日新聞。)「熱狂した数千の聴衆は帽子、扇子を打ち振り、万歳万歳と歓声を上げ。。あっという間に東条さんを取り囲む、「しっかりやります、やりますとも!」「米英撃滅だ、東条閣下おねがいします」「東条首相万歳」と群がる市民は熱狂して全く感激のるつぼだ」。。作家、保坂正康によれば「東京四谷では。。東条が毎朝、馬に乗って散歩するのが知れ渡り、その姿を一目見ようと路地の間で待つ人がいた。東条の乗馬姿を見ると、その日は僥倖に恵まれるという神話が生まれた。。」

by 古井戸 (2007-09-01 12:43) 

ほっと一息

>沖縄以外のニッポン国民も知らんぷりをしている<
沖縄は自主的に日本への返還を望み、また基地問題より基地による収入を選挙で選んだのですから、それを尊重しなくていけないのでは?

>天国、でしょう(宗教)。わたしは故郷を去るつもりはありません<
犬死はしないでくださいね。
安倍政権になって、たくさんの人が亡くなっているのはご存知ですよね。
デモや傍聴に行かれたことあります?公安がにらみを聞かせ、一人一人ビデオカメラで顔を撮り、
傍聴から出てくると突然ビデオカメラで撮られるのですよ。
法政大学の騒動はご存知ですか?私はデモ中じかに逮捕されかかった女の子の話を聞き、戦時中のような怖さを感じました。
私も議員会館のポストに反対の手紙を入れていたら、ずーと文化省の役人が脅しのようについて来るのです。
自衛隊が消費税反対の市民運動者の名簿までもっていたのはご存知ですよね。
私も抵抗するだけして、それでもダメだったら脱出し、外から攻撃つもりです。

>西欧諸国は、米国も含め、このようなニッポンを支持していた、ということですよ。<
そうではなく、現住民が日本の支配より、西欧の方が全然良かった表明していると言っているのです。

>中国や満州から美味い汁を吸おうとした、という点では同じ穴のムジナ、です<
ですから、2000年もさかのぼれば侵略してない国は皆無ですが、第一次世界大戦で学んで、不戦条約を締結した後は非侵略拡散や独立させる方向に向かっていたのに、日本がそれを破って侵略しまくりだったようです。
アメリカがスティムソン・ドクトリンを発表しても、日本だけ拒否し、ハルノートで中立案を提示しても拒否、しかもそのアメリカの真珠湾に奇襲攻撃をかけたんですから、一分の利も日本にはないと思いますが・・・
by ほっと一息 (2007-09-02 01:44) 

古井戸

>沖縄は自主的に日本への返還を望み、また基地問題より基地による収入を選挙で選んだのですから、それを尊重しなくていけないのでは?

どういう条件で返還を望みましたか?
佐藤首相はどういう条件で返還する、と約束しましたか??(本土並みとか。。。いまとなっては、お笑いですが)

敗戦後、かくも長期の基地化(~違法)により、ニッポン国の税金が無駄に使われていることをご存じですか?沖縄だけの問題と考えるのは大間違いです。

>私も抵抗するだけして、それでもダメだったら脱出し、外から攻撃つもりです。。。

この項、なにかを私に説教なさっています?
宗教とは既成宗教ではありませんよ。物理的に拘束されても精神の自由は保持する、ということです。外国に脱出すればどうにかなる、とおもうのは浅はかと思います。

>そうではなく、現住民が日本の支配より、西欧の方が全然良かった表明していると言っているのです。

それで何を帰結するのでしょうか?西欧に支配されたい、と?日本の大東亜共栄圏、でなく、西欧の大東亜共栄圏、を。。五十歩百歩ですねそれは。

わたしは、両方とも裁かれねばならない、といっているのです。それは 東京裁判を越える思想です。

>をかけたんですから、一分の利も日本にはないと思いますが・・・

一分の利もないとは思わないが、英米や西欧に正義がある、というのも間違いです。中国の利権を狙っていたのは西欧も同じです。(これはパールも正しい)。

しかし、勝者と敗者を被告席に並べて、裁く、というシステムを当時要請するのは不可能です。

不正義の勝者が、不正義の敗者をまず、裁く。敗者の側の責任者(ニッポン)はまず、国民に対する政治責任を果たしていない、という重大な業務過失があります(過失ではなく確信犯)。

東京裁判に全面的倫理性などないのは当然のこと。戦争の一部だから。
わたしは、戦前の憲法や天皇制ファシズム体制を倒せるのなら盗賊であろうとゴロツキであろうと利用すべき、という立場です。

それを裁いたあと、勝者の責任を問う(裁けないとしても)こと、それに、そう言う制度国際司法裁判所や、戦争裁判所を設立する運動をおこすこと、現在の第二次大戦処理的な国連システム(なんの正義も体現していない戦勝国側の利権システム)を破棄して、新し枠組みの次世代の、国際システム(あえて国連とはいいませんが)を再組織すべきです。

ニッポンがこの私の理念などまったく念頭にないことは明らかでしょう。
by 古井戸 (2007-09-02 13:02) 

ほっと一息

>どういう条件で返還を望みましたか?<
密約てきな条件があったことは知っています。しかしその後何回も沖縄は基地を選ぶか否か(経済)の選挙は何回もあったわけです。つい最近も沖縄県知事選がありましたが、糸数さんを大敗させているのです。
原爆もそうですが、長崎出身の代表の久間さんや本島市長や私が知ってる原爆手帳で治療している患者が言ってる「原爆投下はしょうがない・当然」の意見を尊重しないで、なぜ自分の思いを優先するのでしょうか?

>この項、なにかを私に説教なさっています?<
そんなおこがましいこが出来る私では無い事は、自覚してます。
ただ、>故郷わたしは故郷を去るつもりはありません<と日本民族の持続を願っていらっしゃるなら、私のような手段もあるのでは?と提案しているのです。
日本で、むざむざ理不尽に殺される可能性の高い時まで、頑張るのは犬死になってしまうにで、それより他の手も考えて欲しいと願っての事です。
日本の戦争責任否定派が台頭している今、特攻隊や学徒出陣で亡くなった若者が、無駄死に(犬死)となってしまうのと同じです。

出北して、国内の状況(弱点など)を国際社会に告知し、政権を倒し弱者(主に子供)を助ける・・・北朝鮮の種の持続を目的としたこの手もあるとのではないでしょうか?

>五十歩百歩ですねそれは<
それはどこをスタートラインにするかによります。
多分、古井戸さんも不戦条約からをスタートラインにしていらっしゃるようですので、そこからなら西欧は新たな侵略行為はやってませんし、アメリカは条約前に持っていたフィリピンを国内批判から、手放す方向(独立予備国まで成立)でした。
その中で、日本だけが中国侵略拡大を卑怯な手で行い、 アメリカの国務長官スティムソンは、1932年1月7日、「日本の満州侵略による中国の領土・行政権保全の侵害と、パリ不戦条約(1928年)に違反する一切の取り決めを認めない」とするスティムソン・ドクトリンを発表し、日本と中国へ通告した。
 イギリスなどのヨーロッパ諸国は消極的に賛成した。
 中国は日本の非を訴えて回答したが、日本はこの宣言には認識不足があるとして拒絶したり

フランス領インドの日本の侵略に対して、アメリカが中立案(ハルノート)を提示しても、それを拒否し「ニイタカヤマにノボレ」の真珠湾奇襲攻撃を出したりしたのですから、
日本は100歩で西欧・アメリカは0だとおもいませんか?
by ほっと一息 (2007-09-02 16:37) 

古井戸

>しかしその後何回も沖縄は基地を選ぶか否か(経済)の選挙は何回もあったわけです。。

これはあまりにも歴史的な事実を無視していますね。
そもそも、なぜ沖縄に広大な基地が産まれたのか?
自主的に産業が起こる素地が与えられなかったのですよ。当初から。
いま7000億円を毎年思いやり予算で米国に与えているがその何パーセントでも沖縄に注いで興産すれば基地労働への依存から脱却できます。
そういう展望を与えず、基地がないとおまえらどうやって明日から生きていくの、という恫喝ですよ。
いま、こういうことがニッポン中の基地や基地移転で起こっているのをご存じないですか?

>ただ、>故郷わたしは故郷を去るつもりはありません<と日本民族の持続を願っていらっしゃるなら、私のような手段もあるのでは?と提案しているのです。

ニッポン民族持続、とどこに言っていますか?
わたしは個人の持続を言っているだけです。住む土地を自由に選ぶのは個人の権利だとおもっていますから。
そもそも、民族とは幻想にしか過ぎません。あるのは個人だけです。
ユダヤなど世界にバラバラに存在していてもユダヤ幻想、だけで、一体感を持っている(幻想です)。

>日本で、むざむざ理不尽に殺される可能性の高い時まで、頑張るのは犬死になってしまうにで、それより他の手も考えて欲しいと願っての事です。

それは犬死の定義の問題です。
手ぶらでいて、暴力団に襲われたら武器が無くても、素手で対抗して家族を守るでしょう。これが犬死にでしょうか?
犬死にとはする必要のない戦いを、あるいは終戦を知らせずに、特攻を命じて、死ぬことです、たとえば。意味の無い死、です。

>日本は100歩で西欧・アメリカは0だとおもいませんか?

おもいませんね。パリ不戦条約、を、そのときに得ていた西欧の植民地利権をすべて将来においても固定承認する、と解釈するのは西欧にとって虫がよすぎます。軍事的侵略でなくても政治的な策略により西欧は利権を増大しようとしています(ニッポンも)。もともと、倫理的に認められないモノが放置されていただけです。急に、侵略が違法であり、戦争が違法である、と突発的に認識されたわけではありません。だから、各国で抵抗運動は起こっていた。

戦勝国がニッポンを侵略の罪(平和に対する罪)で裁くのはよいが、重罪ではない、ということです。当時の常識からすれば。

わたしは、戦争や侵略が問題というより(戦争自体は認められていたのだから)、一般市民の虐殺が問題だと思っています。そういう教育を行っていない日本軍の存在と、戦前の天皇制。 これを崩壊させるための手段として東京裁判があった、と理解しようとしています。あとはどうでもいいのです極言すれば。

一般市民への虐殺は、もちろん、連合国もやっています。これを摘発するのは自由であるしやらねばならない作業です。原爆を裁こうと思えば、ニッポンがアジアでやったあらゆる一般市民の虐殺を暴かねばなりません。原爆や東京大空襲を、加害者から被害者への転換ツールとしたり、日本軍免罪のツールとして使うのはとんでもないことです。
by 古井戸 (2007-09-02 17:50) 

NO NAME

>いま7000億円を毎年思いやり予算で米国に与えているがその何パーセントでも沖縄に注いで興産すれば基地労働への依存から脱却できます<

ではお聞きします。あなたは本土の人間として、糸数さんが選挙に勝つために何かなさいましたか?

>手ぶらでいて、暴力団に襲われたら武器が無くても、素手で対抗して家族を守るでしょう<

凶器をもった暴力団がおそって来そうな時、逃げることも考えず、素手で戦うとしょうとするのは、家族を守ることを第一優先にしてない証拠、自己満足の世界で家族からみれば犬死ですよ。

>故郷<と>個人だけです<は相反する表現に思えます。

>西欧の植民地利権をすべて将来においても固定承認する、と解釈するのは西欧にとって虫がよすぎます<
私は西欧人ではないので、西欧人に言われたら「虫が良すぎる」と反論して下さいね。

固定承認する・・・ではなく、独立させる方向にあったのです。
アメリカは実際に予備独立国にフィリピンをしていたのです。

>戦勝国がニッポンを侵略の罪(平和に対する罪)で裁くのはよいが、重罪ではない、ということです。当時の常識からすれば<

当時の常識をこのへんだとするした裏ずけはなんでしょうか?

私は、 1928年8月27日 不戦条約調印 アメリカ国務長官ケロッグとフランス外相ブリアンの提唱で、パリ不戦条約が調印された。はじめは15カ国、のちに48カ国がくわわった。
その状況で、日本だけが中国侵略拡大を卑怯な手で行い、アメリカの国務長官スティムソンは、1932年1月7日、「日本の満州侵略による中国の領土・行政権保全の侵害と、パリ不戦条約(1928年)に違反する一切の取り決めを認めない」とするスティムソン・ドクトリンを発表し、日本と中国へ通告した。
イギリスなどのヨーロッパ諸国は消極的に賛成した。
中国は日本の非を訴えて回答したが、日本はこの宣言には認識不足があるとして拒絶したり、
国際連盟の常任理事国なのに、謀略(柳条湖事件)をもっ侵略戦争をし、国連のリットン調査団から侵略と判定され、42カ国の全員一致(シャムは放棄)で可決・・・
15カ国や46カ国 や42カ国が判断材料なのです。

またその残虐性、人数は異常・・・これを重罪としないのでしたら、古井戸さんは原爆投下を肯定してはいけないのでは?
by NO NAME (2007-09-02 22:30) 

ほっと一息

2007-09-02 22:30のコメはほっと一息です。記入漏れです。し湯礼いたしました。
by ほっと一息 (2007-09-02 22:34) 

古井戸

>ではお聞きします。あなたは本土の人間として、糸数さんが選挙に勝つために何かなさいましたか?

なにもしていませんが、なにか?
石原都知事の言動に反論するモノに、都知事選で反=石原のためになにか行動したか!と問うのでしょうか?
まあ、それはアナタの勝手だが。

>凶器をもった暴力団がおそって来そうな時、逃げることも考えず、素手で戦うとしょうとするのは、。。

逃げて片が付くならそうするでしょう。状況で何もできない場合のことを言っているのです。アホなことをイワンで下さい。

>私は西欧人ではないので、西欧人に言われたら「虫が良すぎる」と反論して下さいね。


虫がよすぎる、でしょう。

>国際連盟の常任理事国なのに、謀略(柳条湖事件)をもっ侵略戦争をし、国連のリットン調査団から侵略と判定され、42カ国の全員一致(シャムは放棄)で可決・・・

これを処罰するのは、当然でしょう。リットン報告にあることです。
同時にリットン報告はニッポンの免疫は認めていますし、西欧各国の認識もその程度のモノです。
西欧諸国がいつ、旧植民地の独立運動を支援しましたか?

>またその残虐性、人数は異常・・・これを重罪としないのでしたら、古井戸さんは原爆投下を肯定してはいけないのでは?

↑意味不明です。
なんの残虐性でしょうか?どこからの引用でしょうか?

一般市民への攻撃は日本がやろうと、米国がやろうと、違法です。
別ブログで書いているように、広島市民に原爆を非難する権利がない、といっているのは、加害者であるのにそのことをスッカリ忘れて、東京大阪への無差別爆撃や原爆を、被害者ずらして非難するな、という意味です。

>当時の常識をこのへんだとするした裏ずけはなんでしょうか?

リットン調査報告のトーンでしょう。加藤の本にあるように、日本の行動を、
連盟規約、不戦条約、九カ国条約違反だとしていない。
そも、中国を独立国として認めるなら、ニッポン中国を始め英国などの特権をすべて全廃すべきでしょう。そんな頭など当時の誰にもありません。

(もっとも東京裁判で↑のような西洋諸国の中国蹂躙などを戦勝国が取り上げることはありえないでしょう)。

。。で何が問題なんでしょうか?No Nameさんは。
by 古井戸 (2007-09-03 01:10) 

ほっと一息

>いま、こういうことがニッポン中の基地や基地移転で起こっているのをご存じないですか?<
この言動は、私への、抗議のように聞こえます。そこまで言ってるのに、
何もしない、それは自分は責任ないという立場と言うところにいるからでしょう。

ま・でも日本が加害国であるとしている点は、いろいろなブログの中では、イケてます。が日本が重刑ではないのに、原爆投下を肯定するあたりが
なんとも・・・
家永三郎氏の日本の戦争責任と原爆投下につての見解はご存知ですか?
秦氏も日本に一分の利もない、原爆投下は当然ですって

>日本の行動を、連盟規約、不戦条約、九カ国条約違反だとしていない<

パリ不戦条約(1928年)に違反する一切の取り決めを認めない」とするスティムソン・ドクトリンを発表し、日本と中国へ通告した。
イギリスなどのヨーロッパ諸国は消極的に賛成した。

国際連盟42カ国の全員一致(シャムは放棄)で日本の侵略可決

これは何違反だといっているのでしょうか?

>何もできない場合のことを言っているのです<
ことの発端は、あなたが日本州より岸政権を選ぶ・・・つまり戦時中のような状況での話しですから、>状況で何もできない場合<ではないでしょう。
徐徐に徐徐に締め付けられていく状況でしょ
なのに>アホなことをイワンで下さい<までいちゃったらまずくない?

>一般市民への攻撃は日本がやろうと、米国がやろうと、違法です<
これは加害者、被害者関係ないの?

>西欧諸国がいつ、旧植民地の独立運動を支援しましたか?<

どこかのブロブで知りました。そこの住民の民度(自立可能な度合い)を3段階に分け、それなりの係わり合い方をしながら、自立させる計画だったようです。どうしても信じられなければ、探しますが・・・
秦郁彦(私はこの方はやや右と位置ずけてます)著の現代史の光と影では、「第一次世界大戦の教訓から、新しい秩序としていわいるベルサイユ体制が誕生した。戦争はもはや儲かるものではなく、植民地経営も採算が合わないというのが、欧米列強の共通認識となってきた」と表現しています。
>当時の常識からすれば<
常識とはいかに多くの人の賛同が得れるかで決まるんじゃないの?リットン調査団数名で決まることではないのでは?

>ニッポン中国を始め英国などの特権をすべて全廃すべきでしょう。<

ベクトルはそちらに向いていたようだすが、徐徐に徐徐にのつもりだったようです。
私は建築系の仕事ですが、新しい基準法が出来てもすぐに適用するわけではなく、その家が建て替える時に適用されるのです。(ただし、スケルトン改築なら適用外あり)みたいな・・・
by ほっと一息 (2007-09-03 06:09) 

古井戸

特に議論することもないようです。

>家永三郎氏の日本の戦争責任と原爆投下につての見解はご存知ですか?

無差別爆撃を世界で初めて開始したのはニッポン海軍であることを忘れるべきでない、といっていますね。
by 古井戸 (2007-09-03 10:07) 

runaway

Pal's challenge to the SCAP(Supreme Command of the Applied Power) is the rhetoric of dissenting opinion in legal communication. He disagreed with the court decisions, simply because he was aware that the trials were being proceeded with a spate of biased testimonies, rather than careful examination of evidence and informed sources.*1 Conservatives who attested to the occupation of the SCAP wrongly assumed that he was agreeing with their perspectives toward Japan.*2

*1: See Takashi Yoshida: "The Re-Making of the Rape of Nanking" (Oxford University Press, 2006), p. 50-51. Pal emphasizes his point in "dealing with the question of the alleged overall conspiracy." Evaluating on whether Japan's act on China during wartime was justifiable or not is beyond his purpose. See also Radhabinod Pal; "The Dissenting Opinion of the Member for India" (New York: Garland, 1981), p. 547.

*2: Masaaki Tanaka is one of those misguided conservatives who were trying to make a mountain out of a maul hill. See Yoshida (p. 51-52).
by runaway (2007-12-08 02:53) 

古井戸

> He disagreed with the court decisions,..

He disagreed with, correctly not the decicion, but any form of the war trial. No war trials under the universal justice could't be expected then, as well known by Pal.
The trial was a part of the war, as well known by Pal.
So for the honor of Pal, he should not have had presented in the court.
by 古井戸 (2007-12-08 09:16) 

runaway

Yeah, you're right. He was aware of the danger that rendered trial a politically motivated one. It is unlikely to assume that his emotion of dissent came out of his own judgment upon war criminal suspects, yet he had no one to take his side but himself.

>>So for the honor of Pal, he should not have had presented in the court.

Maybe he should, or he should not. Depending on how we look at what he believes he's right. Apparently, the vast majority of opinion was focused on whether the suspects of war crimes should be executed or not at the trials. In this context, Pal's dissent was a mere distraction for the AP.
by runaway (2007-12-08 10:35) 

runaway

Correction:

war criminal suspects:

I meant it to be "war crime suspects". Thanks.
by runaway (2007-12-08 10:38) 

通りすがり

古井戸氏は、「反共思想もちょっと、のけぞらせるものです。長いが抜粋しましょう。」の箇所で重要な部分を載せていないように思えますが。

例えば
>国家および財産に関する共産主義的理論と、現在の民主主義的理論との間には、重大な根本的相違がある。一口に言えば、共産主義とは「国家の衰亡」を意味し、またそれを企てているものである。(略)

の(略)の部分には

伝統的のフランスおよび英米の民主主義は、がいしてロック、
ヒュームおよびジェボンヌの哲学にもとづいて、かつそれに英
国国教またはローマ・力トリック教あるいはアリストテレスの
哲学的仮説を点綴したものである。
ロシア共産主義はマルクス哲学を基礎としている。

という文章があるのですがなぜ(略)としているのか?


また、
>共産主義的「自由」の実現の可能性は現在の民主主義国家組織が消滅してはじめてあらわれるのである、云々。

の云々の部分には
>レーニンいわく「ひとり共産主義社会においてはじめて、すな
わち資本主義者の抵抗が完全に打ち砕かれた時、資本主義者が
影を絶った時、階級がなくなったとき....(いいかえれば、社会の構成員の一人一人が自発的にマルクス哲学を受け入れる
時)その時こそ初めて『国家.....は死滅し』その時においてのみ
『自由を論ずることが可能となる』。その時こそ真に完全な民
主主義、なんらの例外もない民主主義が可能となり、実現され
るのである。.....ただ共産主義だけが真に完全な民主主義をもた
らしうるのである。そしてその民主主義は、完全なものであれ
ばあるだけはやく不必要になり、ひとりでに死滅してしまうの
である」。かような事情において一般的に感じられていることは共産主義の発展は正当な観念によって導かれておらず、したがって共産主義者はそのほかの世界にとって真に信頼のおける安全な隣人ではないということである。

という文章があります。

更にこの後に続けて
>かような感情が正当なものかどうかは、本官の論ずべき問題で
はない。このような感情は、世界のもっとも賢明な人々がかな
らすしも一様に抱いていたところではなかった。ソビエト・ロ
シアにおける「あらゆる反対意見に対する冷酷な抑圧、全面的
統制、規格化、および種々の政策遂行にあたっての不必要な暴
力行為」を率直に非難しつつも、同様の率直さをもって、「資
本主義の世界でも暴力と抑圧が存在しないことはなかった」
と指摘している者もある。

と述べて続けて具体例をあげています。

>、インドのパンディド・ジャワハラル・ネルーはつぎのようにいっている。すなわち「余は取得社会、および財産の基底、根底をなしているものが暴力であることをますます自覚してき
た。.....飢餓の恐怖がつねにいたるところで大多数の人民を少数
の意思にむりやりに屈伏させているときに、政治的自由をとや
かくいってみてもなんの役にも立たなかった。.....暴力は双方に
共通して存した。しかしながら資本主義制度のもとにおける暴
力は、同制度の有する内在的なものであるように見えた。一方
ロシアにおける暴力は、もとより不当なものではあったが、し
かしその目的とするところは平和、協力および一般民衆の真の
自由にもとづく新秩序にあった」。さらにパンディト・ネルー
は、ソビエト・ロシアが幾多の失策はあったにもせよ、莫大な
国難を克服し、この新秩序にむかって、長足の前進をとげたし
だいを指摘し、結論として、ソビエト連邦の存在およびその示
した模範は「暗黒でかつ暗澹とした世界における輝かしく、か
つ頼もしい現象である」といっている。

と容共的な発言も紹介しています。そして
>しかし、このような評価は、共産主義国家と同時に資本主義的
民主主義諸国をもその構成員として有する国際社会が、両イデ
オロギー群の間の関係を調整し、安定しようとしてであう困難
を解決するには、なんら役立つところがない。実在するにもせ
よ架空的であるにもせよ、かような困難は過去においても、な
お現在においても、ほとんど一般的に感じられているのであ
る。

としています。もっとつづきをのせてもよかったのですが大変なので断念しました。(もっともパール判決書をおもちのようですからすぐに続きは確認できるとおもいますが。)


ここで疑問が生じるのですがなぜ上記の文章をのせなかったのか?これではまさに

「したがってパール判決文章を簡単に引用できない。引用しよ
うとすると、すごく長くなり、しかも、部分的な引用では言い
たいことを曲げることになる」

という行為にしか見えないと思えてしまうのですがそれは私だけだなのでしょうか。

by 通りすがり (2009-09-11 11:07) 

古井戸

パールが根底でどういう思想を持っていたかは誰にもわからないんですよ(パールだけじゃない)。
判決に、<反共主義者>を特徴付ける思想が入っている、ことを論証しようとしたのであり、<容共主義者>であることを示している(ではなく、容共主義思想もあるよ、おれは知っているよ、とひけらかしている)部分、ドーでもイイ部分は省略しているんですよ。(判決書を水増しするのは裁判官の常套手段です)

なぜそうしたか?パールがどういう思想の持ち主であったかはもともとドーでもいいことであり、問題となる判決に、どの論点を採用したか、がもんだいになるのだから。AもあるBもあるCもある。。ということを己の知識として持っているぞよ、と大風呂敷を広げたあと、さて、この相反する思想のうち、なにが採用されたのか?をチビッと論じてみただけです。


1 
。。の(略)の部分には

伝統的のフランスおよび英米の民主主義は、がいしてロック、
ヒュームおよびジェボンヌの哲学にもとづいて、かつそれに英
国国教またはローマ・力トリック教あるいはアリストテレスの
哲学的仮説を点綴したものである。
ロシア共産主義はマルクス哲学を基礎としている。

という文章があるのですがなぜ(略)としているのか?

答え: 主旨にぜーーんぜん、関係のない文章だから。



>>かような感情が正当なものかどうかは、本官の論ずべき問題で
はない。このような感情は、世界のもっとも賢明な人々がかな
らすしも一様に抱いていたところではなかった

。。

さらにパンディト・ネルー
は、ソビエト・ロシアが幾多の失策はあったにもせよ、莫大な
国難を克服し、この新秩序にむかって、長足の前進をとげたし
だいを指摘し、結論として、ソビエト連邦の存在およびその示
した模範は「暗黒でかつ暗澹とした世界における輝かしく、か
つ頼もしい現象である」といっている。

と容共的な発言も紹介しています。

で、容共的なところもあった、反共的なところもあった、
判決においては、反共的な諸点がもろにあらわれた、ということですな。

引用と調査には敬意を表しますが、私の論点にどう響きますか?
パールが反共的である、から問題なのではなく、その導き出す判決がオカシイ、というのが論点ですよ。


実在するにもせ
よ架空的であるにもせよ、かような困難は過去においても、な
お現在においても、ほとんど一般的に感じられているのであ
る。

。。。上記と同じです。


>「したがってパール判決文章を簡単に引用できない。引用しよ
うとすると、すごく長くなり、しかも、部分的な引用では言い
たいことを曲げることになる」

という行為にしか見えないと思えてしまうのですがそれは私だけだなのでしょうか。

正確に言い直せば、

部分的な引用では言い方を曲げることになる。しかし、曲げたところで論点には無関係。引用しないのは時間の無駄、だからである。

ということになりますでしょうか。

>という行為にしか見えないと思えてしまうのですがそれは私だけだなのでしょうか。

そう思います。 常識人にはわかるでしょう。常識が無くても、上記の説明でおわかりのこととおもいます。

by 古井戸 (2009-09-11 11:56) 

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