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東京裁判  天皇制/北一輝 [history]

  北一輝(輝次郎) 1883-1937      


朝日や毎日新聞が、4月末から5月始めにかけて、東京裁判特集を連日やっている。

夕べは本屋でパル判決書(講談社学術文庫)を読んできた。といっても上下本併せて2000ページの文庫本。パラパラと重要そうな所を、30分立ち読みしてきたのだが。(パル判決書、政府が只で、全国民に配布するとか?      ジョーク、よ、ジョーク)

パルの結論は、被告は無罪、というものだ。これは当然の判決である。東京裁判(極東軍事裁判)では、検事側(大幅に米国の意見がはいっている)の訴追した点が果たして、妥当するのかどうかを判事が判断し、弁護士は訴追から被告を守るため反駁する。パルは 検事側が提出した罪状は、当時の法律枠組みからして、罪にあたらず、といって、門前払いしているのである(個別審査というより形式審査で門前払いに近い)。

つまりパルの下した診断は、「当時の国際法で個別の戦争を裁く枠組みはない」といっているにすぎず、これを勘違いして ニッポンジン被告はなにも「悪いことしてない」よ、などと、おもうからおかしくなってくる。法律枠組み、など、どうでもいい、というところから、日本人(われわれ)はこの戦争を裁き、責任者を特定し、処分する必要があったのだ(もちろん、中央政府官僚軍人だけにとどまらず、各地方政府や組織にその影響は及ぶだろう)。これはこの 極東軍事裁判、とはまったく違った次元の裁き、である(東京裁判があっても、これは完全に、やられていなかった。いまだに)。

論理的に、この法廷では、パル判決の通りで無罪、となってもよいものである。そのあとで、国民による「法的根拠のない」(あるいは、裁判のための暫定基準を設定する)審判が必要であったのだ、これは、すなわち人民裁判あるいは革命裁判でしかありえない。 端的にいうと、パル判事の下した(現在でも通じる)「遡及的審判の無効」を overrule=却下するのである、この革命裁判では。

第二次大戦において天皇を含め日本側指導部(軍や政府)を裁ける法律は、当時の明治憲法を含めて、存在しないのだ。明治憲法にしたがって、さばけば、天皇を含めほとんどの指導部が無罪となるだろう。

これでよいか?ということである。

よくはない。パル判事の結論は当たり前のことなのである。パルは、審判を解決したのではなく、きたるべき<審判>への開始をつげたのにすぎない。 すなわち、日本人が、日本人の手で、責任者を裁く必要があるということなのだ。これは法律のない、裁きとなる。つまり、革命裁判なのである(パルは事後法による遡及的審決ままならぬ、といっているが、革命なのだからそんなことに頓着する必要は無論、ない。事後法でよい、のである)。よってたつ根拠は、ない。フランス革命と同じ、「無法」の、正義、なのである。

つまり、<米国主導の連合国勢力>を利用した、日本人民の裁き、と極東裁判を「みなす」のである(すり替える、といってもよかろう)。その結審が多少不十分や過剰であっても受け入れるのであり、 絞首刑にするのは、個々の日本人であり、私(古井戸)、なのだ。

<追記:新聞によると、判決直後(A級戦犯)、判決を妥当と思うか、という当時の調査に対し、賛否半々くらいにわかれていたそうだ。自主裁判も検討jされたらしい(どういう理由からか、この案、採用と成らなかった。自主裁判、冗談としか思えない。イラク人判事が法廷でフセインに手を焼いている。あんなふうになるのかな。映画にしたらオモしろかろう)>

もちろん、敗戦直後、本来なら革命を起こして日本人が天皇を含む政府や軍を処分しなければならなかったところ、知恵も、精力も尽きていた、能無し国民だったのだからしょうがない、それに政府軍部を非難しようとおもってもできない後ろめたい輩がおおかった(手の汚れていないやつがいない状況で、どうやって自主裁判を、開くのか?開廷してもたちまち頓挫、全員無罪、万歳!になることは目に見えている)。米国はじめ連合国側に「勝者側の正義」で裁いてもらうしかなかった、あるいは、代理で革命裁判をしてもらった、ということ。このように「見なして」この裁判を追認するしかなかったのである。かりに「東京裁判」という儀式がなく、後始末はおまえらでやれ!と連合国がさっさと帰ったら、そのあと、日本はどうなっていたか?想像してみれば良かろう。そのあと、どう、決着、着地させるのか、実現可能なプランを示せないものは「勝者の裁判」に従うしかないのである。

これ以外にこの裁判を認める思考法はあり得ない、と私は考える。

自分のこととして、東京裁判を考えなければならない。東京裁判は正義の裁判などではない。裁判でさえもない。つまり、第二次大戦はGHQが引き上げるまで継続していたのであり、東京裁判はもちろん、「戦争の一部」なのである。それが悔しければ、正義の国を建設し、国際世論に恃んで反撃するしかあるまい。2006年の今、世界世論に訴えられるどのような正義を日本が、もちあわせているか?問うてみるがよい。(米国勢力が残っている限りイラクのフセイン裁判は、正義の裁判ではなく、イラク戦争の一部としておこなわれている、ということだ。「勝者の裁判」論者は、フセイン裁判も 勝者の裁判だ、と異議申し立てしたらどうか?米国の原爆を非難している連中は、パル判事が原爆投下を非難したように、劣化ウラン弾をつかい、根拠のない先制攻撃をした米国を公式に非難するよう政府に要求したらどうか?これもしないで、東京裁判に文句をつけられるわけが無かろうが)。815で戦争が終わった、というのは形式、だけである。占領軍の民主主義政策も日本に任せていたら実現もおぼつかなかったろう。アジア人を別にしても、絞首刑を受けたものは東條を始め、300万という当時の <天皇の兵士>、をむざむざ、餓死などにより殺してしまった。被告達が逃亡などせず(罪は認めなかったが)従容として死に付いたのは当然のことである。今更、墓を暴こうというのは、東條はじめ受刑者達の拒絶するところだろう。 多数の兵士や市民達を死に至らしめたのは政府軍部の責任であるのに、いつまでも税金から莫大な遺族年金をばらまき続けて選挙目当ての集票道具にしているのは死者への二重の冒涜、これを死者達に対して恥ずかしく思わないのはすでに、人間失格である。

現在の政府幹部や国会議員の一部が、口を開けば「亡くなった方々の尊い犠牲があったからこそ今日の日本の繁栄がある、死者に対して哀悼の誠を捧げる」などと言っているのは意味不明のごまかし言辞である。「政府軍部の愚劣な判断により、死ななくてもいいのにむざむざ命を落とすハメになり、残る家族に多大な人的物的犠牲を与えたのはわれわれ政府と官僚軍部の重大な過失であります、かくも愚劣な政府、軍部にもかかわらずこれほど日本が復興したのは死者ではなく、生き延びた国民の勤労によるところがおおきい、政府の無作為と失政を心より死者にお詫びするとともに、国民の皆さんが復興のために流した血と汗に対し、心から感謝申し上げます。」と 政府が(国民が、ではない、道連れにするな)国民に、陳謝と感謝の意を表するべきなのである。

「愛国心」とは、主権者たる国民を愛することを、つまり、政府や官僚等が国民に対して払う奉仕の心得であり、国民に対して政府が要求するべきものではない。(ついでに言っておくと、ケネディ大統領の「政府がなにをするかでなく、国民が国になにができるか。。」云々は民主主義の原則を忘れたケネディの(意図的)大失言あるいはハッタリである)。

パル判決を読むと、パル(インド人)にも相当な偏見があることが分かる。近代、植民地化を当然のこととしてアジアを侵略し続けた西洋に対する強烈な報復心。西洋に永年侵略され続けたインド、中国、はじめアジア(の代表ニッポン)を 西洋が裁く権利はない、という意識が強烈にあるようだ。この点は同情に値する、が、アジア(日本)がアジアを襲ったのであるし、なにより、日本人支配者がその国民の人権生命財産を崩壊させたのだ。明治憲法に照らして、人権、生命、財産など存在しない、とでもいうのなら判事などになるべきでなかった。判決の文字にしてはならない部分だ。

勝者による裁判、をバカの一つ覚えのように繰り返すあほな日本人がいまだにゾンビのように生存している。他人に親切にされると(されていると誤解して)、すぐへらへらすり寄るニッポンジンのこらえ性のなさ、いまごろ、天国のパルも苦笑いだろう。「おれのやったこと、ちょっとやりすぎじゃったか?あはは」

                            ###

昨晩から、植村邦彦『近代を支える思想- 市民社会・世界史・ナショナリズム』(ナカニシヤ)を読み出した。とくに、世界史やナショナリズムに関する論考に教わるところが多かった(同じ著者の、『アジアは<アジア的>か』はこの本の続編である。途中で中断して、上記の本を読み出した)

このほんで驚いたことをまず、書いておく(小さな事だが、前から疑問だったこと)。
なぜ、馬場辰猪、が英語をやったか(英国留学時、英語で日本語文法解説書、を書いた)?彼は日本語がそれほどできなかったのはなぜか?ということ。わたしにはこれが不思議でしょうがなかった。理由は、なんのことはない、当時、まだ、「日本語」がなかったのだ! 馬場は土佐弁しかしゃべれなかったのである。当時、ニッポン共通語=標準語というのはなく、彼も 東京の福澤諭吉の主宰した塾で幾度も孤立を味わった。塾生同士で激しい議論になったときは、「英語」を使わねばならなかった、という状況だったのである。 そのあと、標準語を政府が急遽、つくったのである。(文部大臣森有礼が 英語を国語にしよう!と提案したのもこの文脈で考える必要がある)西欧化、が課題であったから続々、欧米語の和訳(造語)が必要となったであろう。

もう一点、基本的なこと。
ナショナリズムがまずあって、ネーションができること。闘う相手(外国)、ができたとき、ナショナリズムが勃興し、つぎに、ネーションが起こる。逆ではない。

英国留学中の馬場辰猪

さて、植村は、天皇制は、伊藤博文の作品であるという(いまでは常識だろうが。。これは次に述べる久野収が半世紀も前に、もっと簡潔に述べていたことなのだ)。天皇のコシキ豊かな、行事、というのも明治になって創られたもの、1000年の歴史。。なんとかいうのも嘘である。天皇が稲を植える儀式などもすべてこのごろ設計されたのだ。江戸期には天皇も中国式の衣服をまとっていたらしい。

このことを突いて(つまり、天皇というのは明治になってぶち挙げたものでそれ以前はありがたい物でもなんでもなく、むしろ代々の支配者は虐げてきた)天皇完全機関説を提唱したのが北一輝。昨日読んだ(何十年もまえに、とっくに読んだもの、と思っていたが、全然読めていなかったわけだ。恥ずかしい)、岩波新書「現代日本の思想」久野収、鶴見俊輔著、の第四章
           日本の超国家主義 昭和維新の思想
に、久野収が 伊藤博文の 明治設計(天皇設計)をズバリ、と書いている。

p126
「明治以来の伝統的国家主義は、思想というよりも、制度であり、思想はこの制度をまもり、動かすための解釈のシステム以上に出ることはなかった。そしてこの制度を作り出したのは、伊藤博文を指導者とする明治の元老達であった。

。。。。

伊藤が明治天皇を中心として作りあげた明治の国家こそは、なによりも一個のみごとな芸術作品のモデルだとみなされてよい。そうみえないのは、伊藤たちが国家を作りだすために使った素材に幻惑されるからであり、みごとな芸術作品として、それが自然的所産にみえ、伊藤もそうみえるように努力したのである。在来の日本の伝統も、外来の制度や思想も、素材として使用されたのであって、どれかがそのまま作品としての国家の構造を支配したのではなかった。」

この伊藤のつくった制度(明治憲法)を 伊藤自身の論理により、つまり内在する矛盾として論破したのが北一輝であり、それをついだ、吉野作造である。北と吉野。この二人の営為に、この章はほぼついやされている。 この章は、先日紹介した坂野潤治『明治デモクラシ』の付録となるべき書き物である。

久野がこれを書いたのは1956年、半世紀前のことである。『国体論及び純正社会主義』は当時第四編「国体論の復古的革命主義」 しか出版されていなかった。(しかし、この主著でもっとも重要なのはこの第四編であり、他はなくてもよい、というくらいのものだ。是非、この編だけでよいから現代語訳してほしい)。久野は北一輝の論理をこれだけで全面展開する。さらに、大逆事件を逃れた北がシナ革命にどのようにかかわり何に挫折したかも書いている。 ニッポンと中国での挫折。 北一輝は、日本の中国侵略と中国の反帝国主義運動の衝突する中で、板挟みの拷問にあい、進退窮まった。最後に、法華教の行者として神懸かり的信仰に血路を見いだすしかなかった。。p164.

伊藤 対 (北一輝 + 吉野作造)、の闘い、といってもいいだろう。(坂野の本は設計側つまり伊藤側の狙い、に関する記述が少ない、これはテーマからしてしかたがない)。

これを読んで、ふと、上山春平の『埋もれた巨像』(岩波書店)を思い出した。上山によれば、8世紀、天皇制を築き上げた、つまり、国家を設計したのは、藤原不比等であり、これは不比等の単独作業であった。伊藤は明治の不比等、か?

とまれ、明治憲法になって導入された天皇制であり、その天皇制が戦争を起こし(戦争自体は主権国の権利だからどうということはない)、失わずに済む多くの生命財産を失って国民に苦しみを与えたことは明らかなのであるから、1945年革命時点で、天皇は廃棄、すくなくとも、明治憲法前の状態に「復古」すべきであった。天皇利権グループがGHQと謀って、これを象徴性として残し、米国の国政への関与を残したことが、ニッポンが現在米国の植民地的状況になりはりはてている一因となっている。すなわち、現憲法の第一条および関連する法律(皇室典範)は廃棄すべきである。http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-03-13

天皇は茶道華道の家元と同じくクラブ制にして残しておくのがいちばんいいとおもう。もちろん、そうすれば私人である家元は選挙に立候補するもよし、民間外交するもよし。基本的人権を与え、人間として扱ってあげましょう。今の状態はひどすぎる。

岩波新書『現代日本の思想』は上述の第4章のみが、いまとなってはもっとも重要である。この本は今、ブックオフで100円で売られている。久野のすごさは、この第四章 日本の超国家主義で、いまや 「エース」である北一輝や吉野作造のみをとりあげているのでなく、純然たるテロリストもフォローしていることである。この章の冒頭は、安田財閥の当主安田善次郎を刺殺し、その場で自決した神州義団団長、朝日平吾の 遺書の検討から始まるのだ。この点、坂野潤治『明治のイデオロギー』の手法と異なる。坂野は「本書が本当の保守派を分析しなかった理由は、それがあまりに単純であり、しかも筆者が全く好意を抱けない思想だからである。明治憲法下の日本では「万世一系」の天皇個人が権力のすべてをにぎる「主権者」であるという主張には、知的興味も、何等の好意も抱けなかったのである」(『明治のデモクラシー』あとがき)として、本当の保守派=おそらく右翼、あるいは極右の連中、らの分析を拒否している。しかし、明治以後、この極右テロリストによる白昼テロにより、リベラル派代議士を恐喝することで(実際に殺られた)、保守政治屋は生き延びてきたのであり、このヤクザテロにより守られている保守政治の状況は、現在でも同じであることは、報道や出版がビビッテ書かなくても、誰でも知っていることだ。現在の天皇制護持派代議士や思想家ヅラをした評論家、マスゴミが生き延びていられるのはこのテロリストによる支援があるからである。

すでに、別記事のコメントに書いたことだが、政治学者坂野潤治は、久野収のこの半世紀前の北一輝論を称して、眼光紙背を徹する哲学者の読み、といっている。つまり、「ファシスト」ではなく、社会民主主義者北一輝、を日本で最初に見いだしたのは久野収であった。

若干23歳の北一輝が満を持して発行にこぎ着けた一千ページにもなろうかという大著、『国体論及び純正社会主義』。刊行日はちょうど100年前、1906年5月14日のことである。

追記:
時間があれば、パル判決書(講談社)に挑戦してみたい。 かなり、やる気、を貯めねばならぬ。

追記2:
立花隆の『滅び行く国家』日経BP社の、第2章 天皇論、をざっと読んだ。
1 著書「天皇と東大」は終止、近代天皇制(明治以後、ということ)を論じているのだから書名を「天皇と東大」にしておいた、と立花は言っている。なぜ「天皇制」にしなかったの?

2 女系天皇反対論者の 守りたいのは 伝統、ということらしい。(国営にしなくても民営で十分だろう?民間でできることは民間でしなくっちゃ。税金の無駄遣い。家元制にすれば、Y染色体だのミトコンドリアで騒ぐこともあるまい。体外受精ご自由に)。それに、憲法第一条「。。。国民の総意に基づく」 これって、どういう意味なのかね? 総意ならば、総選挙でもしなければ確認できまい?4年に一回国民投票すればいいのだ。ほとんど、大統領制だが。。。 そもそも、憲法自体が国民に計られたことはない。

3 万世一系を守りたいなら、男の染色体でなく、女系のミトコンドリア、という(確かなのだろう、立花がいうのだから)。で、すべからく女帝は体外受精すればよいと言っている。これは私もこのブログのどこかで書いたことだ。もともと、基本的人権のない天皇なのだから、論理的にはこれが一番、一挙解決だろう。(もちろん、天皇制廃棄派のわたしにはどうでもいいはなしだが)。

4 天皇制(第一条)そのものを残すべきかどうか、立花はどう思っているのか、示されていない。(やっぱ、本が売れないとまずいしね。)

追記3:
吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)は、東京裁判頃の宮中護持グループと、GHQのやりとりを描いて面白い。GHQの裁判担当者を連日連夜、接待漬けしていたのである、宮中グループは。今とやり口は同じ、誰の金でやっとんじゃ、われら。

この本で面白かったのは、外務省の怪しげな連中のやったことを暴露していること。とくに、英語ペラペラが唯一の取り柄である加瀬俊一(戦後、外務省を牛耳っていた。息子は、現在評論家として恥をさらしている)をGHQが「よどみない嘘をつく人物」とみていたことを明らかにしている。ここを読んで大笑い、p116。この男、NHKの英語番組にも登場したのを観たが、まさに、嘘を平気でつく男(つまり外務官僚の唯一の取り柄)そのもの、の顔であった。加瀬はそんな人物だからもちろん、NHKの大のお気に入り、歴史番組などに当時を知る男としてしゃべり放題やっていた。視聴者は、たっまんないぜ。加瀬はマッカーサーの依頼を受けて、天皇免責に動いていた男であり、松岡洋右の子分としてナチとの連携工作を疑われた戦犯候補。 軽いのよね。

追記4:
後続記事、『十五年戦争とパール判決書』 もご覧いただきたい。
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-11


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すずめ

石原莞爾が不起訴(?)だたのは 絞首刑となった方に かつて政治的に追い落とされたとことによるのでしょう。
天皇制は 日本に固有の「曖昧な合意」に基づいて成り立っている。
だから、英語教育が若年化するにつれて、不合理な存在とならざるをえない。
日本を作ったのが不比等であったにはちがいないが、その後の四家は、たぶん天然痘で崩壊した。ごたごたするうちに やがて武士が登場する。彼らはは仏教で言うところの末法なんてことは まるで相手にしてなかった。あの時代にさまざまな思想が生まれ、日本は大転換していく、このときこそが 今日の日本の起源ではないだろうか。女帝の終焉でもある。
by すずめ (2006-05-04 21:24) 

古井戸

1 石原完爾。 念頭にありませんでした。三角関係?てのはあるんですかね。。でも、わたしには誰が、なぜ、死刑でないのか?というのにはあまり興味がわかない。その点いい加減だが。。というのは、記事で言っていないが、BC級戦犯などいい加減な審理で死刑になっているのがありますからね。そういう例も追認するのか、ということになります。追認せざるを得ない。その負担は後々の戦争に対する戦犯審理に生かすしかない。現実、東京裁判は勝者の裁判、と叫んでいる人間が国際司法裁判所を設けよ!と運動しているわけではないから、かなりいい加減なんですよ。
 ひとりひとりが、東京裁判をどう決着させているのか?をそれこそ学校の授業で作文などさせて、考えさせるべきですね。パル判決に従って、無罪にする。で、そのあと、どうするか?戦後の各種政策など。誰にやらせるべきだったのか?明治憲法を残すのか?とても自浄能力あるような連中が残っていた分けじゃないですからね。そういうことができる連中ならもっと早く降伏していた。

2 曖昧な合意。 伊藤が死んだあと、伊藤の予期せざる方向に行ったのは事実です。なぜ、そうなったのか?いまはなんともいえない。藩閥政府だったのがまずかった。つまり、維新そのものをやったのがヤクザな藩閥暴力集団にしかすぎなかった。。。

3 不比等はたしかに、0ベースで天皇制を作った、だけでそのあとどうなったかに責任はない。しかし、かれがベースを作らなければ、1000年後に ゾンビのように復古!することもなかった。その間の1000年、滅びずに生き残ったのはなぜか?というのはありますね。なぜでしょう?丸山真男に聞いてみるか。

4 現在(近代の)の日本国家の起原は明治です。はじめて、ネーション、になった。デモこのネーションは外圧、からですね。外圧 ->ナショナリズムの必要 -> 国語の制定 -> 君主の制定 -> 国 -> 憲法 
  英仏米、などと異なるのは彼らは君主の扱いがドライでしたね。苦労した分(ギロチン -> 復興  -> 追放。。)扱いになれていた。
by 古井戸 (2006-05-04 23:32) 

滴水

エッと、これを読んで本を探す人のために、とりあえず、ひとつだけ。
古井戸さんの紹介している岩波新書の書名は
「日本の思想」ではなく、「現代日本の思想」です。
本屋さんで「岩波新書の日本の思想って本下さい」というと、丸山真男の書いた本を渡されちゃいます。
それからこの本で十分といえば十分なんですが、入手できれば、
同じ著者グループ(思想の科学研究会)による「転向」という三巻本のどこか(実家の本棚にあるので確かめられません)に、この本のベースになった論考があったような気がします。
by 滴水 (2006-05-05 09:31) 

すずめ

4:精神的風土を破壊しつくした、ってな意味では明治が今日的日本の始まりかもしれませんね。興福寺をはじめ 天皇周辺から流れ落ちてきていた南都の坊さんたちは 明治になった途端に 寺からわっと逃げ去ってしまった。あっちの水は甘いぞ と見えたらしい。仏を廃し、神を沈め、唯一天皇を 道徳の根本に置く、それが崩れた昭和の大敗北と同時に 坩堝の中のカオスと化したニッポン。
by すずめ (2006-05-05 09:33) 

古井戸

滴水さん、
ども。本文なおさせてもらいます、すみませんでした。
鶴見グループの、「転向」、とは関係ないと思いますね、この著作は。
だれも転向していません。

「転向」は思想の科学グループの、共同研究の成果だが、著者は個々それほど制約無く、「転向者」を描いています。だから、たとえば鶴見執筆分は 鶴見の単著として出てもいますね。

それはそうと、丸山の 日本の思想、。。まだ読んでいない。本棚にはあわせて4,5冊あるんだが。。ブックオフでその都度100円で買ってくる。
by 古井戸 (2006-05-05 09:42) 

古井戸

つまりフランスが、1789年から、米国が、1776年に、英国が1649年に始めたことを、一挙にやろうとしたのが、幕末、維新の日本だったってことですね。立憲君主にしたのは伊藤の設計どおりだが、立憲主義が官僚軍人らによってゆがめられてしまった、のは、伊藤の思い違い、といえば、伊藤にひいきしすぎか。

すくなくとも、近代天皇の伝統など、1000年もなく、たかが70年である、ということは肝に銘じておきましょう。しかも、どのような内実を持ったものか。
by 古井戸 (2006-05-05 09:49) 

滴水

伊藤の思い違いというのが妥当かも知れませんね。ただ、あれほど考えたのなら、軍隊を憲法の掣肘外においたことは、やはり、落ち度だったという気がしますけれど。
伊藤の書いた「憲法議解」には第11条注解の末尾に「兵馬の統一は至尊の大権にして、専ら帷幄の大令に属することを示すなり」とありますから、意識してそうしたということになります。
その時に軍隊を国内に対する抑圧装置としてしか考えていなかったとすればいかにも浅はかですし、外向きに展開するときにそのメカニズムに注意が及ばなかったというならば、何故だという気がします。ひょっとすると、プロシア憲法にもそういう穴があったのでしょうか。
by 滴水 (2006-05-05 10:23) 

古井戸

伊藤が自分で考えたはずはないから、天皇を置いたのとおなじく、自ら恃んだドイツプロイセンのアドバイザ意見を取り入れたのと想定します。 明治憲法の制定についてはかなり文献がありますから、調べてみるひつよう、あります、ね(誰が?)。

要は、民主主義、というか、民、が怖かったのでしょう。
すなわち、現在の保守政治屋が、民を嫌い恐がり、民主主義を嫌って(というか何が民主主義か、がわかっていない)、水戸黄門の印籠ならぬ、天皇を担ぎ上げたいのと同じこと。
by 古井戸 (2006-05-05 11:27) 

すずめ

民主主義なんてのはいつだって 通りすがり、いわば過程だったじゃないか。。
σ(^^) 酔ってないよ。。
by すずめ (2006-05-05 18:19) 

古井戸

たしかに
  過程の事情
は考慮せねば。。。

あなたは、酔っていますね。酔ったときしかまともなことを言わない。
家庭の事情。
by 古井戸 (2006-05-05 18:27) 

タツ

>天皇は茶道華道の家元と同じくクラブ制にして残しておくのがいちばんいいとおもう。<

古井戸さんのアイデアに賛成の方がいらっしゃるのでしょうか? 天皇を稽古事の家元とカン違いした集金ネットワークが、官僚たちの間違いと思うんですけど。

伊藤博文が明治憲法の草案を練ったのは、北条一族の図書館のあった場所でした。
お酒を飲みながら、「天皇とは何か?」を芸者に問うと、
「あたしたちの踊りのお家元みたいなお方じゃないかしら」
「ぅおっし、それで行こう」
「どんな芸のお家元ですの?」
「鎌倉時代にはカミカゼという芸を披露してくださったそうだ」
「わーっ、すっごい。見たいわね」

酔った勢いって、怖いですね。(気をつけなくっちゃあ~)

by タツ (2009-09-11 15:18) 

古井戸

>古井戸さんのアイデアに賛成の方がいらっしゃるのでしょうか

大勢いるでしょ? 調べたワケじゃないが。
たとえば、社会学者の橋爪大三郎。つぎの記事に彼の意見を載せています。
佐藤優、山川均の護憲論、天皇制
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-04-15-1


実際、そういう機能しか持ってないんのだし、明治以前は誰にも知られない存在だったんだから。
憲法第一章を削除するか、天皇自身が公務をサボればそうなります。
誰も天皇に公務を強制できないでしょう。サボっても罰則はないし。次期天皇にそれを期待しているんですがね。





by 古井戸 (2009-09-11 19:59) 

タツ

橋爪論文の引用、拝読しました。あの時期、こういう提案があったから、いわゆる右翼の人たちが興奮していたんですね。古い記事にコメントして申しわけなかったですが、当方学習させていただき、御礼を申し上げます。
それにしても、「明治以前は誰にも知られない存在」と、北一輝もそのようなことを云っていたそうですが、関西を中心に歴史探訪をしている自分の感得する存在感からギャップが大きすぎて、これを埋める仕事に明治国家は苦しんだのかと考えます。
その意識の乗り越えのところに、危険な落とし穴!

昭和天皇は悩む時間のないまま即位なさって、彼の彷徨に国民が付き合うことになってしまったから、いまの陛下がお元気なうちに皇太子ご夫妻がじっくり悩んでくださるのは歓迎すべき現象なのかもしれないと思えてきました。


by タツ (2009-09-12 14:39) 

古井戸

>こういう提案があったから、いわゆる右翼の人たちが興奮していたんですね

関係ないです。女性天皇論を提唱したのは橋爪だけじゃない。天皇制護持派は本能的に危機を感じて(商売が無くなる)黙殺したり、騒いだりします。橋爪の文章は黙殺された部類。

たとえば。。
女性天皇論  象徴天皇制とニッポンの未来 (朝日選書) (単行本)
中野 正志 (著)
序 新しい視座からの探求
第1章 雅子妃「お疲れ」問題の深層
第2章 矛盾を抱えてスタートした象徴天皇制
第3章 女性天皇が排除された理由
第4章 女帝の世紀
第5章 女系がつないだ皇統の隙間
第6章 つくられた万世一系
第7章 危機に立つ最古のシステム
第8章 皇室典範改正試案と憲法の今後

当時はそこそこ評判だった。
皇太子+マコチャン、読んだかな?

憲法学者奥平が『万世一系の研究』を刊行したのもその頃か。
by 古井戸 (2009-09-12 15:05) 

タツ

東北や北海道で愛国心を育んでいる人たちが女性天皇に期待するメカニズムは、わたくしの感得したところからも理解できるのですが、これが、226事件を初めとする困った問題を引き起こしました。
宮城県塩釜の出身で「防衛庁の天皇」と呼ばれたモリヤ(←物部守屋の怨霊?まさかね)という事務次官がいましたが、官僚を天皇と呼ぶのだけは絶対に止めてほしい。

この場をお借りして、再度書かせていただきます。

>天皇を稽古事の家元とカン違いした集金ネットワークが、官僚たちの間違いと思うんですけど。<


ご教示いただいた2冊は近くの図書館にあるので、目を通しておきます。ありがとうございました。


by タツ (2009-09-12 20:34) 

古井戸

私も再度書かせてもらいます。

フツーの人と全く違わない、オッサン、と、オバハン、を、天皇とか皇后とか称して、基本的人権を奪い、崇めたてまつり、利用しまくるのは、未開人とニッポンジン(未開人の一種)だけです。
by 古井戸 (2009-09-12 21:00) 

タツ

中野正志著『女性天皇論』と奥平著『万世一系の研究』を図書館で見てきました。
それで分かりました。
「継体天皇とはどこから来た何者か?」というところから、日本人の悩みが始まって、いまだに解決していないのです。
このため、日本人は未開人の悩みを保持しているのです。

日本列島全域を世界遺産に認定してもらって、これを攻撃するのは人類への攻撃であると、北朝鮮のミサイルさんにも理解していただきましょう。
by タツ (2009-09-13 20:02) 

古井戸

>これを攻撃するのは人類への攻撃であると。。

人類への寄与。。のマチガイじゃございません?
by 古井戸 (2009-09-13 22:33) 

タツ

攻撃は寄与ではありません。

発生時の矛盾を隠蔽したままシステムを破壊したばあい、その機能の停止に伴って出現するモンスターについて、考えているのです。
ハプスブルグ王朝の崩壊とヒットラーの例がありました。

利権ゴロさんは、モンスターへの恐怖心を煽るのが上手。「丹後に鬼が出る」という噂を流して日本海交易を独占したんです。噂を真実らしく見せかけるために、北朝鮮方面から「鬼」を連れてきたりもしたらしい。

丹後にフィールドワークに行くと、谷垣さんのポスターがたくさん貼ってありました。「捨て石」なんて云わずに、利権ゴロの巣食っている隠し部屋を徹底的にお掃除して、鳩山さんの次の総理大臣は自分がやるって宣言していただきたいものです。






by タツ (2009-09-14 10:50) 

十楽人

臼井吉見、小説「安曇野」(第5巻)から引用。
「(前略)そんないたらない日本人の弱点(引用者注:天皇制によってしか国民を統合できない)を補うために、れっきとした一個の善良な人間の基本的人権を奪ってまで、かくも無残な犠牲者に仕立てることが依然として許されていいのか、天皇制の議論も要するに、天皇の利用価値をめぐる対立ではないのか」

臼井がこう書いたのは昭和46年のこと。それから半世紀近く、ニホンジンの原始人的思考はいまだ変わらずということですか。
最近では森村誠一氏が、雑誌「月刊文芸春秋」の7月号だったかで、「天皇の自由を束縛するのは国民のエゴである」という趣旨のことを述べていましたが。
by 十楽人 (2009-09-14 15:05) 

古井戸

元を辿れば列島人はみんな半島から渉ってきたのだし、天皇の祖先はジョンイルの祖先は兄弟だった可能性もある。私の祖先の奴隷だったかも。

地球全体を世界遺産にすれば問題解決ですよ。

北一輝は、明治憲法の解釈改憲である、美濃部達吉の天皇機関説をさらにすすめ、憲法上(明治憲法)は、天皇と国民は平等な位置にあると、認定しています。

すなわち明治憲法体制とは、「平等の多数と一人の特権者とをもって統治者たる民主的政体」と解釈することは、彼(北一輝)の「社会民主主義」論にとって不可欠の前提であった。。。坂野潤治『近代日本の国家構想』p203、2009/8。

昭和天皇自身は、美濃部達吉の天皇機関説を知って、おれはあの機関説でいいとおもうよ、と言った。民主主義、というものをカラキシ知らない明治人じゃニッポンがこうなるのもしょうがなかった。国民も<帝国>思想に染まり、アジア人を人間と見なしていなかった。関東大震災前後では千葉あたりでも一般人が朝鮮人を虐殺し、川に放り込んで知らん顔をした。
by 古井戸 (2009-09-14 19:12) 

タツ

十楽人さん

『安曇野』を読んだことはありませんが、察するに、郷土愛に満ち満ちた小説なのでしょう。
「郷土を愛する心」を「国家を愛する心」へ発展させるときにネジレが生じるので、そのネジレの発生メカニズムを追究しないまま、応急処置のゴムを伸ばすみたいに交付金バラマキやハコモノ作りを続けて借金を増やしたのが、70年以降の自民党であったかと考えるのですが、十楽人さんのご意見はいかがでしょうか?

ネジレの発生メカニズムを解く鍵は、継体天皇と安曇族にありそうなので、任那四県割譲と新羅の于山国征服、磐井の乱など、わたくし自称歴史推理作家の高塚タツは取り組んでおります。


古井戸さん 毎度お邪魔いたしまして恐縮です。

>元を辿れば列島人はみんな半島から渉ってきた

 神武天皇は半島を経由せずにヤマトに到達したことに意味があったのでしょう。神武の実在非在の問題ではなく、神話の意味です。

>地球全体を世界遺産にすれば問題解決

 まったく賛成です。昭和天皇も近衛文麿も、それを望んでいたでしょうに、彼らの希望に関係なく、古いシステムを動かしてしまったものの正体は何か? 戦争をしなくてもいい国家は可能か?

 この2~3日が大事ですから、興奮は抑えて考察いたしましょう。


by タツ (2009-09-14 20:54) 

古井戸

>「郷土を愛する心」を「国家を愛する心」へ発展させるときにネジレ..

このネジレが神話をつくり、バンセーイッケーを創作し、天皇つまり神話を創作したんでしょう(天皇は一種の被害者です。三種の神器をマジで信じて狂う寸前にまでなった)。私は神話には一切興味ありませんのであしからず。バンセイッケー、をマジでやりだすと、奥平(あるいはタツさん)のようにミーラとりがミーラになります。

『安曇野』は、雑誌『展望』に昔連載された小説で、。。内容はひと言で言えば藤村『夜明け前』が馬篭を舞台として明治維新を描いたノンフィクションと言っていいのと同じく、安曇野を舞台として大正昭和(敗戦直後まで)を描いたノンフィクションです(もちろん臼井の眼から見た、ですが)。登場人物は石川三四郎、大宅壮一。。その他のチシキジン。
by 古井戸 (2009-09-14 23:38) 

タツ

いろいろ教えていただいて、助かっています。

『安曇野』はうちの近くの図書館にはないので、いつ読めるか分かりません。『夜明け前』も、高校のときに読もうとして途中で投げ出して、さいきん奈良時代の木曽路開通のことを調べて、少し分かってきました。
活字だけでは伝わってこないもの、ありますね。東京で関西の古代文学を押し付けられるのは苦痛と思う。

万世一系思想はあとからできたもので、神話は先にあったんですよね。つまり、神話の発生は万世一系と関係ないのに、国をまとめる思想を持たない政治屋が、法治国家を神話や謡曲で動かしたがるのでしょう。
奥平『万世一系の研究』を、先日図書館で開いたけれど、ダメだったのは、神話の言語は、法律の言語と、翻訳不可能だからです。


古井戸さんと対話させていただいても、そもそも未知の人だから、噛み合わないのは仕方ない。
ただ、「天皇」という語の使い方で、最悪のものについては、同感していただけるかもしれない。

それは、「マスコミ界の天皇」というヤツ。あれ、最悪ね。あんなヤツがいるから、マスコミがマスゴミになるんだと思う。

by タツ (2009-09-15 16:10) 

古井戸

「マスコミ界の天皇」
これは誰のことだろうか?大宅壮一あたりなら本人は嫌がるだろうがそうよばれてもいい勢いがあった。

大宅壮一著、実録・天皇記:
http://mcg-j.org/step_blog/mobile_archive_100.htm
1952年発表。
戦前なら不敬罪=ギロチンだな。

大宅のムスメはさすがに親父の才能は受け継げなかった。



犬猫には天皇はいないらしいが、バンセイッケーです。
はずかしながら、わたくしも、バンセイッケー。
いけとしいけるもの、すべて、バンセイッケー。

by 古井戸 (2009-09-16 05:37) 

十楽人

タツさん

もうタイミングがずれてしまいましたが、ご指名なので。

私のここでの関心は、一般のニッポン人が無関心である天皇制の矛盾についてであり、小説「安曇野」を引用したのもその中に私が共鳴する部分があったからです。
タツさんは小説「安曇野」を先入観で誤った決め付けをされており(失礼)、そこから敷衍した、「交付金バラマキやハコモノ作り」について振られても困惑します。よってご質問にお応えするのは控えさせていただきます。
小説「安曇野」は、東京新宿の中村屋創業者、相馬黒光を主人公とした
(古井戸さんが紹介されれた通りの)ノンフィクション小説です。
by 十楽人 (2009-09-16 18:38) 

タツ

十楽人さん

中村屋さんの月餅は、むかし賞味したことがあります。教えていただいて良かった。ありがとうございます。

ところで、引用箇所は、相馬黒光が残した中村屋の社是か、それとも臼井吉見の私見でしょうか? 
機会があれば自分で調べたいですが、もしお気が向けば、ご親切ついでにお教えください。


古井戸さん

「マスコミ界の天皇」とは、大新聞の社主で球団のオーナーでもある人物が、そう呼ばれているのを聞いたことがあります。

「古代史業界の天皇」と呼ばれたのは、亡くなった小説家の黒岩重吾。継体天皇を主人公にした荒唐無稽トンデモ小説を考古学業者が人寄せに使ったのです。

大宅壮一は、川端康成と同じく、継体天皇のお墓の近くの出身ですね。


知らなかったことを知るのは悦びです。これからの日本に、この悦びがたくさん訪れますように! (「知らなかったのはアナタだけよ」という声も聞えてくるでしょうが…)

by タツ (2009-09-16 21:32) 

古井戸

引用された箇所は小説の末尾にちかく、長い臼井自身の意見が続くところ。
↓をよめば大体の感じがつかめるでしょう。
http://www.shimintimes.co.jp/yomi/aruku/pro.html
臼井吉見は雑誌展望の編集長。川端康成の奇行を描いた『事故のてんまつ』など。

球団のオーナー=ナベツネですか。。なるほど。

認証式@皇居、は終わったのかな?

##

↑の案内にある、小説『獅子座』を読みたくなった。困ったね。
図書館に予約しよう。千葉県立図書館に置いてあるようだ。
by 古井戸 (2009-09-16 21:58) 

タツ

うちの近所の図書館の書庫にもありました。

『安曇野』もありました。(ないと思ったのは、検索の入力ミスでした。)
でも、第5巻までは読めそうにないので、助かりました。

by タツ (2009-09-17 12:02) 

タツ

川端康成の遺族とトラブルの記憶はありましたが、偉い先生がボケて家族を困らせる話なんて珍しくないから、それを書いた臼井吉見を週刊誌のライターかと思っていました。
『安曇野』第5巻を借りてきたら、三木清や柳田國男も登場するんですね。ラストシーンが清々しく、安曇野を愛する心がストレートに伝わってきます。これに導かれて、さいきん話題になった中島岳志『中村屋のボース』(白水社)も借りてきました。

『獅子座』は図書館でパラッと見ただけ。竹島(鬱陵島)のことが書いてありますね。

by タツ (2009-09-20 22:42) 

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