SSブログ

福沢諭吉の真実、再読。 (その3) [福澤諭吉]

      

平山さんからいろいろご教示願って、さて、昨日新たに購入した「福沢諭吉の真実」をさらさらっとおさらいしてみた。
ただ、前半はカットした。 前回読んだときも感じたのだが、平山さんはまず、石河幹明による「偽造」を発見した後、「こいつ、悪いやっちゃ、それなら、若いときにも罪状がいっぱいあるやろ、見つけてとっちめてやろう!」という悪のり、してるんじゃないか?という気がしたからである。前半はないほうが、私としては説得力があるようにおもう。

1 日清戦争は、福沢がいようといまいと起こった戦いである。つまり中国との間の覇権争い、領土争いとして。これは今日の視点からいいわるい、を論じられぬ問題。そういう時代だった。中国は200年朝鮮に対し、宗主権を維持し続けていた。新興国ニッポンは、この清国の宗主権を剥奪し、朝鮮を支配したかった。もちろん、諸外国の睨みが効いている極東関係の枠組みの中、支配、などとあからさまにいうバカはいない。こういうときは、朝鮮の独立を支援する、というのが世界の習わしである。

2 福沢は幕末から、打倒封建制度、を担いそのための世論を興したことに功績がある。アンダーソンのいう出版ナショナリズムそのものといえよう。出版により世論、ナショナリズムを興した。

3 平山さんは、時事新報(1882年から)は福沢が主宰したが、そのうち石河等の主筆が実権を握った、といわれる。いまはこれを信じよう。そして福沢の書いた社説(無署名)も 読者は筆者が福沢だとは思っていない、と書いている。これも信じよう。 脱亜論(時事新報の無署名社説)、もしたがって、福沢の筆になるとは誰も考えていなかった、かつ、誰にも注目されないありきたりのパターンをなぞった小論であった。だが、脱亜論を軽視したい平山さんも、「文明論の概略」を福沢ならではの簡潔さで要約した作品と、評価している。であるとするなら、論者によっては、「学問のすすめ」、や、「文明論の概略」自体にすでに後年の日清戦争支持につながる契機が内在している、というのだから、そういう論者は 脱亜論を 重要な作品とするのはきわめて当然のことではないか。史観の差である。世間が注目したかどうかは思想家の評価にとって、二の次の問題である。世論を喚起したかどうか、とはまた別の評価が必要ということ。

4 石河(福沢でなく)は当時、政府が謀っていた清国との戦争の世論作りに一役買うべく、社説を乱造した。(福沢は、指をくわえてみていた、ということになる。賛成するでもなし、反対するデモ無し)。

すると、どういうことになるのだろうか。 平山さんは石河をきわめてネガチブに罵倒しているけれども私は逆の見方ができると考える。 

           石河幹明 こそが 勝利者である

という見方である。つまり、福沢は明治初期に必須であった藩 -> 県 -> 国、のナショナリズムを興すのに力があったが、ナショナリズムは初期資本主義と手を組むことにより、海外市場を求め、他国との摩擦を避けることができない。つまり市場としての朝鮮をめぐる清国(やがてロシア)との戦いになる。 平山さんの考えによると、清国との戦争の前で福沢は何もしていない、立ち往生である。当時の情勢からして、戦争が避けられぬ、ものであるならば世論をまず興さねばならない。当時、海外で何で戦争するの?と国民は半信半疑だったのだ。これではイクサには勝てない、愛国者石河は、手をこまねいている福沢に満足できず、国民を焚きつけるべく、社説をせっせと「乱造」した。石河は 社説発表により福沢の権威を利用できると考えた。国難のとき、利用できるものは何でも利用しよう。時事新報社説である「脱亜論」は国民に無視され、石河の戦争昂揚社説が本当に受けたのか?このへんが不明だが。 平山さんによると、時事新報発足間もなく、福沢はすでに 思想的には、死に体、である。それを石河が嗣いだのだ。

5 思想家にも賞味期限がある。福沢の役割、賞味期限は、日清戦争勝利で終わった、と考えるのは平山さんの仮想敵である遠山茂樹である。平山さんは、福沢の役割は 時事新報創刊により終わったと言っているようにみえる。平山さんは明言していないがこの本をよむかぎり、そうなるのである。日清戦争は起こるべくして起こる戦争であり、それを熱心に触媒したのが、石河である、ということになる。全集の編集とか伝記とかで、好ましからざることをシデカシタと平山さんはおっしゃるが、石河の機略と見れば、承知の助の、カエルにションベンである、どうということもなかろう。石河は立派に御国のために役割を果たした、殊勲甲。総仕上げとして福沢伝と全集を多少の色つけをして刊行した。色つけはなんと、100年間も見破られることがなかった。これが石河の勝利でなくして何だろうか。私には石河の高笑いが聞こえる。

福沢: おまえ、うまくやりおったなあ。。さすが俺の弟子。。
石河: ははははは、センセの意地の悪い薫陶のタマもの、かも。

以上のようなことを考えて、本日はグッドナイト。

追記1:
平山さん、石河に対して思想犯罪、というような言葉はやめたほうがよいのでは。思想は機略、思想はバトル(注)。平山さんの解釈によれば、日清戦争は通常の戦争であり侵略戦争でもなんでもない。ならば、通常の戦争行為を積極支援する石河は、なぜ、英雄でないのだろう?平山解釈によれば、普通の戦争に手をこまねいている福沢こそ犯罪人ではないか。全集編纂に際して真筆偽造をなしたのを仮に「犯罪」と呼べるとしても、その行為から時間的に遡って、社説を無署名で書くことは(もちろん、福沢も無署名で書いた)、社説の内容を問わず、いかなるいみでも犯罪とは言えないのである。現在の行為の故に、過去を裁いてはならない。平山さんはこのことに無頓着であるから、この本を読んでいて、落ち着かない気分になる。仮に「偽造」が無かったとしよう。戦意昂揚社説を書いたことをいかなる意味で裁けるのだろうか?偽造があったから、遡って裁ける?なければ裁けない?偽造があろうと無かろうと、戦意昂揚社説を書くことは悪いことだ?(戦意昂揚社説は当時、時事新報以外に、ゴマンとあったろう)。戦意昂揚社説、と、偽造の間には因果関係はないのである(万一、あったとしても、結果から、原因を裁けるものではない。金ほしさに、盗みをはたらいたからといって金銭欲を裁くことはできない)。むろん、平山さんは、日清戦争について戦意昂揚をはかることは何ら問題ないとおもっておられるはずだから、仮に福沢が戦意昂揚社説を書いたとして福沢を「それゆえに」責める理由は存在しない。石河が書いたとしても、同じことである。
(注) 理由: 時事新報の無署名社説は筆者が誰であろうと、福沢に関連づけて読む人はあるはずだからである。個人の思想ではなく、社会にどう受け取られたかを考えれば全集に入れるのはわたしは妥当と思う(無いと困る)。残る疑問は、福沢が石河の社説をなぜ、見て見ぬふりをしたか、である。わたしは、先述のように、これを 承認した行為、とみなす。福沢が承認できぬ内容ならそれをそのまま発表したのは時事新報オーナとして(読者に対して)無責任だと私は考える。この点、平山さんは、福沢は時事新報社(執筆)から離脱しているというが、それで責任を当時の常識として免れるか私は疑問である。(現在の朝日新聞社説に対して、執筆者が誰であろうと、朝日新聞(経営者)は責任をもつだろう)。

追記2: 
福沢を「市民的自由主義者」vs 「侵略的絶対主義者」という軸で見たいというのが平山さんだが、平山さんにひいきしてみると、福沢が晩年、石河の前で立ち往生したのは「市民的自由主義者」で終わったから、ということになる。あの時代、それだけでは 死に体、になるしかないのである。むろん、わたしは、双方を福沢が体現した、という考えを捨ててはいない。

追記3:
遠山茂樹「福沢諭吉」は、わたしにとって、世評高い「明治維新」より名著である。福沢に対する真情と理解に溢れる記述に胸が熱くなる。


nice!(1)  コメント(10)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 10

平山 洋

すでに次のエントリがアップされているようですが、やはり順序通りお答えするのがすじと考えます。そこで以下は「その3」を読む前の段階での回答です。

まず「前段」について。

拙著『福沢諭吉の真実』は、「あとがき」にもありますように、もともと学術論文として用意され、総数も600枚くらいありました。新書にするにあたって、そのうち前3分の2(400枚)を半分に削ることで、総計400枚としたのでした。つまり第三章までは、現在の倍の分量があったのです。

原型では、テキスト分析の結果石河の歪曲が徐々に明らかになり、最後に石河が付加した無署名論説に根拠はほとんどない、したがって福沢解釈としては、市民的自由主義者とするのが妥当である、という結論になっていたのでした。

ところが新書では、論証の部分をほとんどカットしなければならなくなり、真贋判定の結果が根拠不十分なまま断定的に書かれています。全体にかなり早急に論が進められ、第四章にいたって突如石河への怒り炸裂、という形になっているのです。読者は「何で怒っているの?」といぶかしく感じられたことでしょう。
by 平山 洋 (2006-04-18 08:11) 

平山 洋

1 福沢は朝鮮の独立のために独立党を支援し、中国でも市民革命が可能だと考えて、そのことに期待を寄せていたのです。

 金玉均ら独立党を助けたのは、日本が朝鮮を支配するための道具としてではありません。朝鮮国が近代国家として一人立ちすることは、朝鮮人にとって大きなプラスであるばかりでなく、日本の産業の発達と安全保障にとっても良い効果があるからです。

 逆に、なぜ日本が朝鮮を支配しなければならないのでしょうか。領有すれば、朝鮮に住む人々は望みもしないのに日本人とされてしまうのです。その不満を抑えるためには軍隊を駐留させなければならないでしょう。人々を慰撫するためには福祉を充実させなければなりません。いずれにせよお金がかかって仕方がなくなるのです。朝鮮ばかりではなく、日本にとってもいいことなどないではありませんか。

中国については、福沢は中国人による市民革命に期待していました。『福翁自伝』にはっきりそう書いてあります。拙著133頁に引用してありますのでお読みください。

また、1897年に孫文が横浜に亡命してきたときの世話役の中には、福沢の愛弟子であった犬養毅がいました。福沢の書簡には孫文の話が出てきませんから、福沢は彼を知らなかったのかもしれません。しかし、もし知っていたなら援助したろう、と私は思っています(『諸君!』2006年2月号にそのことについて書きました)。
by 平山 洋 (2006-04-18 08:29) 

平山 洋

2 福沢が出版界で果たした役割りは、封建制の打破にとどまりません。むしろ産業の育成への方向付けにありました。

福沢は土地所有の形態としての封建制と、精神を縛っている思考様式としての封建制を分けて考えます。前者は、廃藩置県(1871年)と秩禄処分(1872年)によって撤廃されました。土地所有は自由となったのです。いっぽう後者は、儒教主義として日本人の精神の近代化を阻害している、と考えて、その後も儒教主義撲滅運動に邁進しました。

なぜ儒教主義がいけないかというと、福沢の考えでは、そこには、華夷意識と商業・生産業軽視が不可避的に含まれているからでした。国民一人一人が産業に従事して豊かになってゆき、その国民の総体として国家がなければならない、国民あっての国家なのだから、政府は国民が組織するべきだ、と考えたのです。それは日本ばかりではなく、どの国についてもいえることで、だから君主専制国家である清国や朝鮮の政府を批判したのでした。
by 平山 洋 (2006-04-18 08:48) 

平山 洋

3 私は「脱亜論」を軽視などしておりません。この論説は石河によって『続福沢全集』(1933年)に採録されたものですが、それは石河にしてはめずらしく良い仕事であったと考えております。

1885年の「朝鮮独立党の処刑」、「脱亜論」、「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す」など、推定直筆3編と、石河執筆と推定できる、1894年の「日本臣民の覚悟」、「日清の戦争は文野の戦争なり」が、その主張を異にすることについてはすでに昨日書いております。

ご参考までに、ぜひ、
http://blechmusik.xrea.jp/labs/misc/m03.html
をご覧ください。
by 平山 洋 (2006-04-18 08:57) 

古井戸

「支配」とはわたしの勝手な言葉であり、福沢がモロニこんな言葉を使うわけがないですね。

しかし、言葉に出そうと出すまいと、当時の日本が朝鮮をunder control状態に置こうとしてのはタシカのようです。朝鮮を長年配下においていた清国の「支配」を排除するため。陸奥宗光らは戦争の口実を探していた(宗主国である清国との)。 福沢の意図は ヨシ、としても 当時の政権を、結局は後押ししたのではないでしょうか。もちろん、他国への干渉や支配は堂々と行われていたのだからそれを今日の視点から 悪いヤツ!といってもしょうがありません。

私は思うのですが、福沢諭吉が当時の朝鮮で若き政治家(あるいは社会評論家)であったならば、福沢理論をそのときの朝鮮に適用し、日本や清国に対してどういう態度をとれ、というのでしょうか?

それと、もう一つ。福沢諭吉はいいときに死んだ、ということです。80歳くらいまで元気で生きていた場合、その後の日露戦争は、朝鮮併合をどう評価したでしょうか? 幸徳秋水、内村、堺らは日露戦争に反対したが、福沢はどうしたろうか? 

2について。
<なぜ儒教主義がいけないかというと、福沢の考えでは、そこには、華夷意識と商業・生産業軽視が不可避的に含まれているからでした。>

これは、典型的なブルジョア(革命)思想ですね。ブルジョア思想は 経済の拡張が必然的に伴います。一国経済ではやっていけなくなる、領土争いが起こる、世界戦争になる。いわゆる帝国の時代、レーニンの筋書き通りのことが絵に描いたように起こります。

大まかに言えば、その後に起こる第一次大戦により、国際秩序が必要なんだ。。と各国政治家(国民、知識人)が認識するまでの はざまに生きた知識人が福沢であったと思います。 日本は いずれも、後追い、ワンサイクル遅れているのです。だから、悲劇になった。 

朝鮮(他国)の独立、ということは、すなわち、清国の戦争、と直結します。朝鮮の独立など 夢の夢であったのが当時の状況でしょう。

だから、
1 封建制打倒のためのイデオロギを広めた ブルジョア市民主義

2 他国との領土拡張戦争

という2つは直結しているのです。富国、を、一国だけで実現することはありえなかった。。強兵をともなう。 すなわち 富国 -> 強兵 -> 富国 ->強兵の連鎖の始まりです。
by 古井戸 (2006-04-18 09:05) 

平山 洋

まだ回答の途中だったのですよ。人の話を最後まで聞かずにどんどん書き込まれては、議論が分散してめちゃくちゃになってしまうではないですか。

ただ、どうにも分からないのは、「言葉に出そうと出すまいと、当時の日本が朝鮮をunder control状態に置こうとしていた」、と言葉に出してないのにどうして分かるのか、ということです。朝鮮国が日本の友好国であってほしい、と考えるのは当然のことです。それは同時に清国もロシアも同じであったでしょう。それ以上でも以下でもなかったと考えております。

それにしても、やはり恐れていた堂々巡りになってしまいました。昨年秋の中西Bさんとの対話と同じです。
http://hpcgi3.nifty.com/biogon_21/board/aska.cgi?page=330

経済発展のためには領土拡大などまったく必要ではない、と私がいっても、理解してくださらないのでしょう。現に現代の世界ではそうなっているではないですか。韓国や中国は領土拡大によって経済を発展させているわけではないのです。
by 平山 洋 (2006-04-18 09:43) 

平山 洋

5 思想家の賞味期限について

遠山さんは石河の論説ばかりを読んでいるから、賞味期限切れなどというのです。私の考えでは、福沢の思想の本質は、「文明政治の六条件」にあります。全世界の国々でその実現が可能となる時代がやっと来た、と思っております。

追記1について

思想犯罪という言葉を使ったのは、私ではなく、文春新書編集部です。本が出来上がるまで、オビやカバー裏がどうなるか、まったく知りませんでした。私が執筆して校正をしたのは、「目次」から「あとがき」までで、私は本文で「石河の思想犯罪」などと書いた記憶がなかったため、ぎょっとした記憶があります。本文中に「思想犯罪」という言葉は使われているでしょうか?

追記2について

そもそも福沢と石河を思想家として比較可能な存在とみなすこと自体が間違っているのです。前にも書いたように、福沢にとって、所有する新聞『時事新報』は、毎日論説や記事を作り出って売るビジネスに過ぎないのです。福沢はそこに自分の意見を表明する場を確保していた、ということです。福沢は最後まで自分の好きなことを好きなだけ書いていたのですから、石河の前で立ち往生することもなかったのです。

追記3について

遠山茂樹さんに対する過度の思い入れはやめたほうがいいですよ。私も最初は、イデオロギー的には相容れないけれど、遠山さんは誠実な歴史家であろう、と期待していたのです。しかし、社説「脱亜論」が有名になっていく過程を検証してゆくうち、遠山さんには、福沢を何としても悪く評価したい、という、研究者としての誠実さに先行する、革命家としての目的意識があるのではないか、と思えてきました。

1893年以降の福沢の仕事は、『福翁百話』(1897年)、『福沢先生浮世談』(98年)、『修業立志編』(98年)、『福翁自伝』(99年)、『女大学評論・新女大学』(99年)、そして没後の『福翁百余話』と『丁丑公論・痩我慢の説』(01年)だけです。これらの中に、対アジア問題を主題としたものも、領土拡大・軍備拡張をテーマとしたものもありません。

もちろん、これらの初出もみな『時事新報』です。つまり遠山さんは、署名著作ではまったく触れられていないことを、『福沢諭吉』の224ページ以降でえんえんと述べているのです。いや、無署名論説が議論の中心になるのは181ページ以降ですから、その本の後半全部といっていいでしょう。思想家の生涯を記述するのに、その思想家の著書を用いない、とはどういうことなのでしょうか?

遠山さんの『福沢諭吉』(1970年)は、石河の『福沢諭吉』(1935年・伝の短縮版)にそっくりで、結論部での評価が、石河の「すばらしい」、から、「けしからん」、に変わっているだけなのです。
by 平山 洋 (2006-04-18 10:23) 

古井戸

後でまとめてみますが、私が回答の途中で割り込んだ、と抗議なさっています。 大変申し訳ないことをしましたがこのコメント欄で記入する場合、分割されて記入して後続のメッセージがあるのかどうかは、読み手には不明です。

長文を投入して、かつ、途中で割り込まれるのを阻止する仕組みはありませんから(掲示板や、その他も同様)連続して読んだ後でコメントを求める場合は

1 分割せず長文にする。
2 全体のメッセージの一部であることを、分割メッセージに示して頂きたいと思います。そうでないと、後続あるのかどうかには、書いたものしか分かりません。

(後続メッセージあり)
(以上)
などの注意を付けて頂ければありがたく思います。

コメント欄に容量の制限はないようですから、長文にされたほうがよかろうとおもいます。

ここで、送信していいかどうかも分かりません。。。。
by 古井戸 (2006-04-18 17:34) 

平山 洋

当初書いている途中で、リンクを貼ろうとしたら、全部が消えてしまったのです。もう長文はよそうと思っています。読んでいる方もうんざりでしょうしね。
by 平山 洋 (2006-04-20 10:55) 

とおりがかり

文章を書くものが一番やってはいけない、偽造という行為を働いた石河を勝利者として誉める古井戸という人間は、頭が腐っているのではないか?
もし石河のような行為を認めれば、全ての学術資料は意味を失う。
それは地理・時代にかかわらず、古代であろうと戦時下であろうと、あるいはどのようなイデオロギー・思想を持とうと、学に志すものの根本的な道徳である。
それを破った時点で、石河には弁解の余地のない罪悪があるのである。
古井戸とやらには猛省を促したい。
by とおりがかり (2006-04-26 11:58) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。