SSブログ

デカルトの旅

デカルト研究者小林道夫の
 デカルト入門 筑摩新書、新刊、を買う。 はたして、いつ読めるか?

デカルトは旅した。
デカルトの生きた時代は30年戦争の時代。。だらだらだらだら、と戦乱が続いた。
デカルトはどうやって旅したのだろうか?
馬か、テクシーか?
いずれにしても、一時間一里の速度であろう。思索に適した速度である。
思索が主、か、移動が主か?
はたと、思索が逡巡し、歩行速度が遅くなり、立ち止まり、道端の草の上に座して考え続けたことも多かろう。いずれにしても、デカルトという肉体が多数の、現実の人々と交わらなければ、ボンサンス、万人が普遍的に持つという良き心、という分泌物(開高健の用語ね)など抽出されることはなかったろう。デカルトという肉体、あるいは経験を経過した上で到達した概念である。

その昔、ペロポネソス戦争があった。ツキュディデスはその一部始終を記録したが、彼は情報、データをどのように集めたか?当時の、情報伝達速度は、すなわち、歩行速度である(民衆個々への情報伝達など何年、何十年かかったのだろうか、想像もできない。)それを超えるものは軍隊が放つ斥候、と、松明の信号であった。松明の信号は夜間限定であり、敵方の攪乱という危険も覚悟せねばならない(いまどきのウィルスだね)。当時、といったが、。。それは交通機関ができるまで、そうだった。ツキュデデスは、歩きながら、考えたはずである。ポケッ~として歩いたわけがない。執筆プラン、や、今後の情報収集のことをメモしながら歩いたであろう。途中で引き返したこともあったろうし、野宿も多かったはずだ。すると、背中に文具旅具を背負って歩いたと思われる。歩いた時間、と、書斎で執筆した時間のどっちが多かったのか?知りたいところだ。歩きながら書き込んだ。脳に。ツキュディデスは記憶し、語った(イストワール)ひとである。記憶も語りも、意志の産物。

ホッブスもデカルトの同時代人。英国を逃げてフランスに長らくとどまった。デカルトとは仲が良くなかったらしい。かれは。。。あまり歩かなかったような気がするね。だから想像力を駆使した化け物のような本を書いた。彼を嗣いだルソーは歩きに歩いてついに、狂ってしまった。しかし彼らが、狂うほど思索し、行動せねば近代社会の到来はもっと遅れたはずだ。

幕末。
龍馬や中江兆民、馬場辰猪、植木枝盛らも、ひたすら歩いた。
長崎留学組も山陽道をひたすら歩いた。野宿も多かったのではないか?旅は、冬を避けたのではないか?

旅すれば、各地各地の文物に触れる。土地土地の、人々の豊かさ貧しさと、格差が実感できる。泣き声も笑い声も聞こえる。鳥のさえずりも、川のせせらぎも聞こえる。人の冷たさ暖かさも直に触れる。いま、ひとびとが何を思い、何を欲し、何に困っているかは、カラダで理解できたはずだ。ニッポンジン、と、幕末の思考人がゆうとき、それはニッポンに住んでいた老若男女の肉体と魂が、笑い声、怒鳴り声、病人の嘆声、子供の嬌声、祭りの出ばやし、金魚売りのキンギョーーイ、キンギョ、の売り声、が、おのれの体内で響きあい、熱をハッシたはずであり、それが無数の分子の運動としてかれらの思想的体温と熱のベクトルを定めた。産業、と彼らがゆうとき、それは老若男女の血と汗、であり、国富というとき、老若男女のたくわえ、であった。

歩きながら、街道から見えるものは 思索を促す。体も鍛えられる。

現在、考えたことは、光速で伝わる。

光速の寄り、で失われる物、と、得られたものは何じゃろうか?

travel 旅、は travail (苦労、陣痛)と同根。

人生は、旅。 わたくしのくちぐせ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。