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単騎千里を走る [Cinema]

鑑賞日 2006, 2/10 於 我が町の映画館、シネリーブル
同伴者 ある女性(わがムスメ)

映画でも本でもそうだが、観た後、読んだ後から、もとの筋や内容を触媒としていろいろな考えがわき上がってくる。単に、本や映画は情報を発信しているのではなく、元から脳内にあるサムシングを起爆してくれるのである。この映画もそういう映画であった。

あらすじ
何かの事情で妻を離縁した男(男鹿半島に住み、漁師を営む。高倉健、役名高田、歳75歳=健さんの実年齢)が、息子(中井貴一)が入院したことを息子の嫁からの電話で知り上京、病院を訪れる。しかし、息子は断固、会おうとしない。長い間、親子の諍いが続いているのだ。嫁がビデオカセットを健さんに渡す。そのビデオには息子が中国に旅して民族舞踊を録画していること、今年も続きを撮る約束を交わしていることを告げる。高田は単身、中国に渡り、息子に成り代わって撮影する決意を固める。
ところが、中国を訪れたのはいいが、肝心の舞踊家が暴行事件を起こし懲役三年をくらって刑務所に収容されていることが判明。収容者の踊りを外国旅行者が撮影するなど前代未聞、許可など下りるはずもないのだが、機略で突破する(後述)。しかし、いざ撮影開始、の段になっても舞踊家が踊ろうとしない(刑務所の休憩室の舞台上)。踊れない、と号泣するのである。訳を聞くと、その舞踊家に、家庭のトラブルで未だ会ったこともない男の子(4,5歳)が奥地にいるのだ、という。刑務所関係者収監者が居並ぶ前でこの号泣。高田は呆然としてその舞踊家を見つめる。やがて、この舞踊家のため、その男の子を刑務所まで連れてきてやろう、と決意し、その子のいる奥地の町に旅する。
その男の子がいざ、刑務所に向け出発、という段になって行きたくない、と言い出す。健さんはあきらめ、刑務所に向かう。撮りためた男の子の写真を舞踊家に見せるために。途中、日本に電話をかけた。電話を受けた嫁の背中では、葬式の準備。息子は死んだのである。嫁は何度も高田に電話したのだが通じなかった。電話で、息子の遺書(高田に宛てた和解の手紙)を読む=中井貴一が代読♪。撮影する意味はなくなったが、舞踊家は、こんどは立派に踊ってみせるから撮ってくれ、という。(単騎千里を行く、とはこの舞踊の名称である)。

高田(健さん)は勝利者か?
映画のラストは、高田が男鹿半島の海を見つめてたたずむシーン、をフェードアウトして終わる。このシーンだけ白黒画面である。これから先、何をおもって高田は生きるのだろうか?嫁(寺島しのぶ。さすが、プロの俳優、という演技である)はどうやって生きていくのだろう? 普通の親子であれば、親が離婚したからといって直ちにいがみ合うというものではないし、仮にそうなったとしても、和解がやがて訪れるものだ。この親子の場合、双方が中国に旅をし(息子も撮影を目的として中国に行ったのではない、ことが後からわかる。おそらく、和解のきっかけをつかみに旅をしたのではあるまいか。ならば、なぜ、病院に尋ねてきた父親を追い払ったのか?)、かつ、息子の癌による死、を介さなければ和解できなかった。 これは 折り合えない人間同士の、悲劇である。 息子が病気にならず、健康なままでいたら、この二人は折り合えたろうか?

(健さんと中井を揃えれば、別のドラマもできたろう。さて、どのようなドラマ?)

コミュニケーションとは何であるか
高田がかりに中国語ペラペラ(俳優真田広之のように。。真田はロンドンの舞台でシェークスピアも演じた。。)としたら、あのように、見も知らぬ通訳、村人たち、刑務所所長などとコミュニケできたろうか?もう、20年先に、たとえば真田広之が高田の役を演じられるだろうか?この映画は日本と中国、という微妙に関わりのある国を舞台にしている。ハナシは単に家庭内のいざこざの折り合いをどうつけるか、というコマイことである。その当事者同士(中井、と、健)が別々に中国を訪ね、解決を求めた。可愛い子には旅をさせよ、という。人間いつまでも旅をしなければならない、ということか。

この映画をたとえば、米国と英国のハナシに翻案できるだろうか? とふと考えた。たとえば、健さんと通訳が、刑務所長に撮影を願い出るところ。健さんは土産物屋でみつけた(特注で作らせた?)二枚の旗を刑務所長に見せて撮影許可を求めるのだ。しかも、直接見せるのではなく、頭を下げるところをビデオに撮影し、そのビデオを所長に見せる。その二枚の旗は
          「謝」 と 「助」 (Thank & Help)
一枚を通訳、一枚を健さんが持つ。健さんは両手で掲げた旗の向こうで深々と頭を下げるのだ。

メーキング
この映画のメーキング過程をフォローした映像がNHKから1月に放映された。実際、本編よりこのメーキングのほうが出来がいい、というひともあるくらい、いい出来だった。本編のひとつの山場である刑務所内で踊ろうとして、踊れない受刑者(舞踊家)を演じたのは現地で何千人という応募者からイーモウ監督が選考した。この素人俳優には上海大学でコンピュータを学んでいる息子がいる。農業だけで学費を工面できないため、この父親はなんと自宅を売り払って学費に充て、町が提供する納屋に住んでいるのだ。帰省した息子が自宅の無いのに驚愕、親との諍いが発生した。父親が腕を怪我し、学費をその治療費に代えたため息子は留年、父親はますます己を責める、という事態も発生した。そういう事実を知ってイーモウはこの親を使ったのである。俺には踊れない、としゃがみ込んで、嗚咽する。鼻からは鼻水がだらっと垂れる。それを拭って、続く嗚咽。この舞踊を撮影に来た高田(健さん)も呆然として立ちすくむ。健さんは、「なぜ、素人がここまでの演技ができるのか?」と驚いていた。呆然として立ちすくんだ健さんの顔は演技ではなかった。まさに、イーモウの狙い通りの効果である。イーモウは「あの子を探して」でも素人俳優を使っている。13歳の女子中学生が山奥の小学校で代用教員をやるハナシ。30人くらいの教室を預かるのだが、ある日遠い町までバス旅行に出かけた折り、一人の男の子が迷子になってしまうのである。どうやって探すか。TVで訴えればいい、と入れ知恵されたこの先生は、TV局の所長に直訴するため、TV局の玄関でそれらしい男性に片っ端から、「所長さんですか?」と問いかける。このシーンが延々と続くのである。しかも、これを演じた素人の女の子は演技、と思っていないのである。そのようにイーモウが入れ知恵したらしい(もちろん、クラスで学ぶ30人の小学生も演技したとは思っていないだろう。イーモウがそのように仕込んだはずである。悪いやっちゃで)。
     ひとが、ひとを、想うこと。想えばなにごとも通ずる。
これをイーモウは訴えかけている。

最近、単騎千里を走る、が上海で封切られ、大入り満員。高倉健はやっぱりいい、と大好評だったようだ。こういう地味なハナシを受け入れてくれる中国の人々に親近感を覚える。「中国は日本の脅威」と平気でしゃべくる民主党党首はこの映画、見たのかな?

文化大革命が終息したあと、日本から健さん主演の「君よ、憤怒の河を渉れ」が外国映画としてはじめて中国で公開され全国を席巻する大人気になり健を知らぬ人はモグリ、という位になった。映画を志していた若きイーモウにとっても健さんは英雄であった。この映画で、しっかりと、イーモウは健さんに恩返しをした。


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コメント 2

さくら

遅ればせながらコメント失礼します。

この映画の健さんの役は、元優秀な刑事で、還暦を迎えた後、一人漁港に引っ越し漁師をしながら細々と暮らしている、という設定だそうです。

一人で暮らしてる家の雰囲気が趣あってなんかしみじみと・・よかったです。(雑多だけど高齢の男性の一人暮らしにはいいようにできていそうなインテリア。)

親子のケンカの理由ははっきり語られていませんが、その設定から思うに、

仕事ばかりして家庭をかえりみない健さんの(役)性格が原因で奥さんや息子と不和が生じて離婚。
離婚した後、奥さんが病気になり寝込む。
息子は母の病気が長年の家庭不和による気苦労からきていると思って父を責める。
でも健さんは(役)愛情を上手く伝えられないし自分がやってきたことが間違ってるとも思えないのでぷりぷり怒る息子を無視してほったて小屋にひきこもる。
そうこうしているうちに奥さんが他界する。
漁(?)かなんかに出ていて病院から連絡がとれなかった健さん(しつこいですが役)。
息子が一人、苦しみながら亡くなる母をみとった。
息子には父がひどく自分勝手な人間に映った。不器用なだけの父と分かったつもりでいても、どうしても許せなかった。
ここから親子関係断絶。

といった感じでしょうか?すごい勝手な想像です;
(息子の死も同じような理由でみとれていないのでこの父やりそう・・;)


心に残ったのは、健さんが中国に行って現地の人に「息子さんは孤独に見えましたよ」と聞かされる場面でした。

親子、といえども長く離れて暮らすと赤の他人のようになってしまう。息子とどう接すればいいのか分からない・・っていう親心にふと気づかされて。
子もまた同じ気持ちという。

う”~ん。コミュニケーション不足ですね;
この後、『フルハウス』がちょっと見たくなりました(笑)

(コメント力なくてすみません)













by さくら (2010-06-01 01:59) 

古井戸

>....といった感じでしょうか?

uuummm ドキリ、とします。

>健さんが中国に行って現地の人に「息子さんは孤独に見えましたよ」と聞かされる場面でした。

そうでしたか。。親子問題を解決しにわざわざ国外まで(病院に出向いて話し合えば。。と単純にいかぬ)。。というのが親子関係の途方もない懸隔を表現していますね。ケータイひとつできない、という。この映画ではケータイが活躍します。

昔からの健さんを知っている者には、地味すぎる映画。いまさらアクション映画も撮れないしね。

病室に、おぃ!ドーダ様子は?と、健さんが見舞いに行き、
貴一が、いや~、死ぬのも楽じゃないぜ、おヤッっさん。おれの死んだ後、しのぶの身の振り方考えているとおちおち寝らりゃせん。
健: 心配スンな、。。あとは俺がメンドー見たる。。

あ、これは、『復讐するは我にあり』の、世界ですな。

わがはいも、単騎です。千里は走らず、頓死しそう。
単騎頓死。
主演:古。

(つまらんお返事ですみません)




by 古井戸 (2010-06-01 08:04) 

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